ああああっ、上野駅
(2011年7月29日更新)
少年ジャンプに連載されていた「サーキットの狼」は誰しもが認める名作です。
が、車に興味の無かった私は「臨兵闘者〜」とMK団の七年殺しを必死でマスターしようとしたり、味平のミルクカレーを給食で再現してリバースしそうになったりのったりな文系ぼうやで、ロータスヨーロッパより、911より、ミウラより、それよりなにより革ツナギ姿の早瀬ミキが→近くで小鳥がさえずっているシチュエーションで→風吹がツナギのジッパーをおろし→ミキの胸が露に…のシーンに釘付になりました。
その時が、「こざとへんにいきる」への目覚め。大人の階段を一歩上がってしまったのです。
肝心の立喰・ソへの目覚めはもう少し後、スーパーカーブームに陰りが見え始め、ポストスーパーカーブームとブルートレインに注目が集まった1970年代後半でした。
日曜日の早朝から東京駅、上野駅はぼうやたちが右手にハーフ版カメラ、左手に写真帳を持ってわんさか集まってきました。
もう中学生(=段ボール芸人の方ではございません)になっていた私ですが、ぼうやに混じってパチパチ写真を撮っていました。ブームに流されたわけではありません。スーパーカーに目もくれず鉄一直線、記憶にはまったくございませんが産道を抜ける時は抑速ノッチを使って出てきたといいます。両親が夫婦げんかを始めるとフライキを持って間に入り「やわやわ〜」と叫んだそうです。そんな私を誰が責めることができるでしょう。
いや、いました。組合第一、お客も貨物も知らん! という国鉄労組天国時代。わかりやすい不良高校生のように帽子を潰してかかとを踏んでくわえタバコで両手はポケット、小脇に雑誌か新聞紙の国鉄職員さんがごろごろごろごろごろごろごろんといました。そういう職員さんは鉄が大嫌い。小学生を怒鳴ると大泣きで手に負えなくなるし、高校生や大学生は営業規則とかぶんぶん振り回して理論武装しているし、で目を付けられやすいのが生意気ざかりの中学生。
長くなりますので状況説明は省きますが、虫の居所が悪い職員さんに事務室に連れ込まれ延々とお説教されたことは2度や3度ではありません。
かと思えばどえらく親切な職員さんもいて、「今日は団臨引いてゴナナが来るよ。12系だけど」と教えてくれたり、回収した切符をごっそりくれたり、愛称幕をくるくる回してくれたり、極めつけは上野から大宮まで運転台に乗せてもらったこともありました。
良きにつけ悪しきにつけ、古いアルバムの中に想い出がいっぱいの,人情溢れるのが上野駅。かの井沢八郎さんも歌ったように上野は想い出ステーションなのです。ちなみに東京駅の職員さんは人情もへったくれもなく笛を吹き鳴らしどなりちらしクソガキどもを蹴散らしていた記憶しかありません。
今でも「お客よりも新○線! 新○線は俺たちの宝!」的とんちんかんな東京駅某T海の職員さんたまにいます……。立喰・ソ学的に見て立喰・ソの名店が育たない大駅は「そばを作ってねぎを入れず」(←一応「仏作って魂入れず」っぽい雰囲気で)でダメなんですよ。
話を昭和50年代の上野駅に戻します。早朝からぼうやたちとポジション争いを繰り返しあっちのホームこっちのホームとうろうろし、意地悪職員さんの目を逃れ、親切な機関士さんに軟禁されてと、アグレッシブに時が経てば腹がグーグー鳴りだします。お昼も過ぎて空腹もピークを過ぎてふらふらになったころ、20番線に583系常磐線回り特急みちのく号が入線します。
ぼうやまみれで写真を撮っていると20番線の端っこにあった立喰・ソから、たまらんそばつゆのかおりが大気放出され続けストマックを胃液まみれにします。その都度、生命の危機を感じ店に吸い込まれていきました。
これが私の立喰・ソ人生の入口だったのでしょう。みちのく号が8番線とかの高架ホーム発だったら、私の人生ももっとまともだったかもしれません。
万年金欠中学生が食べられるのはかけそば(当時150円くらいだったと思います)か、がんばってもたぬき止まり。天ぷらそばは夢のまた夢。ケースに入っていたイカの天ぷらは金色に光り輝いていました。ダウンタウンの楽器屋で黒人少年がショーケースのトランペットを眺める気持ちが痛いほどわかりました。
そんなある日、イカの天ぷらをタダで載せてくれたことがありました。どういう経緯でそのような僥倖に恵まれたのかはまったく覚えていない恩知らずですが、たぶんものすごいイカ天憧憬エネルギーが出ていたのでしょう。私の人生運の大半はあの時消耗したに違いありません。
私の立喰・ソの原点ともいえる20番線の立喰・ソは上野駅で新幹線の工事が始まる頃に13番線に移動したように記憶しています。が、それもいつのまにかラーメン屋になってしまいました。
- バ☆ソ
昔の写真を引っ張り出してつらつら思い出していたら、上野の立喰・ソが無性に食べたくなりました(←かなりウソくさい強引な設定ですが、世の中そんなものです)。
「でもご隠居、20番線も13番線も幻立喰・ソになっちまいやして」
「おうっパンダ公(熊さんじゃないんです。上野だけに。めんどくさい設定ですいません)何か忘れちゃいませんかってんだ。大連絡橋に喜多があるじゃねーか」
「さすがご隠居。うっしっっし」
つーわけで、つるつるんとそばをたぐろうって算段でさぁ。とエセ江戸っ子気分で向かった上野駅。
あれ? あれれ? たしかここにあったはずだけど……洋食屋さんにトランスフォームしちゃった……
調べてみたらびっくりぎょうてん。昨年夏に閉店したそうです(閉店日の模様がyoutubeにアップされていてさらにびっくりぎょうてん)。ということは今月もネタが出来て嬉しい、じゃなくて、また幻立喰・ソが増えて悲しい……です。
大連絡橋の「喜多1号店」は幻立喰・ソの仲間入りをしてしまいましたが、大連絡橋に新しく出来た蕎香(きょうか)と中央改札口内のいろり庵(この両店は価格的にも品質的にも立喰・ソとは異なるけど)、中央改札口外には喜多2号店、そして9〜10番線にはNRE系のおなじみあじさい茶屋、7〜8と11〜12番線の階段下にはNRE系のようで実はJTS(ジャパン・トラベル・サーヴィス)という別系列のそば処が健在と、まだまだ多くの立喰・ソが営業中です。が、喜多2号店はすでにNRE系列の軍門に下り? メニューはNRE系と共通になっておりました。
上野駅から昭和の匂いがまた消えました。とまあ、今月もバイクのバの字も出てきませんでしたが、読んでいるのは浅草の山さんだけでしょうから。
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