(2010.9.7更新しました)

けっして動転しているわけではないけれども、何をどうやってまとめればいいのかまだ頭のなかで整理がついていない。
事実だけを並べる追悼記事など、現場にいなくても誰にでも書ける。だからといってあまりウェットなものにしてしまうのも、彼の雰囲気や性格に似つかわしくないとも思う。
こんな原稿にはたして意味があるのかどうかもわからないけれども、とりあえず今回は、事故発生以来、情報が確定して事態が収拾しはじめるまでの一連の流れを、思い出せるかぎり極私的視点でまとめてみたい。
彼の容態を心配し、哀悼の意を表するパドックの皆の姿は、富沢祥也というライダーが本当にたくさんの人々に愛されていたことの反映でもあるだろうから。
※ ※ ※
事故が発生したのは、午後12時36分。第12戦サンマリノGPMoto2クラスの決勝レースが始まって12周目の出来事だった。
プレスルームのモニターにその映像が映し出された瞬間、わずかな悲鳴とざわめきのようなものが起こったような気もする。思わず立ち上がって画面を凝視したまま、固唾を呑んで事の成り行きを眺めている姿も散見された。
8番グリッドからスタートし、トップ争いを繰り広げていた富沢祥也が11コーナーでフロントを切れこませて転倒し、後続の二台も巻きこまれて転倒して行く様子は、正視してはいけないものが映像に映り込んでしまったような、なにか危うい雰囲気も漂わせていた。
ストレッチャーに乗せて運ばれる3名の選手の名前が、別のモニターに表示される。2名はほどなく、"crashed"の文字に続き"rider OK"と表示されたものの、富沢の名前の部分だけは、何分経っても"medical center"の表示のままで、一向に変化しない。
自分も気づかないうちに立ち上がっていた。モニターを見上げていると、隣にブリヂストンのトムが並んだ。
「ショウヤの情報は?」
「今のところ何も聞いていない」
「そうか……。こちらにも何か情報が入ったら、連絡する」
そう言って、トムはこちらの肩を叩いて歩き去った。
モニターの表示は依然として変化しない。Moto2のレースは刻々と周回を重ねてゆく。と、少し向こうを、レースイベントをオーガナイズするDORNAのスタッフ、ジェマが歩いてゆく。彼女に近寄り、今の様子を訊ねてみた。
「フリネがメディカルセンターに行っていて、私のもとにはまだ情報が入っていないの」とジェマ。
「意識があるかどうかは?」
「それも聞いていない。新しい情報が入り次第、すぐに知らせるから」と言った直後、彼女のレシーバーから呼びかけがあった。ジェマはイヤホンをした片耳を手で覆いながら、目でこちらに合図だけして足早に去った。
その直後、スペイン人記者ボルハが眉を寄せて歩み寄ってきた。ボルハは、富沢がポールポジションを獲得したり表彰台に上るたびに、いつもインタビューを行っている。
「ショウヤの情報は?」
ジェマから聞いた話を伝えると、彼はこんなことを言った。
「スペインのTV放送では、昏睡状態だと伝えてるんだ」
そうこうしているうちに、Moto2クラスのレースが終了した。
ひとまず、山口辰也と高橋裕紀にレース後のコメントを聞くため、プレスルームを後にした。25位で終えた山口も終盤に転倒リタイアとなった高橋も、自分のレースを終えたばかりで富沢の一件についてはまだ何も知らない様子だった。
おそらく、チームスタッフからほどなく話を聞くだろう。こちらからは、今は何も言わないことにして、いったんプレスルームへ戻った。
しばらくすると、サイレンを鳴らして救急車がゲートの向こうへ走り去る音が聞こえてきた。
プレスルーム内では、深刻だという情報がある一方で、命に別状はない、という話も流れているようだった。確定情報がないまま、事態は一部で混乱の様相も呈しかけていた。
この頃になると、GSM携帯と日本の携帯の両方に、次々と電話が入ってきた。今はレースとは関係ない部署に異動した通信社の記者からも、電話があった。
やがて、メディカルに行っていたというフリネが、メディアオフィサーの小部屋へ足早に戻ってきた。
ドアが開いたままの彼女の部屋をノックして、何か情報がないか訊ねてみた。周囲にほかの人間がいることを慮ってか、先ほどのジェマと同じような回答を繰り返すのみだった。
「何かわかったら、あなたにはすぐに知らせるから」
- 西村 章
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- スポーツ誌や一般誌、二輪誌はもちろん、マンガ誌や通信社等にも幅広くMotoGP関連記事を寄稿。訳書に『バレンティーノ・ロッシ自叙伝』『MotoGPパフォーマ ンスライディングテクニック』等。twitterアカウントは@akyranishimura。第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞作『最後の王者』の年内刊行に向けて、現在鋭意加筆作業中。
礼を言って席に戻ると、しばらくすると彼女のほうから近づいてきた。
「リッチオーネの病院に救急車で搬送されたって。状況はかなり深刻みたい」
「深刻って、どの程度?」
「昏睡状態、だって」
それだけ言って立ち去り、プレスルームも出ていった。
MotoGPクラスのレースが始まった。が、富沢の件が気になって、画面に気持ちが集中していかない。
そしてしばらくすると、フリネが大慌てでプレスルームに駆け戻ってきて、音を立てて自室の小部屋のドアを閉めた。
その様子で、すべてが察せられた。
そしてしばらくすると、MotoGPのレース中、富沢祥也が逝去したという正式なレースディレクションの告知が発表された。
レース終了後、青山博一のピットを訪ねた。階段を降りて外へ出ると、小山知良と遭遇した。小山はすでに、事態の結末を聞き及んでいた。
青山のピットでは、レース後のコメントのあと、富沢の話題になった。青山はHRCのスタッフからすでに話を聞かされていた。唇を噛み、悔しそうに首を傾げた。
その後、いつもの仕事を続けながら、何度もプレスルームと外を往復した。ホンダのスタッフも、ヤマハのスタッフも、スズキのスタッフも、会う人皆が感情を抑えた表情で残念そうに顔をしかめ、あるいは吐息をついた。
外を歩いていると、電話で話をしていたメラが、携帯を耳に当てたまま歩み寄って抱きついてきた。
「悔しいな。残念だな」
メラは、ボルハと一緒に“トミ、トミ”と言っていつも富沢をかわいがっていた。
マテオは、パドックを歩くこちらの姿を認めると、力いっぱい抱きしめてきた。
「寂しいけれども、苦しいけれども、乗り越えていこうぜ」
階段ですれ違ったマシュー・ロバーツは何度かこちらの腕を叩き、
「寂しくなるな。でも、あっちの世界はカトーやノリックと一緒だから、ショーヤが行って賑やかになるかもな」と力なく笑った。
スティーブとは無言で握手をした。
ムゾーは、すれ違いざまに黙って何度か肩を叩いて行った。
マリアは、
「わたしよりもあなたのほうが、この気持ちをちゃんと表現できると思うけど……」
といいながら、うっすらと涙を浮かべていたようにも見えた。
そして、とっぷりと日が暮れたパドックの、プレスルームを降りた階段下には、ギャビンとニックがいた。
「寂しいよ」
そういいながら、ニックは本当に寂しそうな笑みを見せた。
「じゃあ来週、アラゴンで」
ギャビンが穏やかに微笑んで握手を求めてきた。
そう、レースはこれからも続く。
皆がそれぞれに重いものを背負いながら、それでもレースの現場から去らないのは、ここがそれだけ魅力的な世界だからだ。
そして、その魅力を可能なかぎり多くの人々に伝えてゆくことが、この世界で命を落としていった仲間に対する、残された者たちの責任の取り方でもあるのだろう。
■第12戦サンマリノGP
- 9月5日決勝 ミサノサーキット 晴れ
MotoGP(完走のみ) - ●優勝 ダニ・ペドロサ HONDA
- ●2位 ホルヘ・ロレンソ YAMAHA
- ●3位 バレンティーノ・ロッシ YAMAHA
- ●4位 アンドレア・ドヴィツィオーゾ HONDA
- ●5位 ケーシー・ストーナー DUCATI
- ●6位 ベン・スピーズ YAMAHA
- ●7位 コーリン・エドワーズ YAMAHA
- ●8位 アルバロ・バウティスタ SUZUKI
- ●9位 ヘクト・バルベラ DUCATI
- ●10位 マルコ・メランドリ HONDA
- ●11位 アレックス・エスパルガロ DUCATI
- ●12位 青山博一 HONDA
- ●13位 ランディ・デ・ビュニエ HONDA
- ●14位 マルコ・シモンチェリ HONDA