■ああ、あきばはら、じゃなくて秋葉原
(2010年12月27日更新)1980年代前半まで「スプロケット」を「スポロケット」、「カヤバ」を「カバヤ」と書いてしまうおっちょこちょいマンはふつうにいました。1970年代後半〜80年前半の某バイク雑誌に「カバヤ」「スポロケット」などと載ってたりしますから、信じちゃった人がいてもしょうがないんです
……私事で恐縮ですがウチのオヤジは「モンブランの万年筆」を「モランボンの万年筆」と焼肉のタレで字が書けそうにしてしまいます。
未だに「ミスター・バイクBG」を「GB」というブリティッシュシングルな人は跡を絶ちませんが「あきはばら」を「あきばはら」と言う人も今や絶滅危惧種になりました。
秋葉原といえば電気の街。というのも過去の話になりつつあります。1980年代半ばから後半の日本と日本人を彷彿とさせる、経済力にモノを言わせ調子こきこきこきんとうな某国人達が大挙して炊飯釜を買いに来ることで電気街の面目(もちろん秋葉原駅ガード下や秋月電子の常連さんというホンモノ電気な人達は別格です)を保っていますが、一般的にはサブカルの情報発信基地(……情報発信基地って)、国民的アイドル(こういう言い方も古いんですけど)AKB48の出身地である超メジャースポットというスタンスで、あきばはらでも秋葉原でもなく、「アキバ」という世界的にブランドに成長したのです。
最近あまり行かなくなってしまいましたが、私も1970年代は無線やBCL、1980年代はオーディオ、1990年代は一時疎遠になり、2000年代再びパソコン関連を漁りに、ほぼ週1で秋葉原に出没しておりました。
電脳ではなく電気街だった頃、食事が出来る店は今ほど多くありませんでした。肉の万世は貧乏人には問題外でしたし、かんだ食堂など市場関係者が愛した名店はあった(今でも健在。アド街でも紹介されました)のですが、土日はお休みでした。
'90年代、ラーメンのJや天丼のTなどが出来て(もちろん今も盛業中)、電脳ボーイ(当時ガールはほとんどいなかった。あえて言えばMacファンに連載していたマンガ家の後藤ユタカさんくらい?)たちは喜びました。
こういう食事情だから、他ではみられないおでん缶が名物になったんでしょうね。
やすくて早くてうまい(うまくない店も少なくないんだけれど)貧乏人の救世主、我が心のオアシス立ち喰いそば屋さんは、秋葉原にも意外とたくさんあります(今では「ありました」ですが)が、ラーメンのJや独立系老舗牛丼のS(今突然思い出しましたが牛丼、カレー、カツ丼のチェーン店Dもありました)のように話題になることはありませんでした。電脳ボーイは立喰・ソがお好みではなかったんでしょうか?
そんな秋葉原の食事情の中心地は、秋葉原駅に同梱(←アキバっぽいでしょ)されていたアキハバラデパートの2階レストラン街と1階フードコーナーでした。
2階はちょっと高い(とはいえ他に比べれば安め)レストラン街で買い物にやってきた家族連れやリッチなサラリーマン、1階は貧乏学生、貧乏サラリーマンと棲み分けが出来ていました。
石田布良さんの小説アキハバラ@DEEP(映画やテレビドラマにもなりました)にも登場するこのフードコーナーは、チェーン店系ではない(末期にはペッパーランチや大江戸寿司も入ってましたが)いわゆるB級グルメ(嫌な言葉ですねえ)なお店がぎっちりと並んでいるワンダーランドでした。
池袋駅にあった伝説のフードコーナー、スナックランドと双璧をなす昭和丸出し、万年金欠オヤジ、貧乏学生に優しいお食事処だったのです。
今回の幻立喰・ソは、一階フードコーナーにあった「古市庵」です。正確には前回と同じで、ソというよりもウですが。
古市庵は、野菜をスライスする器具の実演販売やら、本人が唄っていない激安CDや聞いたことのないブランドのライター、時計などが販売されていた表玄関側ではなく、電脳街側の裏口(とは表記されていませんでしたが)入口のすぐ脇にありました。
のれんもないカウンター席のみの小さなお店でした。固定された回転椅子がきちんとありましたからアルプスの少女ハイジなみに純粋にに問えば立ち食いではありません……
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- バ☆ソ
やわらかめの大阪風の細めのうどんに、関西系のダシが効いたように感じる雰囲気の透明なおつゆの組み合わせ。讃岐うどんを謳っておりましたが、腰の効いた讃岐系ではなく、スープヌードル感覚の大阪風関西うどんに分類されます。
名物はその名も「アキバうどん」。ちくわ天、あげ2枚にわかめにかつおぶしまで入ってワンコイン以下の400円(2006年7月当時)。かけうどんが380円でしたからかなりお得なうどんでした。
表玄関側にはJR東日本系列の「あずみ」もありました。まずくはないし高くもないんですが、どうもイマイチわくわくテイストが盛り上がらない JR系なので食べたのは1、2回ほどでした。秋限定メニューを食べましたが、天ぷらがしょんぼりしょぼだったこと以外ほとんど印象に残っていません。
秋葉原デパートが半世紀にのぼるながーい歴史を閉じたのは2006年12月31日。つい先日のような気がしますがすでに4年も前のことなんですねえ……
そして2010年11月、アキハバラデパートの跡地はアトレ秋葉原となって完全リニューアルオープンしました。3階建てから7階建てになり、薄暗かった店内はおっしゃれ〜に大変身。
サラリーマンや電脳ボーイの胃袋を満たしてくれた1階のフードコーナーは、オシャレな立ち喰い寿司とカウンター形式のカレーショップはありますが、かつての雰囲気はみじんもなく、オヤジには敷居が高くなりました。JR東日本のエキナカ戦略からスポイルされつつあるオヤジたちは、今後どこへ行くのでしょう。山ノ手線に乗って新橋や神田に行けということでしょうか。
先にもちょっと書いたように、秋葉原には今でも立ち喰いそば屋さんが多数がんばっています。
老舗でファンも多い「ふたば」(残念ながら土日はお休み)を筆頭に、冷やし系が絶品の名店「みのがさ」、昭和テイスト大爆発の「味じまん」(看板にはそう書いてあるが店名なのかどうかは不明)、駅前ながら一見さんは入るのにかなり勇気が必要な「京らく」(入れば以外と普通)、そしてチェーン店ながらハイレベルな「箱根そば」と、天ぷらと一味で勝負の「六文そば」にメジャーな「富士そば」「ゆで太郎」、最近出来た「やじきた」(まだ未調査)、駅には椅子もテーブルもある広い「田毎」が日夜オヤジのストマックを刺激しています。
他の例に漏れず「常念」「豊しまや」「都そば」「スエヒロ」が、ここ数年で残念ながら幻立喰・ソの仲間入りしてしまいました。そちらはいずれ紹介させていただこうと思っています。
2011年はみなさまにあげだまor玉子サービスがあらんことを祈り「ジーク、立喰・ソ!」