1990年、世界一の動力性能を目指して開発されたZZR1100から、独自の思想を貫いた2002年のZZR1200、そして再び初代コンセプトを見つめ直した2006年ZZR1400まで、ZZRシリーズの歴史と、カワサキデザインに新たなる歴史を書き込んだ初代ZZR1400開発者インタビュー、インプレッションなど多彩な内容をシリーズで順次更新いたします。
※このシリーズはミスター・バイク2009年2月号に掲載された特集記事を元に再編集したものです。文中の年号や肩書き等は掲載当時のものです。
GPZ900R、GPZ1000RX、ZX-10と、脇目もふらず最速路線を驀進し続けるカワサキ水冷直4の新世代フラッグシップの次の開発目標は、ズバリ「世界一の動力性能」であった。最高速は言うまでもなく、ゼロヨンタイムなど数値で解りやすい絶対的な性能はもちろんのこと、数値では表現しづらい市街地やツーリングという一般公道においての乗りやすさ、扱いやすさも併せ持つという、ある意味相反する目標の両立であった。
困難な開発目標は、空気抵抗を低減させたカウル形状、市販車初採用のラムエアシステムや、ZX-10と基本的な構造は同じながらも全面新設計されたエンジンとそれをつつみこむアルミ角ツインスパー+スチールダウンチューブフレームなどにより見事克服され当時市販二輪車としては世界最速の最高速度290km/hをマークした。
日本国内での初お披露目は1989年の東京モーターショーであった。今までにない「世界最速」の圧倒的な動力性能を持つZZR1100は大人気……とはならず、多くの注目を浴びたのは皮肉にも“普通のバイク”ゼファーであった。
もともと高速GTツアラーが育ちにくい環境の我が国で、しかもレプリカウオーズの果てのスペック至上主義に疲れ切っていた当時、大馬力=反主流というような風潮になりつつあり、例えスペックだけが全てではないZZR1100ではあっても、日本でのファーストインプレッションは驚くほど小さかった。
GTツアラーの王道である欧州、北米では当初から大いに人気を博し、CBR1100XXが登場する1996年まで、最高速ホルダーの名を欲しいままにしたことは、言うまでもないだろう。
1990年 ZZR1100(C1)
●エンジン型式:水冷4ストローク4気筒DOHC4バルブ●総排気量(内径×行程):1052cc(76×58mm)●最高出力:147ps/10500rpm ●最大トルク:11.2kg-m/8500rpm●全長×全幅×全高:2165(デンマーク、フィンランド、ギリシャ、ノルウエー、スウェーデン向けは2175)×720×1210mm●軸距離:1480mm ●乾燥重量:228kg ●燃料タンク容量:21L●タイヤ前・後:120/70-17·170/60-17
1991年 ZZR1100(C2)
当初日本ではそれほど注目されなかったZZRだったが、海外から高性能なうえ、一般走行でも扱いやすいという評価が伝わり広く認識されたことや、バブル経済の絶頂期とも言える時代背景にも後押しされ、ビッグバイクの人気は急激に高まり、逆輸入車は全般的に需要過多に陥っていった。
ダントツ評価のZZR1100は国内正規販売モデルではなかったこともあり、一時期は180万円近いプライスが付くほど人気が急上昇した。
高い人気に支えられ、C2ではドライブチェーン、キャブレター内のパーツ交換など小改良がおこなわれている。車体色は新色のエボニー×パールコスミックグレー、メタリックバイオレットロイヤル×メタリックイベンティッド。北米仕様は単色から欧州仕様と同グラフィックに黒赤のエボニー×ルミナスローズオーパー。
1992年 ZZR1100(C3)
C3では、ギア抜けが多いといわれたミッションの2速ギアが強化型に改良され、リアのブレーキホース取り回しの変更などの熟成が進められた。
車体色はフレームとスイングアームが黒塗りとなったソリッドカラーのエボニーと、C2の北米専用カラーと同じ塗り分けでホイールも赤のエボニー×ファイアークラッカーレッド(北米ではルミナスローズオパールと表記していた)と、メタリックオパールシルバー×メタリックソニックブルーの3色。北米仕様は欧州仕様と同じエボニーに統一された。
1993年 ZZR1100(C4)
ZZR1100は日本の明石工場だけではなく一部がアメリカのリンカーン工場でも生産された。
リンカーン工場で1993年に生産された変わり種のZX-11(もちろん北米仕様のみ)が、後継モデルZZR1100D1のエンジンをC3の車体に搭載したC型とD型の合体モデルC4である。生産されたことは確かなのだが、広報写真は存在していないようだ。外観はC3と同じなので外観で見分けるのは困難。
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