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最後発となったカワサキも本格的参戦
レーサーレプリカとは一線を画したアプローチのGPZ400Rで大ヒットを飛ばし、その正常進化形のGPX400Rを投入して独自の路線を進んだカワサキであったが、レーサーレプリカ至上主義の時代、落ち着いたルックスのGPX400Rは営業的には成功作とは言えなかったのだが、カワサキも次の一手をすでに打っていた。1987年からZXR-7でサーキットへの復帰も果たし、本格的レーサーレプリカへの下準備は着々と整えられていた。そして1987年の東京モーターショーで発表された。最後発の参入ということもあり、ツインチューブのアルミe-BOXフレームに完全新設計のコンパクトなエンジン、φ40㎜フロントフォークに窒素ガス注入式のユニトラックなど軽量な車体にパワフルなエンジン、固めた足回りと強烈なブレーキという期待を裏切らない定石以上の仕上がりであった。しかしおとなしめなデザインとカラーは、GPXの改良モデルという印象も与えることとなり、先発のライバルに対し強烈な個性が唯一の欠点となってしまった。やはり時代は、尖った本格的なライムグリーンレプリカを渇望していたのだ。
カワサキの名門チーム、チームグリーンがZX-4ベースのZXR-4でF-3に参戦したのを記念して、1988年4月上旬にF-3レーシングカラーバージョンを2000台限定発売。車体色以外の装備等は、価格も含めスタンダードバージョンから変更なし。
1988年10月1日にZX-10をイメージした新色2色を追加。従来色も併売され4て色のラインナップとなった。価格等は変更なし。
ゼファーと同期の最後発レプリカZXR誕生
昭和が終わりを告げた1989年、レーサーレプリカにとっても大きなターニングポイントとなるゼファーが登場した。しかしスポーツモデルの6割はレーサーレプリカで占められており、まだまだレーサーレプリカの勢いは衰えていなかった。レプリカ競争で出遅れたカワサキも、前年全日本F-3にワークスレーサーZXR-4で初参戦し、後半戦は改良型のZXR400を投入、そのノウハウを直ちにフィードバックし「全身、レーシングレプリカ」(発表時の資料のタイトル)ZXR400を発売する。エンジンはZX-4をベースに動弁系、吸排気系、冷却系、出力系すべてを見直し、ピストン、燃焼室の形状変更、バルブの軽量化、CVKD32キャブの採用、1~4速ギアのクロス化などが行なわれた。新設計のフレームはアルミ日の字断面材を使用したツインチューブのe-BOXで、ステアリングダンパー取り付け用リブの設置、ワークスレーサーZXR-7と同構造のチェーンアジャスターなどレース参戦を意識した設計となっていた。前作ZX-4が手堅いイメージであったのに対し、ZXR400は攻めの姿勢を明確にし、前部からシリンダーヘッド部に直接空気を送るダクト(K-CAS)や国産ロードモデルとしては初採用のカートリッジ式ダンパー内蔵の倒立フォーク、そしてワークスレーサーZXR400イメージをとらえたスタイリングも大きなセールスポイトとなり、1989年の400クラス年間登録台数第5位(4892台)を記録した。ちなみに1位はVFR400Rがダントツの 10743台で、レプリカ強しの印象を与えたが、2位はCB-1の7414台、3位ゼファー7285台と新勢力のネイキッドモデルの追い上げが始まっていた。
6速クロスミッション、シングルシートを装備したSP仕様のZXR400Rも同時発売。779,000円。
吸気バルブタイミングの変更、ピストントップリング形状変更等エンジンを熟成化し中低速域での性能を向上させ、ラウンドラジエター、ピストン冷却用のオイルジェットの採用により冷却能力を向上させた、車体関係はスイングアーム、リアホイール形状変更などにより軽量化された。価格はスタンダード、SP仕様共に変更なし。
SP仕様のZXR400Rは従来の6速クロスミッション、シングルシートと強制開閉式ACT-CARB(アクトキャブ)、専用セッティングの減衰力調整機能付きサス、バトラックスラジアルタイヤを新採用。
未確認走行物体登場
レプリカのカタログとしては例を見ない宇宙空間をイメージした表紙で、キャッチコピーは「未確認走行物体」など、今から思えばバブルの香すら漂う1991モデルでは、シングルヘッドライトにモデルチェンジ。フレームも一新され、アルミプレス材のダイヤモンドフレームを採用し大幅な軽量化と剛性アップが図られた。スイングアームの延長による直進安定性の向上や、エンジンは2~5速ギア比の変更、バックトルクリミッターの改良など、マイルド化も行なわれた。
ソリッドからツートーンへカラー変更。イメージカラーのライムグリーンはグラフィックに変更がない。SP仕様は2月17日発売。共に価格は変更無し。
1992年モデルのシックなカラーから派手目のカラーとなった1993年モデルは、流行のブラッシュグラフィックに。自主規制値変更により最高出力は53ps/12000rpm、最大トルク3.6㎏-m/10000rpmとなり中低速重視のセッティングに変更された。価格に変更なし。
SP仕様もカラーを変更し53㎰化された。装備は従来と同様で価格も変更なし。
同年の鈴鹿8耐で優勝した伊藤ハムレーシングカワサキのZXR-7をイメージした鈴鹿8耐優勝記念限定車を350台の限定で発売。タンク上部にはスコット・ラッセルとアーロン・スライトのサイン入り記念ステッカーが貼られ、特製のキーホルダーライトもセットでプレゼントされた。伊藤ハムのロゴ以外のステッカーは自分で貼る同梱タイプ。
ゼファーは前年だけで67000台以上の登録台数を記録し、ZXRと似た紛らわしい名称の水冷エンジンニューネイキッドZRXや、カウル付きのベーシックなツインモデルEX-4が発売されるなど本格的なネイキッドブームとなった1990年代も半ば、レーサーレプリカ群の衰えが誰の目にも明らかになった。そんな時代を反映してか、1994年モデルの変更は車体色のみで、イメージカラーのライムグリーンは前年モデルのグラフィックを小変更、もう一色は落ち着いたソリッドカラーの2色のラインアップとなった。
SP仕様も同様のグラフィックに変更。
ゼファーは4バルブのχへ、ZRXはバリエーションモデルのZRXⅡを加え快進撃するのとは裏腹に凋落の一途をたどるレーサーレプリカ群。ZXRも例外ではなくグラフィックの変更を受けた後は、1999年まで手を加えられずに継続販売された。SP仕様は1994年モデルから変更なし。
最終型はグラフィックが一切なしのライムグリーン一色に。ある意味カワサキレーサーレプリカの最後を飾るにふさわしい、凛としたカラーリングだった。SP仕様も同色で最後まで設定された。
[THE444RR大全その5 GSX-R|その6 ZX-4・ZXR]
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