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ドライからウェット、そしてまたドライへ、とレース中にコンディションがめまぐるしく変化した第13戦サンマリノGPは、50分の短い時間のうちに波瀾万丈の要素があれもこれも詰め込まれた、いわば耐久レースの圧縮ドラマみたいな展開になった。
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金曜と土曜はすっきりと晴れた理想的なドライコンディションで推移し、もしも日曜も同様の状況で決勝レースが行われていたならば、おそらくはホルヘ・ロレンソ(モビスター・ヤマハ MotoGP)が序盤から独走ペースに持ち込む展開になっていただろう。もしくは、今回は自宅から目と鼻の先の文字どおり地元コースだけに必勝体制で臨んだバレンティーノ・ロッシ(モビスター・ヤマハ MotoGP)が、ロレンソに対して粘り強い勝負を仕掛けて会場の9割5分(当社計測値)を占めるロッシファンを喜ばせていたか、あるいはその戦いに、一戦入魂モードのマルク・マルケス(レプソル・ホンダ・チーム)が割り込んで勝負を余計に複雑にし、手に汗握る展開になっていたのではないかと思われる。
とはいえ、それはあくまで<たら・れば>の話で、現実のレース展開は、<フラッグ・トゥ・フラッグ>の難しい状況のなか、ドライ用バイクからウェット用バイク、そしてふたたびドライ用のバイクと、絶妙のタイミングを見極めてマシンをうまく交換したマルケスが最後は独走に持ち込んで今季四勝目を挙げる結果に終わった。
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「残りの五戦も全力で勝ちに行く」そうです。
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珍しく転倒ノーポイントでロッシと23点差に。
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ロッシとロレンソの動きを見ながら適切な状況判断を下したマルケスもたいしたものだが、ピットインを決断するためには判断材料というものが当然あって、HRCチーム代表のリビオ・スッポによれば、ピット内ではマルケスよりも先にタイヤを交換した他陣営の選手たちのラップタイムを確認しながら、タイヤの替え時を見計らってピットボードでサインを提示していたのだとか。
チャンピオン三連覇の可能性が非常に低くなった現在、守りのレースをする必要がないぶんだけイチかバチかの勝負に出やすかった、といってしまうのは簡単だが、その背景にはチームの緻密な情報戦略があった、というわけだ。とはいっても、ピットに戻るかどうかを決めるのは、最終的にはやはり選手の意思なのだから、
「昨年のアラゴンでは、今回と似たような状況で失敗したから(雨の中をスリックで引っぱりすぎて転倒し、再スタート後に13位フィニッシュ)、今年はこういう状況になったらあのときの教訓を活かそうと思っていた」
マルケス本人がそう話すとおり、今回もまた、22歳の天才ライダーが抽んでて高い学習能力を発揮したレース、ということになるのだろう。
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波瀾のレース展開は、表彰台獲得選手がいつもと違う顔ぶれになったところにも如実に表れている。2位はブラッドリー・スミス(モンスター・ヤマハ Tech3)。いつもひたむきブラッドリーは、28周のレースで最後までマシンを交換せず、スリックタイヤで押し通したことが見事に功を奏してMotoGP自己ベストの2位獲得になったわけだが、マルケス陣営のしたたかな戦略とは異なり、彼の場合こそは乾坤一擲の大博奕に勝った、という結果になった。
「他の選手たちがマシン交換でピットインするのは見えたけど、雨量が減ってきていたので、スリックで通そうと思った」と語る一方で、「雨が降ってきた後は『勇気は報われるんだ!(Luck favours the brave)』と何度も自分に言い聞かせていた」とも上気した表情で話した。
ところで、このスミスのことば、本来は”Fortune favours the brave”という言い回しが本来の諺で、やがてスミスの引用した言い回しも広く流布するようになったのだとか。以上、バイクの英語の時間でした。
それにしても、今回のスミスの決断は、1999年の8耐でレース中に降り出した雨で続々と皆がピットインしてタイヤを交換するなか、ただひとりピットインのサインを無視してスリックタイヤでプッシュし続けたアレックス・バロスを彷彿させた。そのときのバロスのチームメイトは現IDEMITSU Hona Team Asia監督の岡田忠之で、岡田はレース後に「あの決断があったからこそ優勝できた」と話していたことを、スミスの走りを見ながら思い出した。さらに今年のスミスはその8耐で優勝を飾っているので、なおさら今回のサンマリノGPは<プチ耐久>のような印象が強くなったのかもしれない。
また、3位のスコット・レディング(EG 0.0 Marc VDS/ホンダ)は、雨が降り始めたころにスリックタイヤでプッシュし続けたものの、こちらの場合はオーバーランからグラベルで転倒。急いでピットへ戻ってウェット用マシンに乗り換えたタイミングが結果的に正解だったのは、日本語で言う「怪我の功名」とでも言うべきか。
「ウェットタイヤに熱が入ってきた頃には、今度は路面が一気に乾きはじめた」ので再びピットインしてスリックタイヤのマシンに交換。「ラップタイムがどんどんよくなって、ピットからのサインボードで〈P4〉(4番手)と表示されているのを見たときは、間違いじゃないかと思った」のだとか。「僕は失うものがないから、ダメもとで攻め続けたんだ」と本人が話すとおり、レディングの場合もイチかバチかの勝負に勝って最高峰クラス初表彰台を掴み取った、ということになるのだろう。
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「僕は失うモノがないからネ」と何度も繰り返しておりました。
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レース終盤に一時は表彰台圏内も走行。自分自身でもビックリ。
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彼らトップスリーのコメントからも窺えるとおり、トリッキーな路面コンディションの〈フラッグ・トゥ・フラッグ〉のレースは、ことほど左様に微妙な状況判断を迫られる。
優勝を期待されながら5位に終わったバレンティーノ・ロッシは、チャンピオンシップをリードしているがゆえに、大博奕に出るには失うモノがあまりに大きすぎたのだろうが、とはいえ、今回はやや慎重にすぎたきらいもある。スリックからウェットタイヤのマシンに交換する最初のピットインは、マルケスやランキング2位につけるロレンソと牽制しあいながらのタイミングだったが、ウェットタイヤからスリックタイヤのマシンに乗り換える二回目のピットインのタイミングは明らかに遅きに失していた。ロッシはレース後にその状況を振り返って
「ウェットで引っぱりすぎて、タイムを損してしまった」
と自らの過失で勝利を逃したことを認めた。
「難しい判断だった。本当はもう2周早くピットに入りたかったけど、バックストレートではまだ雨が降っていたし、そこで再び雨が降り出したらリスクはあまりに大きい。さらにホルヘの様子も少しチェックする必要があった」
今回のレースでは、自らをサメに追われる魚に擬したスペシャルヘルメットでレースに臨んだものの、レース結果はファインディングニモでも冷たい熱帯魚でもなく、なんとも今ひとつ煮え切らない微妙なリザルトになってしまった。それでも
「別の見方をすれば、ホルヘの転倒はチャンピオンシップにとっては11点差をさらに開く結果になった。ミザノのたくさんのお客さんの前で、どうしても表彰台に上がりたかったのでその意味では残念だけど、チャンピオンシップにとってはいい結果になった」
と結果オーライ的にポジティブな発言で締めくくった。
それにしても、冒頭でも軽く触れたけれども、当サーキットを埋め尽くすロッシファンの数たるや、ちょっと言葉で表現するのが難しいくらいの会場面積占拠率である。観客席全体がまっ黄っ黄で、黄色い圧力に全体が押し包まれているような感すらある。ロレンソファンやマルケスファンは本当にごく一部。決勝レース終了後に彼らがいっせいに表彰台下になだれ込んで来るのは、イタリアのレースのお約束だが、どこまでも続く黄色い海のなかでマルケスの旗を掲げるファンがぽつりとたたずむ様子は、ちょっとした危機感のようなものを抱かせないでもない。
とはいえ、それこそがイタリアのレースでもある。
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「サメはホルヘひとりじゃなくて、自分を倒そうとするすべての選手の象徴なんだ」とレース前に話していたのだが……。
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「残り5戦で23点差なので、毎戦勝利を目指していく」とレース後に。
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ここらで少し、ゴシップめいた話題をひとつ。チームオーナーのジョバンニ・クーツァリがマネーロンダリングと贈賄容疑でスイス当局に逮捕され、スポンサーが軒並み引き上げてしまってえらい目に遭っているフォワード・レーシングだが、スイス当局はどうやらクーツァリへの刑事訴追を取り下げることにした模様だ。脱税に対する追徴金は課せられるとの話だが、訴訟を逃れることができるために、来季もチームは存続する可能性が出て来たのだとか。とはいっても、現在フォワードレーシングに対してマシンを供給しているヤマハは、来季はマシンを出さない模様で、チームがどのような運営になるのかは現在はまだかなり不透明、というのが実情のようだ。そんな苦しい状況下にもかかわらず、今回の第13戦でロリス・バズが4位に入ったのは、チームにとって最大の朗報といえるだろう。
来季の動静については、本稿が公開される頃にはチームから何らかの発表が行われているかもしれない。
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決勝レースに先だつ9月12日の18時45分からは、2010年の決勝レース中にアクシデントで逝去した故富沢祥也選手の記念セレモニーが行われた。彼が所属していたCIPのアラン・ブロネック監督以下チームスタッフ、そしてパドックの日本人関係者と現在Moto2クラスに参戦中の中上貴晶、Moto3クラスの尾野弘樹、鈴木竜生が参加し、アクシデントの発生した11コーナーのコースサイドで献花と黙祷が行われた。
個人的な感傷を縷々述べるのは趣味ではないので控えておくが、あれからもう五年も経つのか、とも思う反面、まだほんのついこの間の出来事のような気もしないではない。
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コースサイドのガードレールにはたくさんのステッカー。
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ブロネック監督(左)と関係者たちが集合した。
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その故富沢選手と幼い頃から仲が良く、ともに世界を目指して切磋琢磨してきた中上貴晶(IDEMITSU Honda Team Asia)が、Moto2クラスの決勝レースで3位に入ったのはご存知のとおり。2013年のサンマリノGPで優勝争いをして2位になって以来、ちょうど2年ぶりの表彰台である。
ここ最近の中上は、予選でそこそこのグリッドを獲得しても、決勝序盤の位置取り争いで大きく順位を落とし、そのままペースを上げきれずにレース終了、という展開が続いていた。今回のレースでは、3列目8番グリッドからスタートを決めて、序盤にうまくトップグループにつけた。路面温度があまり上昇しなかったため、トップ集団のペースがさほど上がらなかったことにやや助けられた側面もあるとはいえ、最後までキッチリと表彰台圏内で戦い続けた今回のレース内容は、喪いかけていた自信を取り戻す大きな契機になるだろう。
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「今日のレースは愉しさ半分、興奮半分でした」
と、中上は決勝後に26周の戦いを振り返った。
「途中で二番手に上がったときは、トップ争いをしていた頃のいい緊張感やモチベーションの上がるフィーリングが自分のなかで甦ってきました。最近は必死に前についていって離されてしまい、『ああ……』という気持ちになることが多かったけど、今日は自分を奮い立たせるレースができて、表彰台圏内の緊張感も味わえたので、楽しかったけれども少し精神的に疲れました。でも、気持ちのいい疲労だし、次は先週テストをしたばかりのアラゴンで、その次は日本GPだから、今回の勢いを保ちつつ、さらに上向きに乗せていきたいと思います」
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ソフト側のタイヤを選択し、最後までうまくマネージメント。
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というわけで、第14戦アラゴンGPを挟んで、次回は第15戦日本GPでお目にかかります。それまでしばらくのあいだ、みなさまごきげんよう。
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尾野きゅんは16位。
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今回はジェレミー・バージェス氏がふらりと現場訪問。
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会場内のあちらこちらにシモンチェリのパネルや写真が。
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決勝日の観客動員は満員札止めの92,315人。
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