おやびんの道特別編 2015年 おやびんの夏休みツーリング 神戸で孫に会い、広島の後輩を訪ね、帰路、五箇山へ

●旅人・文・写真─野口眞一


○おいおい、JAFは呼びたくないよ~!

 ずいぶん気が早いが、桜の花が咲く前、まだ肌寒さが残る頃だった。今年の夏休みツーリングはどうしようかなあ、と考えた。正月明けに女房と神戸の孫の顔を見に2泊3日で行った(新幹線)。でも夏になればグンと成長しているだろう。バイクで神戸まで、最短で550kmくらいかな。高速道路を使えば半日で行けるだろう。そうだ、せっかく神戸まで行くなら、ちょっと足を伸ばして、広島・尾道にいる、かつて何度も一緒に仕事をした後輩も訪ねてみよう。彼は去年の春、某二輪編集部を辞め、東京から郷里に帰って就職し、結婚もしていた。その後「夏、遊びに行ってもいいかな」。打診すると「是非来てください、大歓迎です」。それで決まり。ただ、それだけじゃちょっと物足りないから、帰路は奥飛騨にでも寄ってみようか…。

 5月の連休、娘がムコ殿と孫を連れて里帰りし、1週間ほどこっちにいた。可愛い孫との楽しい日々。風呂にも一緒に入ったが、泣かれた。それから3ヵ月あまり。8月に入って日程を決める。どこも混むお盆休みの後がいいだろう。後輩は会社勤めだから、彼のところには土曜日に行くことにしよう。となると娘のところには前日の金曜日だな。それぞれに電話を入れて確認すると、OK。21~25日までの4泊5日に決定した。数日前から天候が気がかりだった。台風がふたつも日本に接近していた。救いは、25日まで俺が走る予定の地域にはあまり影響はない、との予報だったこと。今更日程は変えられない。できればカッパを着ないで走りたい。去年の夏も娘の産前見舞いと甲子園での高校野球観戦を目的に神戸にツーリングしたが、前半は雨に翻弄された。今夏はどうか、お天気に恵まれますように。お天道様、お願いします。

 8月21日。曇り。前夜は11時頃に寝て、予定より1時間ほど早い3時に目覚めてしまったが、起床。お天気をチェックし、朝刊を読んで、5時、玄関先で女房に見送られ出発。荷物はいつものようにドラムバッグをゴムひもでリアシートに積載。前日にガスを満タンにし、各部もチェックしておいた。用賀ICから東名高速に乗り、西へ。やや速いペースで走る。サンダーバートは好調だ。雲間から時折陽が射してきた。昨夜、女房がつるしておいてくれた、てるてる坊主さんのおかげかなと思いつつ御殿場から第二東名に。そこまではまだ夏休みの人達や学生がいることもあって交通量は多かったが、その後は減少し、快走。

 ところが、200km走行の手前でガス欠になり、リザーブに。飛ばしたのでいつもより燃費が悪かったようだ。それはいいとして、切り替えて10kmくらい走ったらまたもガス欠状態になってエンジンストップ。え? なんで。おかしい。燃料ではなく電気系統かな。どっちにしてもJAFを呼ばないとダメかな…。運よく下りだったのでクラッチ切って、ハザード付けて惰性で路肩を1、2km走り、左側にあった小さな施設の駐車スペースに入った。タンクを揺すると、かすかにチャポチャポ。燃料ホースの樹脂製ストレーナーを見るとガスはある。おかしいな、電気系統ならアウトだな…。5~10分後、セルを回したらエンジン始動。復活した。サンダーバードはキャブだし、パーコレーションだったのかも…。不安を抱えながらも、直近のICで降りて給油しようと再出発。

 90km/hくらいで大人しく走る。数kmでICがあり、さらに4、5km先に浜松SAの表示。降りても近くにガススタンドがあるとは限らない。賭けに出てSAを目指す。なんとか持ってくれた。給油すると約14.5L入った。残り0.5L、危ういところだった。すぐ出発し、豊田JCTから伊勢湾岸道路~東名阪で亀山JCTへ。刈谷SAで早めに2度目の給油をし、飲み物を買って休憩。その後新名神で大津JCTまで100Km/h前後で巡航。雲は多いが雨は落ちてこない。それが救いだ。大津から名神を西に進んで吹田JCTで中国自動車道に入り、宝塚ICに11頃着。走行距離は550km前後と予想していたが、最短の高速ルートだったからだろう、500kmだった。



○お~い、じいちゃん来たで~

 宝塚周辺は陽光も少し射していた。R176を西へ。通りたいと思っていた県道が途中、通行止めになっていると昨日ネットで調べて知り、ほかの県道をと思っていたが、信号待ちで止まったセロー乗りに道を尋ねる。40歳くらいと思われる彼が親切で、行く先を告げると、途中まで先導してくれた。R428に通じる県道の分岐で別れ、ありがとうございました。1時前、娘の家に到着。バイクの音で気付いた娘が窓から孫と顔を見せたあと、孫を抱いて玄関から出てきた。「お~い、じいちゃん来たで~」。孫は見慣れぬじいさんが現れて戸惑い気味だ。娘がそばにいないとすぐ泣き出す。泣き虫で、ちょっと我がまま。でもまあ、まだ10ヵ月半だから、そんなもんか。俺が抱こうとするとベソをかく。残念。でも娘に抱かれていて、俺があやすと笑ってくれる。

 その後孫はお昼寝。俺はまったり。今回のように高速道路を一気に500kmも走ったのはトラでは初だったし、寝不足気味で、半日で約540km走ったのに、心身ともにあまり疲れなかったのが不思議だ。ムコ殿が帰宅した後、近くの店にみんなで夕食に。お天気はよくなって気温も高くなった。帰ってからは孫と遊んだりテレビで世界陸上を見たり。11時前、おやすみ、と3人は2階の寝室へ。俺は1階の四畳半の和室に敷かれた布団の上に横になってすぐに眠りについた。本日の走行距離536km(うち高速道路、約500km)。

 8月22日。晴れ。6時前に起き、外に出て軽く散歩。7時前、3人が起きて1階に降りてきた。ムコ殿は今日、仕事だ。3人で見送る。その後、必要な荷物だけ小分けして小さなバッグに詰め、予報は晴れだったが念のためカッパも一緒にリアシートに括り付ける。8時、娘と孫に見送られ、広島は尾道に向けて出発。事前に調べておいたルートを進むと、なんと通行止め。先月の台風で土砂崩れの被害を受け、復旧されていないとのこと。そんな県道が何本もあるようだ。仕方ないのでUターンして、R428でR2まで下り西に進む。神戸市内のR2は4、5車線もあり、土曜日だったからか、ガラガラ状態だった。


孫はプール・デビューだった。ジジイはもうメロメロ。珍しく泣かれなかった。シャッターを押す娘にアッカンベー

娘と孫と俺。娘が傍にいて手を握っているし、シャッターを押したのがムコ殿なので、孫もご機嫌

孫はプール・デビューだった。ジジイはもうメロメロ。珍しく泣かれなかった。シャッターを押す娘にアッカンベー。 娘と孫と俺。娘が傍にいて手を握っているし、シャッターを押したのがムコ殿なので、孫もご機嫌。


○いい嫁さんだね、大事にしろよ!

 明石を過ぎ、加古川からバイパスに乗るつもりだった。だが標識の案内板は緑で、有料? じゃなかったはずなのに。調べた俺の地図が古いから、変わったのか? 交差点にGSがあったので早めに給油しがてら店員に加古川バイパスはどう行けば? と尋ねる。「標識どおりに行けばバイパスです」俺が有料か無料かを確認すればよかった。彼は、バイパスは無料だと思っていて、俺の聞き方が悪かったので、俺がおかしなことを言うと思ったに違いない。緑色の標識は自動車専用道路の意味で、有料とは限らない。結局、給油後、バイパスに入らずR2を西へ。高砂あたりで道に迷い、無駄な時間と距離を費やした。

 だが、その後は、姫路バイパス~岡山バイパス、玉島バイパスを通って順調に距離を稼いだ。もう7、8年前だが、友人と息子と3人で広島へツーリングしたとき、広島から岡山港に向かって、いくつかのバイパスを通って驚いたが、無料なのに高速道路並みのペースで巡航できる。高架と立体交差で信号がなく、車も100km/h前後で普通に走っている。有料の高速道路を使わなくても距離が稼げる。いいなあ、ありがたいなあ、と改めて思った。バイパスではない区間もそれなりにあるが、1時間に50km走ることは難しくない。

 12時過ぎ、福山に到着。昼飯を摂って後輩に連絡し、尾道の駅前で待ち合わせることに。尾道バイパスを少し走ってからR2に降りて、1時前、駅前に到着。1年半ぶりに再開。元気そうで相変わらず人当たりがいい。航行距離数100mの渡船に乗って彼の家に。とりあえずビールをいただく。ひと心地付いてから、行こう、と言っていた海水浴に出かけた。去年、帰郷する際に結婚した嫁さんは仕事で夕方帰宅するという。彼は自転車も趣味で、2台のロードバイクに乗って海パンとTシャツで出発。5、6km先の、しまなみ海道・因島大橋の真下の砂浜に着。自転車に乗るのも海水浴も何年ぶりだろう。4時半頃に引き上げ、5時帰宅。

 5時半過ぎ、奥さんが帰って来た。「お邪魔してます。初めまして。お世話になります」。「ようこそ、遠くまでよくいらっしゃいました」。奥さんは世田谷で生まれ育ち、縁あって後輩と一緒になることを決め、尾道に嫁いできたという。東京生まれの女性が田舎に嫁いでくれることはなかなかないことだ。6時過ぎ、3人で尾道の田舎町らしい風情ある繁華街に。馴染の寿司屋を予約しておいてくれた。ビールで乾杯し、刺身や握りほか、新鮮なつまみをいただく。締めに近くのうどん屋へ。寿司屋の刺身なども旨かったが、そこのうどんと出汁は最高だった。10時頃帰宅。いい具合に酔って、しばらく二人と話をしてから寝ることに。ああ、今日もいい一日だった。後輩の奥さんは東京で生まれ育ったにしては朴訥な感じの人柄で、好感を抱いた。「いい嫁さんと一緒になれてよかったね。大事にしろよ」。そう思いながら眠りに就いた。本日の走行距離247km。


後輩と一緒に尾道の海で久しぶりに海水浴。後ろの橋は、しまなみ街道の因島大橋

23日朝、世話になった後輩のところを発つ前に、サンダーバードを入れて記念撮影
↑ 23日朝、世話になった後輩のところを発つ前に、サンダーバードを入れて記念撮影。

← 後輩と一緒に尾道の海で久しぶりに海水浴。後ろの橋は、しまなみ街道の因島大橋。


○両親に可愛がられて、いい娘になってね

 8月23日。快晴。今日も6時ごろ目覚めた。外に出て一服した後、テレビを見ていると7時ごろ彼らが起きてきた。コーヒーとくだものをいただく。彼らは明日、月曜日も休みを取っていて小豆島に泊りがけで行くことにしたという(俺が辞してから)。いいんじゃないの。楽しんできて。荷物をまとめ、8時、「ホント、お世話になりました、ありがとうございました」。「遠いですが、ぜひまた遊びに来てください。気を付けて」。神戸の娘宅には1時過ぎに戻る予定で、帰路は橋を渡って尾道バイパスに乗り入れ、東進。日差しが強く、走行中はウエアがメッシュなのでいいが、止まると暑い。いいペースで距離を稼ぎ、12時過ぎ明石に到着。昼食を摂る。その後、地図で確認した県道をつないだが、近くまで行ってまたも道に迷い、2時半頃、着。

 3人はのんびりしていた。お天気がよかったから予定どおり幼児用ビニールプール(ビニールの色とりどりのボールも100個くらい入れてあり、孫が日頃リビングで遊んでいる)を小さな庭に出して、水道の水を入れて準備完了。孫をプールに入れて写真を撮るが、俺が抱いたりすると必ずベソをかいてしまう…。懐いてくれないのが寂しい。30分ほど遊び、終了。その後はみんなまったり。俺は明日、五箇山に泊まる予定だったので、ある宿に電話。ひとりであることを気にして断りそうな気配もあったが「だめですか?」というと「可愛そうじゃねえ、わかりました。おひとりでもいいですよ」と民宿のおばあちゃん。その後は孫の様子をみて時を過ごす。今夜は家食でもいいかと思っていたが、娘たちの都合で外食にということになり、車でパスタ屋へ。帰宅後は孫を愛で、時折世界陸上に目を向けながらビールと焼酎。11時頃、就寝。本日の走行距離248km。

 8月24日。晴れ。6時前に起床。今日もお天気だ。洗顔後、外に出て軽く散歩しながら一服。7時過ぎ、出勤するムコ殿を俺が見送る。娘と孫はまだ寝ていた。昨夜は夜泣きの声がした。21日の夜は珍しく夜泣きしなかった、と言っていたが…。それもあってまだ寝ているのだろう。7時半過ぎ、ふたりが起きて降りてきた。俺はその前に荷造りをすませておいて、8時には出発するつもりだった。が、娘が孫にご飯を食べさせ始めたので、終わるまで見守っていた。よく食べる。娘がスプーンの手をちょっと休めると、はやくくれとせがんで泣きそうになったり泣いたり。ちょっと甘やかせすぎ? でも、ふたりとも孫のことが可愛くて仕方ないようだ。孫がこの先、どんな女の子に成長していくのか、とっても楽しみで、いい娘になってほしいと願う。


24日朝。出発前、娘に撮ってもらったが、俺が抱くと、やっぱり泣き出した。じっちゃんは寂しいよ~
24日朝。出発前、娘に撮ってもらったが、俺が抱くと、やっぱり泣き出した。じっちゃんは寂しいよ~。


○数本の3桁国道を快走して五箇山の宿に

 孫の食事が終わってから荷物をバイクに積み、写真を撮って「バイバイ、また来るで~」。今度はいつになるか。トラでは多分もう来られないだろうけど…。ふたりに見送られて出発。いくつかルートを検討し、県道~R176で宝塚まで行き、高速に乗って京都東ICまで。そこから琵琶湖西岸のR161西大津バイパス~湖西道路などを利用することにした。順調に宝塚ICまで行き、高速に乗ってから100km/h前後で巡航。渋滞はなく、京都東ICまで1時間足らずだった。料金所で訪ね、そのままバイパスに入った。右手に琵琶湖を眺め、左手に比叡山の山なみを見つつ進む。途中、湖西道路の道の駅があったので一服する。周辺地図を見ていると、中年男性に声をかけられた。トラが珍しかったようで、自分はFZR1000やCB-Fに乗っているという。今後のルートを俺が話すと、その先のことはわからないが、途中の道はいいワインディングで景色もよく、おススメだという。

 バイパスが終わったところで昼時になったので、琵琶湖が見渡せる立地の大きな構えの蕎麦屋に入った。やや量が多いざるとサバ寿司2個のセットを注文。そばは硬めでコシがあり、つゆも旨く、鯖寿司もマル。少し高かったがほどよい量で満足。1時前に出発。高島市を過ぎてR161からR303に入り、一部R8と共用区間を走って木之本という街から分離したR303で山に入ろうとした。が、お祭りで通行止め。交通整理のおじさんに迂回路を聞き、なんとか303に戻って山の中を進む。湖西バイパスの道の駅で言われたように、これがいい道で、時折幅員が狭くなったりしたが、平日ということもあって追い越す車もすれ違う車もほとんどなく、快適なペースで中高速コーナーを楽しむ。いい道を選択してよかったなあ…。


琵琶湖畔、R161沿いにあるお蕎麦屋さんの駐車場にて。快晴の下、琵琶湖がきれいに見渡せた

琵琶湖畔、R161沿いにあるお蕎麦屋さんの駐車場にて。快晴の下、琵琶湖がきれいに見渡せた。

 その後、R417を左に曲がり、県道に入ってからR157、R418とつないで山県市へ。ガス補給したスタンドの人に「郡上に行くなら、来た道のすぐ手前でつながっていたR256のほうが早いですか」と尋ねると「そうかもしれない。バイクなら1時間くらいで行けるだろう」とのこと。舗装林道のような県道で時間を食ったので、宿のおばあちゃんには5時には投宿する予定だ、と言っておいたが、危うくなりそうだ。関市が近いので包丁でも女房の土産に買っていくか、とも思ったが、やめた。

 来た道をほんの少し戻り、R256に入る。この道がまたよかった~。山間を走るワインディングで、連なる中速コーナーを気持ちよく駆け抜ける。交通量は303同様に極少ない。郡上市内でR156にぶつかり、少し走ってコンビニに寄る。煙草を買い、宿に電話。4時半になっていた。郡上から白川郷までは約80km。さらに五箇山までは20km近い距離がある。下道ではとても間に合わない。郡上ICから白川郷ICまで東海北陸自動車道を使って1時間と読み、その後R156で20分。6時には投宿できると考え、おばあちゃんには「今、郡上ですが6時には着きます」と。「え? まだ郡上? 6時は無理だね。もっと遅くなるねえ。まあ気を付けて来てください」。



○白川郷ではなくて正解だったのかも

 郡上ICからしばらく100km/h前後で流れていた。が、対面通行区間も多く、遅い車もいて数10km/hペースダウンすることもあった。6時は無理かな、いや、間に合うはずだ。白川郷ICに着いた。時間を確認すると5時44分だった。R156は空いていたので、ハイスピードで北上できた。岐阜県から富山県に入り、五箇山でも飛騨寄りの集落にある宿に着いたのはちょうど6時だった。もう薄暗くなり始めていたが、間に合った。宿の女将のおばあちゃんは、70代後半、80歳近い感じだった。膝を悪くしたとかで階段の上り下りが出来ず、正座も無理だと。連れ合いらしき80前後と思われるおじいちゃんは耳が遠かった。このふたりだけで切り盛りしているのだろうか。誰か若い手伝いがいなくては無理なのでは…。そんなことを思いながら2階の6畳間に。

 客は俺一人。まずは久々に熱い湯を張った風呂に入る。気持ちいい。7時頃からビールを飲みながら夕食。当初は、久しぶりに白川郷の合掌民宿に宿を取ろうか、五箇山にしようか少し迷った末、どちらでもいいかと考えた。白川郷の合掌民宿には過去3、4回、ツーリングで泊まっている。だが、五箇山はいまだ宿泊経験がなかったので、違うところもいいな、合掌民宿ではなくてもいいかな、と思った。それで、23日の夕方、娘の家から、まずは白川郷の観光協会に電話してみたが、目当ての宿は満室とのことだった。で、白川郷はほかの宿も同じだろうと思い、五箇山の普通の家の民宿にしようと決めて(料金が1000円ほど安い)、最初に電話したこの「なかや」という民宿に世話になることになったのだった。

 そんなことを食事しながらおばあちゃんに言うと、ここ数年、白川郷の合掌民宿は団体客(中国や韓国からの)が多く、騒がしくて大変な状況になっているとのこと。国籍は別として、団体客はかしましいものだ。10年ほど前にバイク仲間ふたりと息子との4人で止まった折りは、夕方まではバスの団体客でごった返していたが、宿泊客はそれほど多くはなく、夜は静かだった。でもここ数年で状況が変わったようだ。団体客が各合掌民宿に分宿するのだろう。そうか、それで目当ての宿もいっぱいだったのか。団体客が一緒では煩わしい。五箇山で正解だったのかも。白川郷は世界遺産になってから、以前とは状況が大きく変わってしまった。

 食後、静かな周囲を散歩しながら一服。時折、大型トラックが猛スピードで通り過ぎていく。宿は道路から10mも距離のない道端にあって、その後もしばらくはトラックの通過する轟音が時々響いた。10時過ぎまで世界陸上などテレビで見て、天気もチェック。日本に近づいていた二つの台風=15号16号が気懸かりだったが、後者は関東に接近する前に北東に進路を取り、波を除いて影響はほとんどないとのことだった。ただ、もっと西を北西に進んでいた前者は進路を北東に変えて沖縄、九州地方に影響を与えるとの見通しで、25日は近畿や東海にも風雨を及ぼすという。岐阜や長野は午後から雨で、東京は終日曇りとの予報だった。なんとか雨をしのいで帰れそうだ…。11時前に就寝。本日の走行距離422km(うち高速道路150km)。


泊まった五箇山・西赤尾地区の民宿の近くにある、白川郷・五箇山で最大の5階建て合掌造りの岩瀬家。国指定重要文化財だけあって、とっても立派

菅沼の合掌集落手前にあった、体験宿泊などができるという合掌家屋が立ち並ぶ施設。散在していた合掌家屋を移築したもので、10棟くらいあったかな…

菅沼の合掌集落手前にあった、体験宿泊などができるという合掌家屋が立ち並ぶ施設。散在していた合掌家屋を移築したもので、10棟くらいあったかな…。 泊まった五箇山・西赤尾地区の民宿の近くにある、白川郷・五箇山で最大の5階建て合掌造りの岩瀬家。国指定重要文化財だけあって、とっても立派。


○二つの合掌集落を訪ね、高山~松本へ

 8月25日。曇り、途中で時々小雨。6時前に起きた。雲が多かったがちょっと青空も。外に出て散歩。その後テレビで再度お天気をチェック。荷造りをすませ、7時下に降りて朝食をいただく。最終日の今日は東京に帰るだけだ。でもせっかく五箇山に来たのだから、こっちの合掌集落も見て写真を撮ろうと思った。7時半、ふたりが庭まで出てきて見送ってくれた。国道を北上し3km先の菅沼合掌集落に。その後、少し迷ったがこの際だからと、10km先の相倉集落にも行ってみた。菅沼より規模が大きく20軒くらいの合掌家屋があるという。8時過ぎ、駐車場に。おじさんがバイクは100円だよ。写真を撮るだけだったが、要求されまま100円の駐車料金を払う。写真を撮るとすぐに引き返した。通勤の軽自動車が数台走る中を白川郷まで戻る。

 まだ9時前だったため、白川郷も人影はまばらだった。多分宿泊客だけが散歩&観光していたのだと思う。天生峠を越えるつもりだったが、通行止めになっていた。仕方なくR156を荘川まで行って、それから高山、松本へ、と考えた。18の夏、九州ツーリングの帰路に初めて白川郷に泊まったとき、夕闇迫る御母衣ダムで写真を撮った。その御母衣ダムの大きかったこと。日本最大のロックフィルダムだとその後知る。その御母衣ダムを過ぎた頃、R158との分岐が現れ、左折してR158を東進する。そして道の駅「桜の郷荘川」に立ち寄る。一服して飲み物も飲み、土産を4、5点購入。雲は厚めだったがまだ雨は落ちてこない。いいぞ。R158は多分、過去、通ったことがあると思うが、高山市街手前までの数10kmは快適なワインディングで「いい道だなあ、せせらぎ街道に近いじゃん」と頬が緩んだ。相変わらず交通量は少なく、ペースも上々だ。

 高山の市街地はパスするつもりで標識に従って県道に入ったが、わかりにくく、ちょっとだけ迷ってロス。でもその後は平湯経由で順調に。ところが平湯を過ぎたところで高速の看板とR158の分岐。R158も確かトンネルが出来て峠越えをしないですんだはずだけど、と思いつつ、高速は使うつもりがなかったので旧道の安房峠を選択。これが失敗で、昔とは違って、道が荒れ狭くて舗装林道のようだった。そのため時間がかかり、後悔。その頃から細かい雨が落ちるようになった。ただ、路面が完全に濡れるほどではなく、カッパは着ないで走り続けた。峠を越えてR158に戻ると交通量は増え、遅いバスやトラックもいて、九十九折区間では数10km/hのローペース。ちょっとイライラ。道の駅でトイレに寄って一休みしていたら追い越したバスやその後の車列の後塵を浴びることに。観念して一台のバイクの後ろに付き、おとなしく走って松本市街まで。


菅沼の合掌集落。国道から脇道を下った、庄川の谷あいにせり出した平坦地にある。現在の合掌家屋は9棟

こちらは相倉の合掌集落。菅沼同様に合掌家屋(20棟)に地元の人たちが暮らしていて、民宿をしている家も数軒

菅沼の合掌集落。国道から脇道を下った、庄川の谷あいにせり出した平坦地にある。現在の合掌家屋は9棟。 こちらは相倉の合掌集落。菅沼同様に合掌家屋(20棟)に地元の人たちが暮らしていて、民宿をしている家も数軒。


○またもガス欠寸前、学習能力ないねえ

 松本市街に入ってからも小雨がパラついて雲行きも怪しい。12時を過ぎていたので食堂に入る。昼食を摂っているうちに本降りになればカッパを着るしかない。でも、食後も雨はまだ落ちてこなかった。1時前に出発してR19号を南下する。その後R20号に入って甲府あたりまで行ってから高速に乗れば5時頃には帰宅できると読んだ。塩尻峠は昔から何度も通っているが、塩尻側の上りは2車線(左側は登坂車線)あって、高速コーナーが連続。トラではそれなりの速度でコーナリングを楽しんだが、中大型SSならより高い速度でのコーナリングが可能だろう。高性能バイクにぴったりの峠道だが、こんな道だったっけ…。

 岡谷を過ぎて諏訪に入る。交通量は増え、ペースダウン。小雨もぱらついて、時間がかかると判断し、予定変更して諏訪ICから中央高速に乗ることにした。その後も小雨がぱらつく天候が続いたが、カッパを着るほどではなかったのでよかった。双葉のSAで給油しようかと思ったが悪い癖で先送り。走りながら次のSAはどこだっけ? 談合坂だったよな。もつよな。と思っているとガス欠でリザーブに。SAまではまだ40kmほどの距離。で、ペースダウン。90km/h前後で走り、トラックの後ろに付いて風の抵抗を減らしたり、下りでクラッチを切ったり。精神衛生上よくないんだから、早めに給油すればいいのに、相変わらずバカだねえ…。やっと談合坂SAの標識が出てきた。あと3kmか、もってくれよ。どうにか滑り込んでセーフ。コーヒーを飲んで一服。スタンドで給油したら14L以上入ったからヤバかった。SAを出たのは4時ごろで、雲が多く薄暗くなってきていた。

 府中から調布の間で渋滞もあったが、環八はそれなりという感じで、5時過ぎ、帰宅。今日は疲れた。宿を出てから標高が高いルートがほとんどで用意していったナイロンのインナーと袖を切ったトレーナーを着たからどうにかしのげたが、寒さで体が多少硬くなり、疲れが増したのだと思う。それにしても出かけた21日から24日までずっと暑かったのに、最終日はグンと気温が下がり、秋の気配が感じられるほどだった。初日、ガス欠騒ぎで焦ったが、トラは無事に走り切ってくれた。サンダーバードよ、今回も故障せず1900km走破してくれてありがとう。あと何度ツーリングできるかわからないが、最低でもあと1年、長ければ車検が切れる再来年の夏までは付き合うつもりだ。本日の走行距離451km(うち高速道路約170km)。

 そうそう、忘れるところだったが、今回のツーリングで77777kmになる計算だったので注意していた。その数字に並んだのは24日夕方、宿に到着する数km手前で、ちゃんと写真に撮った。100mの右端まで入れて、777777と7が6個並んだ。今回は、孫と後輩に会うことが第一目的だったが、4、5日目は従来のツーリングスタイルだった。24~25日、走りながら「なんで俺はこうやって走るツーリングが多いんだろう」と考えた、というか自問した。どこかを観光する時間は短いし…。答えは、気に入ったバイクで走ることが楽しいから、ということになるのかなあ…。今回の総走行距離1904km。来年の夏は還暦祝いを兼ねて北海道にいくつもりだ。


五箇山の民宿に着く数km手前で、77777,7kmに。
五箇山の民宿に着く数km手前で、77777,7kmに。丸18年乗ってこの距離だから、若い頃に比べると走る距離が減ったなあ…。


野口眞一

野口眞一
1956年、7月生まれ。バイクに乗って40数年、バイク雑誌関係の仕事に就いて30数年。若い頃からバイクの旅が好きで、日本各地を走り回ってきた。所有するバイクは今となっては滅多に見ないトライアンフのサンダーバード(1996年型の水冷並列3気筒)で、18年以上り続けている。長く乗っている割には走行距離は2015年8月現在で7万7777kmオーバー。

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