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 1999年に伊豆へ移住、取材以外にも伊豆スカイラインや西伊豆スカイランを走ることが多く、地元のバイク乗り仲間にも恵まれていた私、ことKAZU中西は、伊豆スカイラインライダー事故ゼロ作戦の開催とその経緯を彼らに話してみた。多少の反発もあるかと思っていたが、いわゆる締め出し案ではないことからほとんどのライダーより賛同が得られ、未来のライダーが走れる道を守っていこう! と、同作戦に参画・協力していくことで合意した。この時はまだ組織化されておらず、皆に連絡をする代表者として私が機能していたが、2010年6月に起こった大型二輪車3台が絡む大事故を機に同作戦の継続が危ぶまれ、同時に締め出し案を推す声が浮上してきた。ならば地元のバイク乗りとしてもっと積極的に事故防止を呼び掛けていこう! そのためには組織化が必要という運びとなり、伊豆のワインディングロードを愛するライダー有志一同として団体化した。これが現在の「伊豆スカ事故ゼロ小隊」である。

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事故ゼロ作戦第1弾。通行禁止策は問題となっているライダーが他の地域に移るだけで、根本的な解決策ではない。ライダーの安全運転意識に問いかけることで事故を防げないだろうかと発案、実行されたのが伊豆スカイラインライダー事故ゼロ作戦。とは言え、第1弾はまさに手探りの状態。パレード走行とゲストによる安全講話が実施された。
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箱根の旧道に今も残る通行規制。当時のサンデーローリング族を対象としているのがよくわかる。歴史的に見どころも多い道路だけに規制解除を希望するのだが、一度実施された規制はそう簡単に解除されないのが実情。

 1964年の東京オリンピック開催を見据え、1960年当時はまだ有料道路であった十国峠線と接続する形で計画・着工された観光道路、それが伊豆スカイラインである。1962年に熱海峠~巣雲山間が開通、1964年に天城高原ICまでが全線開通となった。伊豆スカイラインの名称は公募によるもので、開通当初からマイカー客や観光バス等の通行で賑わいを見せており、1963年には沿線の弦巻山にて全日本モトクロスオートレースも開催されたことから、ライダーたちにも広く知られる道となっていた。そもそも観光地であり国立公園でもある富士山箱根伊豆地域に縦走する41.5km(開通当時。現在は40.6km)をノンストップで走りきれるワインディングロードであることから、’80年代のバイクブーム下では、いわゆる走り屋やツーリングライダーによって「走りのメッカ」と称される道路の一つとなり、容易にアクセスできる関東圏のライダーはもちろんの事、西日本や東北からもライダーが訪れる場所となった。

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伊豆半島の東部を縦走する伊豆スカイラインと西部を走る西伊豆スカイライン。計画では大規模な環状観光道路として接続されるはずだった。両方が大仁警察署の管轄内にあり、どちらも二輪車事故が多発している。規制案が立ち上がるのも必然的だと言えるだろう。

 ’80年代の奥多摩有料道路や大垂水峠がそうであったように、富士山箱根伊豆地域のワインディングロードでも、ライダーのサーキットまがい行為=ローリング族が問題視されるようになり、箱根峠を基点とする国道1号線や県道化された十国峠、伊豆スカイライン、1969年に開通した西伊豆スカイラインでも二輪車の事故が目立つようになる。その対策として1986年~89年に掛けて、国道1号線では警察による大規模な取締りが実施され、異常過熱していた「ローリング族問題」は沈静化の様相となった。
 
 アクセス路の入り口にて取締りの強化が実施されたためか、伊豆スカイラインにおいても二輪車の事故件数は低レベルで推移していたが、1999年頃より重傷事故が増加し始め、2003年頃からはさらに急増。1999年は死亡事故6件、2003年では人身事故32件、2006年~2008年は3年連続で死亡事故が発生している。2007年以降の全事故数における二輪車事故は、県平均6.9%に対し80.0%という異常な数値となっていた。主な事故原因としては、速度の出し過ぎと運転操作の不適正が挙げられる。そんな事故実態の中、2010年より社会実験として伊豆スカイライン全線一律200円の通行料金案が実施されると決まった。となればどうなるか? 通行台数の増加に伴い更なる二輪車事故の増加が懸念され、その対策として関係者の間で二輪車通行禁止案が浮上したというわけである。

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後の伊豆スカ事故ゼロ小隊となる伊豆のワインディングロードを愛するライダー有志一同。事故防止の啓発ビラくばりと声掛けを、自分たちのできる範囲で可能な限り活動する手弁当のボランティア活動だ。ツーリングなどで訪れる多くのライダーに賛同、激励いただく。

 しかしながら、以前より用いられてきた通行禁止措置では、事故多発の場所が他へ移るだけで根本的な解決にはならない! 単にライダーを締め出すのではなく、官民一体となってライダーの安全運転意識に訴えかけ、それを高めることで事故を減らしていけるのではないか? という考えを当時の大仁警察署・交通課長が提案。関係者協議を経て、2009年より実施されることになったのが“伊豆スカイラインライダー事故ゼロ作戦”である。

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伊豆スカイラインの本線上に残る事故の痕跡。現場を通るたびに悲しい気持ちになるのは、事故の痛みを知るバイク乗りだから。しかし、そんな場所でもお構い無しに爆走していくバイクは少なくない。さらに悲しい気持ちになる。

 話は少し遡るが、当初の同作戦は伊豆スカイラインの二輪車通行禁止案について考えるフォーラムとして開催される予定だった。その際、官の語り手は伊豆スカイラインのほとんどを管轄する大仁警察署、道路管理をしている静岡県道路公社となるが、民はどうするか? ということになり、関係者協議を経て声掛けされたのが静岡県東部地区の二輪車安全運転推進クラブとMotoGPの解説者であり元ワークスライダーの宮城光氏、地元伊豆在住で二輪車安全運転県大会(山梨)にて優勝経験をもつ二輪ジャーナリスト、KAZU中西=私であった。「地元の道路である伊豆スカイラインから二輪事故を撲滅したい。地元在住のライダーとして参画いただけないだろうか」大仁警察署からあった打診に対し、「締め出す発想ではないのならぜひ参画させていただきたい」と私は快諾した。またその際に、地元のバイク愛好家にも伊豆スカイラインの危機的状況と新たな対策を広めていただけないか? という打診もあり、これについても可能な限り協力する旨を返答した。(…次回に続きます)
 
(KAZU中西)


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