2015年5月28日 

■ただのヒストリックバイク展じゃない!  走って、音を聞いて、匂いがする「サウンドofエンジン」

左からケニー・ロバーツ(64)、エディ・ローソン(57)、ケビン・シュワンツ(50)。こうやって見てみると、やっぱりケビンは若い! この2年、参戦してくれている鈴鹿8耐に話が及ぶと「今年はないね、ごめんね。来年ならあるかもしれないよ! ケニーとエディで3人で走ってもいいくらいだね」とケビン。するとケニーが「やってもいいぞ。もちろん結果を問わないならな!」とひとこと。横でエディがクスクス笑っているという、息の合った3人です。


好天に恵まれた5/23~24日の鈴鹿サーキット。サウンドofエンジンは、イギリスのグッドウッドフェスティバル・スピードを目指して、来年以降も継続させたいという。そうです、こういうイベントは継続することがいちばん大事! 2スト500cc時代のGPってよかったよなぁ、っていうファンは、ぜひとも来年以降のサウンドofエンジンへ!

 聞きなれない「サウンドofエンジン」というイベントは、もちろん初開催。平たく言えば、ヒストリックマシンのヘリテイジイベント。ただ、これまで行われていた「鈴鹿サーキット50周年記念イベント」やファン感謝デーと違っていたのは、車両展示はもちろん、実走やエンジン始動を前提としたイベントだった、ってこと。それどころか、ただのデモランより、も少し本気で走らせちゃおう、ってところまで踏み込んだ内容だったのだ。

 参加するレジェンドたちは、まずライダーがケニー・ロバーツ、エディ・ローソン、それにケビン・シュワンツ! ちょっと時代は違っても、あのすばらしい80年代のロードレースシーンを彩ったヒーローたち! マシンもその時期の2ストローク500ccがメインで、ホンダNSR500、NS500、ヤマハYZR500、スズキRGV-Γ、そしてカワサキKR500!

 こういったイベントに慣れた、目の肥えたファンにとっては、そのマシンならコレクションホールとかコミュニケーションプラザで見てるよ、前のイベントでも走ったよ、なんてこともあるかもしれないけれど、やっぱり2ストローク500ccの音、それに匂いは、なんど体験してもイイものです。あぁ、こういう音だったなぁとか、これこれこういう匂いだなぁなんて、気持ちまでノスタルジックになってきます。



この日のためにRSタイチさんが、わざわざ当時のペプシカラーを完全再現したレザースーツを作ってくれました! しかも、ラッキーストライクカラーのRGV-Γで走る時のために、とラッキーストライク(風)カラーのツナギも! どーです、この写真! まるであの頃そのままなのは、いろいろな人の協力があってこそなんです!(写真/鈴鹿サーキット) デモランの周回数を終えると、ケビンはやおらマシンに立ち上がり、あの88年の、そして89年の日本グランプリで見せた「バンザイ」ウィニングランを再現! ちなみにこのポーズ、本人もお気に入りで、きちんと自分でも「バンザイポーズ、ネ」って発音するのだ。このポーズ、土曜も日曜もやってくれました。まだあの勇姿、目に焼き付いてます……。


89NSR500で初日だけデモンストレーションしたエディ。当初、東コースだけ走行の予定が、フルコースを走りたい、ということになり、それがホンダの整備規定距離を越えてしまう、ってことで日曜の走行は見合わせ。エディが鈴鹿フルコースを走るのはこれが最後かも、と急な発案にOKを出してくれたホンダさん。粋な計らいでした!(写真/鈴鹿サーキット) 初日に実現したスズキグランプリマシンのそろい踏み。ゼッケン1のRGV-Γはケビンが、ゼッケン8のRGBは水谷さんが、ゼッケン34のRGV-Γはマシンオーナーのスティーブさん(だっけな)がライディング。世界のどのイベントでも、2台のRGV-Γが走るシーンなんかお目にかかれません! スティーブさん、ケビンレプリカツナギ作りなよぉ!(笑)

 しかも今回の目玉は、ケビン・シュワンツが駆ったRGV-Γ、しかもペプシカラーの個体が鈴鹿を走ること! マシンは89年モデルで、まさにケビンがあの時に鈴鹿で勝って以来の走行とのことで、それ目当てに集まったスズキファンが多かった印象でした。

 ペプシカラーのRGV-Γといえば、2012年3月の「鈴鹿サーキット ファン感謝デー」にも登場しましたが、あの時は展示のみで走行はお預け。なのに今回それが実現したのは、このマシンがスズキ所有のものではなく、イギリスのグランプリマシンコレクターのもので、今回のイベントのために空輸で持ち込まれたものだったからです。

 他にも、1994年モデルのRGV-Γ(ラッキーストライクカラー時代)やKR500、これまたレアなカジバC589も登場。これらもイギリスのコレクターさんの持ち物を空輸したもの。対してNS/NSR500と3台3世代のYZR500は、それぞれホンダとヤマハが用意したもので、YZR500は残念ながら走行なし。

 けれど、こういうヒストリックマシンを走行させるのって、整備しなきゃいけない、もちろん消耗パーツさえないってのが当たり前ですから、YZRが走れなかったことは残念だけど、仕方なし! 次の機会に、またぜひお願いします!って気持ちで待っていましょう。

 さらに、ローソンとNSRに関しては、土曜に走行して、日曜は走行見合わせ。これは当初、東コースの周回、と決まっていたデモンストレーション走行を、エディ・ローソンの希望でフルコースに変更したため、事前に決まっていた走行距離(規定マイレージ)を越えてしまったから、という理由だったようです。これも仕方がないことで、マシンを用意してくれたホンダが、マシンの整備状態よりもエディの希望をかなえたからだったんです。エディが、思い出の鈴鹿フルコースを走ることなんて、おそらくこれが最後のチャンスかもしれない、だったらエディの希望を聞いてあげたい、ってのが理由だったのかもしれませんね。



78YZR500はケニーが世界GPにフル参戦を開始した年のマシンで、結果ケニーは、デビューイヤーから3年連続世界チャンピオンを獲得。マシンはパイプフレームに2ストローク並列4気筒エンジン(スクエア4は81年から)を搭載し、ヤマハのコミュニケーションプラザに保存されているもので、この黄色×黒が俗に「インターカラー」といわれている原型。 わずか3年間だけ世界GP500ccクラスに姿を現したカワサキKR500。この車両は82年モデルで、2ストロークスクエア4気筒エンジンをアルミモノコックフレームに搭載。この車両もイギリスのグランプリマシンコレクターさんが日本に持ち込んでくれたもので、日曜日のデモランの時には走行予定がなかったケニーさんが乗るという世界初公開シーンが!


82RGB500は、もちろん「東海の暴れん坊」水谷勝さんがライド。しかし土曜にエンジントラブルが発生し、日曜には走行を見合わせ。ちなみに全日本でもGP500クラスが行われていたこと、知ってますよね? 81年にスタートした全日本GP500は、木下恵司さんが初代チャンピオンに輝き、水谷さんは82年シリーズを全勝してチャンピオンを獲得しました。 82年のスズキ市販GPマシンRGB500と水谷勝さん。この年の水谷さんは、全日本選手権の全7戦を全勝してチャンピオンに輝くが、翌83年から平忠彦さんに3連覇を許してしまう。「あの時は平しか見とらんかったね。平に勝ったら日本一じゃもん、優勝せんかっても平に勝ちゃぁエエと思うとった」と水谷さん。このRGBは今でも大事に保管している。
ホンダが世界GPに復帰した79年のマシンは4ストロークマシンNR500で、82年からは2ストローク3気筒マシンNS500を投入。そのNSで83年にチャンピオンとなったのがフレディ・スペンサーで、84年には4気筒エンジンのNSR500を投入するも、完成の域には遠く、フレディはたびたびNSを引っ張り出し、2レースで優勝してみせた。 88YZR500はエディ・ローソン車。エディはこの年、84年、86年に続く3度目のチャンピオンを獲得するが、88年オフにヤマハからホンダへ電撃移籍! そのまま89年にもチャンピオンを獲得。03年にホンダで、04年にヤマハでチャンピオンを獲得したバレンティーノ・ロッシより15年も前に2メーカー連続タイトル獲得という離れ業をやってのけていた。 88年にフルモデルチェンジしたスズキのGPマシン、RGV-Γ。ケビンもこの年からグランプリにフル参戦を開始し、デビューレースとなった鈴鹿での日本GPでいきなり優勝! この年2勝を挙げてランキング8位になると、89年にもまた開幕戦・鈴鹿で優勝し、この年は6勝。写真はケビンが「ベストなバイクだった」と言う89年モデル。


90YZR500はウェイン・レイニーによるチャンピオンマシンで、ここからレイニーが3連覇し、4連覇を狙った93年のイタリアGPで負傷。そしてその年、ケビンが初チャンピオンとなるのです。ちなみに90YZR500は15戦で7勝(残りはケビンが5勝、ワイン・ガードナーが2勝、ミック・ドゥーハンが1勝)、わずか1レースしか表彰台を外していません。 94RGV-Γは、前年に初めてワールドチャンピオンとなったケビンが、初めて34番以外のゼッケンをつけてGPに参戦した記念すべき年のマシンであり、その94年はフル参戦のラストシーズンでもある。この時、ケビンは30歳。「今でいえばまだまだやれる年齢だが、あの時のボクは肉体的にも精神的にもボロボロだったんだよ」とケビンは言う。

 イベントは、このヒストリックマシンの走行をはじめ、空き時間にはエンジン始動デモンストレーション、トークショーやサイン会、というもので、今までのこういったイベントよりも、もっとゲストとお客さんの距離が近かったように感じました。写真にもありますが、熱心なケビンファンが、本来なら立ち入り禁止のペプシΓ整備スペースに立ち入りを許され、それどころか整備スタッフの方から「またがっていいよ」というOKをもらって、おそるおそるまたがっていた姿も印象的でしたね。ケニーさんなんか、ニコニコしながら「スズカはオレの手にダメージを与える気なんだな。2日間で何枚サインしたかわからんぞ」って笑っていました。

 さらに、60~70年代の、国内のヒストリックマシンのオーナーさんも参加。ただ古いだけじゃないぞ、タイムアタックだってするぞ、ってイベントだったので、カワサキH2R(もちろん70年代の2ストローク3気筒の方ね)、スズキRGB500(これは水谷さんが土曜のみ走行)、ホンダCB125JXやヤマハTA125、ブリヂストン90の鈴鹿フルコース全開走行、も実現しました。こういった企画も、今までのイベントとの大きな違いでした。

 鈴鹿はこのイベント、今後も続けていきたいようです。ヒストリックマシンを所蔵しているメーカーだけじゃなく、個人でお持ちの方も含め「古いマシンのこと、忘れちゃだめだな」って思わせることが、このイベントのスピリットのような気がしました。

 来年、あなたの思い出のマシンが出場するといいですね!

(撮影・文:中村浩史)

トークショーでは、見事に息の合ったところを見せてくれたエディ、ケビン、ケニー。エディもわざわざ、この日のためにロスマンズカラー風のツナギを作ってもらったそうです。日本でバイク人気を盛り上げるには?って質問には「GPを鈴鹿でやればいいんだ」(ケニー)「ボクもそう思う。100%そうだね」(ケビン)「私もそう。100%賛成するよ」(エディ)と、さすが鈴鹿を何100周も走ったライダーらしいお言葉。も…もてぎもいいコースですよ。