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CRF250 RALLYが大阪モーターサイクルショーでワールドプレミアを迎えた。それに先だってHondaがソースを発表した直後から世界は大きな反応を示した。それは造り手が想像したとおり(あるいはそれ以上の)手応えだったはずだ。まだ売るとは一言も断定してないが、このバイクが放った期待感たるや相当なもの。 |
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大阪モーターサイクルショーでベールを脱いだCRF250 RALLY。その模様はこちらから。 | ||||
まずはダカールラリーを少々紐解こう。
「冒険の扉がある。 |
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だからこのラリーは、ある者には旅であり、冒険であり、レースだった。目的に向かって移動をする特別な毎日、それを暮らすのだ。なるほど冒険である。1988年、1992年、かく言う僕も冒険の扉を開けた一人だ。そして2015年、ホンダの優勝を目撃すべく23年ぶりにダカールの現場へ取材者として参加した。 |
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ラリーのスタートを控えた1986年12月暮れ、2連覇に向けベルサイユ宮殿前のパルクフェルメにたたずむTEAM HRCのNXR750。1987年の1月1日にスタートしたラリーでシリル・ヌブーは自身5度目となる勝利をゼッケン95のNXR750でおさめる。天候不順なパリ。屋外のパルクフェルメに備え、ワークスマシンの多くは透明のボディーカバーで存在をアピール。 | ||||
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ずらりと並んだファクトリーチームのサポートカミオン。一番左、小柄なウニモグがTEAM HRCのサポートカミオン。当時、サポートは参加したエントラントから受ける、というのを基本としていたダカールラリーでは、ルート上でサポートをするため、メカニックが走らせるクイックアシスタンスカー、そしてより大きなパーツを載せたサポートカミオンを用意するチームも多かった。ビバーグへの物資運搬のカミオンは3軸の大型(写真では右の3台)だった。 | 1987年のラリーにしても古典の部類にはいるラリー偽装をしたプライベーターのXR。大きなタンク、分厚いシート、補強したサブフレーム、明るいハロゲンのドライビングランプなど1982年にヌブーが勝利した時のHondaのマシンを思わせる出で立ち。タンクのペイントは当時のトレンドだった。 | |||
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