THE BIG-BIKE COLLECTION 創意と技術で新時代を拓いた大排気量モデル 第一集 ハイパフォーマンスモデル

 歴史的車両から現行車まで、ヤマハの歴史を彩る多数の製品やレーサーなどが展示されているヤマハコミュニケーションプラザにおいて、企画展「THE BIG-BIKE COLLECTION 創意と技術で新時代を拓いた大排気量モデル」が開催されている。
 2014年11月7日〜2015年1月30日の第一集では、暗中模索の時代を脱し飛躍的な進化を遂げたハイパフォーマンスモデルにスポットを当て、世界をリードしたエポックメイキングな7台が展示された。
 企画展は今後も2月〜4月に個性派モデル、4月〜6月にクルーザー&ツアラーの展示が予定されているので、ぜひ足を運んでほしい。
●撮影─松川 忍 ●取材協力─ヤマハ http://www.yamaha-motor.co.jp
ヤマハコミュニケーションプラザhttp://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/
350R1

 1960年代、ヤマハスポーツモデルのフラッグシップは250クラスであった。1965年2月に305ccのYM1が登場したが、YDS-3ベースのボアアップ版で、1967年にアルミシリンダー、セル付モデルDS5Eをベースにした305M2に進化したが、250の延長であった。
 好調な日本経済の成長と共に高速道路も開通し、さらなる大排気量化、高性能化への気運は大きく高まるなか、1967年2月、ついにヤマハ初の専用設計350モデルが登場した。現代のスーパースポーツフラッグシップYZF-R1にその名が受け継がれた、名誉ある初代ビックバイク350R1の誕生である。ヤマハとしては初の上下水平分割式のクランクケース、メタリックボンド製法による鋳鉄スリーブの入ったアルミシリンダー、耐久性や気密性が格段に向上したセンターオイルシール、テフロンリップオイルシールなどの新機構により、ゼロヨン13.8秒、最高速度173km/hと高性能をアピールした。スリムコンパクトが信条といわれた従来のヤマハデザインを超越した重厚な車体とデザインは、グッドデザイン賞を受賞、このデザインを踏襲した弟分の180cc版CS1Eも登場している。
 余談ではあるが、1968年12月に起きた三億円事件では、盗難車の350R1がニセ白バイとして使われたことでも有名になった。


350R1

350R1

350R1

350R1
●エンジン︰空冷2ストローク2気筒ピストンバルブ
●総排気量(内径×行程)︰348cc(61×59.6mm)
●最高出力︰36ps/7000rpm
●最大トルク︰3.8kg-m/6500rpm
●圧縮比︰7.5︰1●変速機:5速リターン
●全長×全幅×全高︰2060×770×1050mm
●軸距離︰1335mm●乾燥重量︰170kg
●燃料タンク容量︰15ℓ
●タイヤ前・後︰3.00-18・3.50-18 
●発売当時価格:228,000円

YM1

350R2
ヤマハ初のオーバー300ccは、YDS-3のボアを60mmに拡大して1965年に登場した305ccのYM-1。コミュニケーションプラザに展示されている。 350R1は翌年3月に5ポートのニューエンジンとなり、よりスポーティなタンク形状へモデルチェンジした350R2に進化する。輸出専用で国内では販売されていない。

350R3

350R3-C
国内ではR2は発売されず、フロントフェンダー、マフラーなどを小変更した350R3が1969年1月に発売された。翌年には350RXへとフルモデルチェンジし第一線を退く。 1968年の東京モーターショーで発表された350R3-Cは、アップマフラー、ブリッジ付ハンドルを装備したバリエーションモデルのスクランブラー。国内販売が予定されていないと発表されたが、反響の高さからか1969年1月から国内も販売された。

4スト大排気量時代の幕開け。ヤマハは独自路線を突き進む。

 350R1でハイパフォーマンスモデルへの先鞭を付けたヤマハであったが、翌年にはCB750FOURショックが世界を駆け抜け、国産車も本格的な大排気量モデル=ナナハンの時代へと向かった。
 軽量、スリム、ハイパワーな2ストイメージが強いヤマハであったが、1970年には初の4ストロークエンジンを搭載したビッグツインモデル650XS1を発売し、早くも4スト大排気量戦線に参入を開始していたが、2ストメーカーの威信をかけるように、1971年の東京モーターショーに、フューエルインジェクション付2ストローク水冷4気筒エンジンという、当時としてはかなりのハイメカニズムなプロトタイプモデルGL750も発表していた。

 しかしメイン市場であった北米では騒音や排出ガスなど環境問題がクローズアップされ始めたこともあり、大排気量2スト車のGL750は陽の目を見ることはなかった。当時のライバルはホンダCB750FOURを筆頭に、カワサキのZはまだ誕生前で、4ストロークバーチカルツインのW1と、2ストロークの空冷トリプルで怒濤の加速力を誇った750SS、そしてスズキは2ストローク空冷2気筒のT500という布陣で、4社4様のバラエティに富んだ布陣であった。



GL750

XS1
1970年2月に登場したヤマハ初の4ストモデル650XS1。バーチカルツインエンジンはXS650系まで脈々と受け継がれた。 東京モーターショーに出品されたGL750は陽の目を見なかったが、エンジンはレーサーTZ750に受け継がれた。
XS1100

多気筒、ハイパワー路線から距離を置き、独自の道を歩んだヤマハであったが、時代はさらなる大排気量、ハイパワー、大型多気筒化を求めていた。ヤマハも3気筒のGX750を発展させたヤマハ初のオーバーナナハンモデルにして初の4気筒モデルXS1100を開発した。軽量、コンパクト路線を伝統としたヤマハとしては、DOHC4気筒1101ccエンジンは最高出力95ps、最大トルク9.2kg-mを発揮するハイパフォーマンスを見せたが、駆動はシャフトドライブを採用し、ツアラー指向が強いモデルであった。輸出専用モデルで、北米仕様はアップハンドル、欧州仕様はコンチハン、バックステップ、オイルクーラーを装着した。


XS1100

XS1100

XS1100

XS1100
●エンジン︰空冷4ストローク4気筒DOHC2バルブ
●総排気量(内径×行程)︰1101cc(71.5×68.6mm)
●最高出力︰95ps/8000rpm
●最大トルク︰9.2kg-m/6500rpm
●圧縮比︰9.2︰1●変速機:5速リターン
●全長×全幅×全高︰2260×920×1175mm
●軸距離︰1545mm●乾燥重量︰255kg
●燃料タンク容量︰20ℓ
●タイヤ前・後︰3.50H19・4.50H17 
●発売当時価格:輸出車

XS1100Midnight Special

XS1100Police model
XS1100Specialにブラック&ゴールドをあしらったMidnight Specialは、内外で人気となったがもちろん輸出専用車。 珍しいシングルシートのXS1100警察仕様。国内向けではなく、東南アジア向けに輸出されたようだ。

XS1100S

XS1100Special
XS1100Specialにコンチハンを装着したスポーツクルーザーXS1100Sは、1981年の欧州向けモデル。 ヤマハといえば、アメリカンモデルのスペシャル。XS1100ベースのXS1100Specialは特に北米で高い評価を受けた。

ロータリー、4バルブ、3気筒、V4と模索の時代。

 1972年、この頃はまだ毎年開催されていた東京モーターショーに、ヤンマーディーゼルとの共同開発のロータリーエンジンを搭載したRZ201が出品された。ハイパフォーマンスモデルの新たなるジャンルかと期待されたが、第四次中東戦争によるオイルショック(石油価格高騰)により開発は断念され、GL750同様に陽の目を見ることがなかった。
 その代わりという訳ではないが、ナナハン競争では遅れを取っていたヤマハからついに初のナナハンTX750が登場した。1973年にはXS650系のバーチカルツインエンジンのTX650、DOHC4バルブの高速ツインエンジンのTX500も登場しシリーズ化されたが、ヤマハ伝統のスリムコンパクトなツインエンジンとコンパクトなスタイルは、大きいことはいいことだというイケイケ時代の中では、残念ながら主流にはなれなかった。

 1976年、ヤマハもついに多気筒路線へとスイッチするが、既存の4気筒ではなく、120度クランクを持ったDOHC3気筒エンジンのGX750を開発した。駆動はシャフトドライブでありスポーツモデルというよりツアラー的なイメージであった。
 同年の東京モーターショーで発表され注目を集めたモデルがXS1100。伝統の軽量コンパクトから、ハイパワーな重量車へと大きく路線を変更したヤマハ初の4気筒車で、もちろんオーバーナナハン解禁前の日本では発売されない輸出専用モデルであった。また、1977年のモーターショーでは、DOHCの水冷V4エンジンを搭載したレーサーYZR1000も展示され、1980年代のヤマハの方向性を予感させた。


RZ201
1972年の東京モーターショーに出品されたロータリーエンジンのRZ201。

TX500

GX750
1973年4月に登場したヤマハ初のDOHC4バルブエンジンを採用したTX500。 1976年4月には、世界にも類を見ないDOHC3気筒120度クランクのGX750を発売。
RZV500R

 1983年秋のパリショーでRD500LCが衝撃的にデビューした。250並のホイールベースの軽量なボディに、ハイパワーな水冷V型4気筒の2ストエンジンを組み合わせ、GPレーサーYZR500(OW61)を市販化するというコンセプトで、国内仕様はアルミフレームのRZV500Rとして市販された。
 時はレーサーレプリカブームの過熱期とはいえ、1970年代のオイルショックや、厳しさを増す環境問題により、今後の2ストロークはせいぜい250クラスまで、それ以上は4ストが当たり前で二度と蘇ることは無いだろうと思われていただけにそのインパクトは大きかった。スズキRG500、400Γ、ホンダNS400Rが後に続いたが、4スト優位の時代の趨勢に抗うことは叶わず、太く短い2ストビッグらしい一生であった。


RZV500R

RZV500R

RZV500R

XS1100
●エンジン︰水冷2ストロークV型4気筒ピストンリードバルブ+クランクケースリードバルブ
●総排気量(内径×行程)︰499cc(56.4×50mm)
●最高出力︰64ps/8500rpm
●最大トルク︰5.7kg-m/7500rpm
●圧縮比︰6.6︰1●変速機:6速リターン
●全長×全幅×全高︰2085×685×1145mm
●軸距離︰1375mm●乾燥重量︰173kg
●燃料タンク容量︰22ℓ
●タイヤ前・後︰120/80-16 60H・130/80-18 66H 
●発売当時価格:825,000円

RD500LC

RD500LC
1983年パリショーでお披露目されたのは欧州仕様のRD500LC。フレームは鉄でフルパワーの87馬力。 欧州向け1985年モデルには赤黒の専用カラーが用意された。ちなみに北米向けはRZ500の名称で発売された。
VMAX

「みなぎるように力強くポジティブなマシンを」という北米からの要求に応え「ゼロヨン10秒」「単純明快にパワー&マッチョスタイルを具現化」というコンセプトで開発されたドラッグイメージのハイパフォーマンスモデル。300kgオーバーの車体を高速で引っ張る大陸横断ツアラー、ベンチャーロイヤルの水冷V4エンジンをベースに各部を改良強化し、さらに1つのシリンダーに2つのキャブから混合気を押し込むVブースト機構を追加して当時世界最強の145馬力、12.4kg-mのトルクを達成、迫力あるフォルムと相まって、独自のVMAXワールドを築いた。各部の改良を重ねつつ2007年モデルまでの長きに渡って愛され続け、1990年から1999年までは国内仕様も発売された。


VMAX

VMAX

VMAX

VMAX
●エンジン︰水冷4ストロークV型4気筒DOHC4バルブ
●総排気量(内径×行程)︰1198cc(76×66mm)
●最高出力︰145ps/9000rpm
●最大トルク︰12.4kg-m/7500rpm
●圧縮比︰10.5︰1●変速機:5速リターン
●全長×全幅×全高︰2300×795×1160mm
●軸距離︰1590mm●乾燥重量︰254kg
●燃料タンク容量︰15ℓ
●タイヤ前・後︰110/9VR18・150/90V15
●発売当時価格:輸出車

VMAX

VMAX
1986年からは欧州仕様も加わったが、Vブースト機構のない100馬力仕様だった(写真は1987年モデル)。 1987年の北米仕様モデルはフロントホイールがディッシュタイプになるなどマイナーチェンジ。

VMAX

VMAX
1990年からはヤマハのオーバーナナハン第一弾として、Vブーストのない97馬力の国内仕様VMAX1200も加わった。 最終モデルは2007年モデルでタンクカバー上部にフレア模様が描かれている。

百花繚乱、総開花した黄金の時代。

 迎えた1980年代は、空前のバイクブーム。16歳になるとこぞって原付免許を取ってバイクに乗るのが当たり前、原付スクーターがおばちゃんの足となり、革ツナギの女性ライダーも増加した。ホンダとナンバーワンの覇権を争う、いわゆるHY戦争も勃発し、良くも悪くもバイク業界は空前の活気にあふれ、怒濤の新車ラッシュが始まった。

 1980年、400並のコンパクトな車体に空冷4気筒DOHCエンジンを搭載したXJ650(輸出車)が登場し、翌1981年750版のXJ750、さらにバリエーションモデルとして、コンピューターモニターシステムを搭載した近未来的なXJ750A、フルカウルを装着したXJ750Dが続々と誕生した。
 全く新しい横置き981ccのVツインエンジンをプレスバックボーンフレームに搭載した意欲的なXV1000TR1(輸出車)や、モーターショーには世界初のバイク用ヤマハサイクルコミュニケーションシステムというコンピュータ制御システムとターボを装着したXJ1100ターボが参考出品された。

 1982年には二輪車世界初のキャブターボシステムを搭載したXJ650ターボ(輸出車)、1983年にはこれもヤマハ初の水冷V4エンジンを搭載した豪華ツアラーXVZ12TD(輸出車)、1984年にはこのV4エンジンを流用し、新たな形のハイパフォーマンスマシンを具現化したVMAX(輸出車)、そしてまさかの2ストビッグ復活として大きな話題となったGPマシンレプリカRZV500R、世界最速を狙った野心作FJ1100(輸出車)、1985年5バルブのジェネシスエンジンを搭載したヤマハ初の本格的スポーツナナハンFZ750、1986年FJ1100のパワーアップ版FJ1200(輸出車)、1987年ヤマハ初の本格的な大排気量レーサーレプリカFZR750、FZR1000(輸出車)、1989年にはホモロゲマシンFZR750Rなどあらゆるジャンルのあらゆるハイパフォーマンスマシンが生まれ、百花繚乱の黄金時代を迎えた。



XJ750
XJ750Eはヤマハ伝統のスリムでコンパクトな4気筒車を実現。


XJ750D
XJ650ターボ風の外装にコンピュータ制御モニターシステムを搭載した近未来派のXJ750D(写真は1983年型のXJ750DⅡ)。

XJ650T

TR1
1981年の東京モーターショーに参考出品されたXJ1100ターボは、コンピュータ制御を採用するも市販には至らず。 横置きの空冷Vツインエンジンをプレスバックボーンフレームに搭載した野心作XV1000TR1。国内ではXV750Eが発売された。

XJ650T

FJR1200
XJ650をベースに小型タービンのターボチャージャー、大型カウルを装着したXJ650ターボ。SECAのサブネームが付く。 空冷最速を狙ったFJ1200は後にABSを装備して1991年に国内仕様のFJR1200Aも発売された。
FZR750R

 レーサーレプリカブームが1つの山を越えた1989年4月1日、500台の限定で発売された公道版TT F1レーサー。当時、究極のレーサーレプリカと呼ばれた。それもそのはず、既存のFZR750ベースのレース仕様ではなく、1987、1988年と8耐を連覇したワークスレーサーYZF750からフィードバックされたテクノロジーが注ぎ込まれ、ほぼ全てが新設計というまったくの別物であった。エンジンはレイアウトこそFZR750と同様の水冷4気筒DOHC5バルブだが、ボアもストロークも異なるショートストローク化された新設計。国内仕様は自主規制の77馬力だが、輸出仕様のフルパワーは121馬力を発生した。専用パーツのチタンコンロッド、水冷式のオイルクーラー、6速クロスミッションなどを組み込み、フレームも新型のアルミデルタボックス、リアにはオーリンズサスが組み込まれ200万円という大台を越えた価格設定であったが、内容と生産数を考慮すればむしろ安い内容であったと言える。


FZR750R

FZR500R

FZR500R

FZR750R
●エンジン︰水冷4ストローク4気筒DOHC5バルブ
●総排気量(内径×行程)︰749cc(72×46mm)
●最高出力︰77ps/9500rpm
●最大トルク︰6.7kg-m/7500rpm
●圧縮比︰11.2︰1●変速機:6速リターン
●全長×全幅×全高︰2100×705×1160mm
●軸距離︰1455mm●乾燥重量︰187kg
●燃料タンク容量︰19ℓ
●タイヤ前・後︰120/70R17 58H・170/60R17 72H 
●発売当時価格:2,000,000円

 海外のみ500台限定で発売されたため、国内ではあまりなじみのないスーパーバイクのベースマシン。四輪のF1エンジンテクノロジーからフィードバックされた高剛性、軽量なチタニウム合金製のコネクティングロッドやチタンパーツなどの専用パーツをふんだんに組み込んだエンジン、剛性の高められたフレームなど、即レースに出場できるパフォーマンスの高いマシンだが、さらにキットパーツを組めば最高出力は165psに達した。価格は日本円に換算すると約400万円にも達したが、1999年の全日本スーパーバイクでは吉川和多留選手が7連続表彰台を獲得し優勝するなど、パフォーマンスの高さを実証した。


YZF-R7

YZF-R7

YZF-R7

YZF-R7
●エンジン︰水冷4ストローク4気筒DOHC4バルブ
●総排気量(内径×行程)︰749cc(56.4×50mm)
●最高出力︰106ps/11000rpm
●最大トルク︰7.4kg-m/9000rpm
●圧縮比︰11.4︰1●変速機:6速リターン
●全長×全幅×全高︰2060×720×1125mm
●軸距離︰1400mm●乾燥重量︰176kg
●燃料タンク容量︰23ℓ
●タイヤ前・後︰120/70ZR17・180/55ZR17
●発売当時価格:輸出車

新たなる時代へ。

 何事にも始めがあれば終わりが来る。空前のバイクブームも、1990年代に入るとレーサーレプリカの衰退と共に市場規模は縮小し始めたが、入れ替わるようにネイキッド旋風が巻き起こり、まだまだバイク熱は冷え切ってはいなかった。
 ネイキッドブームは空冷4気筒ブームともリンクし、空冷4気筒のビッグモデルXJ1200が誕生した。さらに1990年代末には、サーキットから公道に軸足を移したスポーツとハイスピードツーリングを両立させたYZF1000Rサンダーエース(輸出車)のような、新たなスーパースポーツも誕生した。レーサーレプリカとは似て異なるスーパースポーツは、後継モデルのYZF-R1(当初は輸出専用)によってハイパフォーマンスモデルのフラッグシップとして定着、軽量コンパクトなボディにハイパワーエンジンという、2スト時代から脈々と流れるヤマハの源流に回帰するような出来事であった。
 2000年代になると、オーバーナナハン解禁、免許制度の改正、馬力自主規制の撤廃、仕様などのグローバル化などバイクを取り巻く環境は大きく変わった。国内仕様オーバーナナハンのVMAXやFJ1200Aの国内仕様も登場し、また新たなジャンルのオートマチックスポーツのTMAXも誕生するなど、新たなる時代を迎えている。


YZF1000R

YZF-R1
1996年に登場したポストレーサーレプリカのYZF1000Rサンダーエース。軽量な車体にハイパワーエンジンで高い運動性を実現。 YZF1000Rサンダーエースの後継車。現代版スーパースポーツのフラッグシップといえば1998年に登場したYZF-R1。

XJ1200

TMAX
1990年代のネイキッドブーム、空冷4気筒ブームで誕生したXJ1200は1300にバージョンアップし現在も発売中。 スクーターに高いスポーツ性能を持たせ、2000年に登場したオートマチックスポーツという新ジャンルを提唱したTMAX。
VMAX

 締め括るように特設会場の出口に展示されていたのは、2008年にカリフォルニアで発表され、大きな話題となったニューVMAX。初代の持つマッチョスタイルのイメージを上手にトレースしつつ、1679ccのニューエンジンを完全新設計のアルミフレームに搭載し、ヤマハ独自の電子制御システムG.E.N.I.C.H.によって制御されるなどで、VMAXは生まれ変わった。2009年からは国内仕様も再び登場し、現在も好評発売中。


VMAX
●エンジン︰水冷4ストロークV型4気筒DOHC4バルブ
●総排気量(内径×行程)︰1679cc(90×66mm)
●最高出力︰111kw(151ps)/7500rpm
●最大トルク︰148N・m(15.1kg-m/)7500rpm
●圧縮比︰11.3︰1●変速機:5速リターン
●全長×全幅×全高︰2395×820×1169mm
●軸距離︰1700mm●乾燥重量︰311kg
●燃料タンク容量︰15ℓ
●タイヤ前・後︰120/70VR18 59V・200/50R18 76V
●発売当時価格:2,220,000円 (本体価格)

ヤマハコミュニケーションプラザ

CP

CP

 ヤマハ本社の横に位置するヤマハコミュニケーションプラザ。元々は社員同士のコミュニケーションを図る場として設立されたが現在は常時一般開放されており、ヤマハ新旧製品やレーサー、貴重な書籍や映像などを無料で閲覧できる素晴らしい企業ミュージアムとなっている。スーベニアショップ「プラザショップ」や喫茶スペース「カフェプラザ」もあり、今回ご紹介させていただいたような趣向を凝らした企画展も随時開催されている。基本的に平日と第二第四土曜日が開館日だが、変更になる場合もあるので公式サイトで御確認を。

靜岡県磐田市新開2500 http://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/

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