●文-武さん ●写真-koji kawanami・Take San
●Special Thanks 野口装美・アライヘルメット・D.I.D・RIDE RUN MOTO VARESE・永安工業・SUSIE DIGITS 「レースマイル502の舗装路でマシントラブルでストップ。寒いです」
2014年の俺たちの夢はここで途切れた。と同時に2011年のレースを思い出した。 |
国道1号線から右折し、バヒアデロサンゼルスに向かう道を30kmほど走った所にマグ7Pitがあり、その横に#275Xの赤い点滅のライトが光り停まっていた。その横には毛布にくるまった後藤君が。ストップしていると思われる地点から数マイルほどをアメリカ人のトラックの荷物の上にバイクを縛り付けて運んでもらったらしい。この車が来るまでに何台かの車が止まってくれたが、怪しそうな人達だったので断ったようだ。サポート隊の到着まで、なんと9時間も待っていたらしい。行方不明にならなくてよかったね。コンロでお湯を湧かしアルファー米で朝食をとって一安心。 止まったままのマシンは、ギアを入れた状態で押しても引いても動かない。クラッチを切れば動く。原因はクランクからカムシャフトの間だという事は判るが、部品の特定にはエンジンをバラバラにするしかない。手持ちの部品は、組み替える前の古い部品ピストン、シリンダーヘッド、シリンダーしかない。もし、クランクシャフトなら修復は不可能だし、パッキン類の手持ちもないので修復は諦める。 コース距離の半分弱の場所でのリタイヤとなってしまったが、この先ゴール地点であるラパスまで4輪で移動するか、それともエンセナダに戻るかの判断が分かれる所。時間内での完走は出来なくても、ゴール地点まで行きたいチームもあるだろうが、これは考え方の違いでなんともしがたい。我々の判断は、戻る事で一致した。ここで今年のBaja1000は終了した。 自慢じゃないが俺は海外で4輪を運転した事がない。数えきれないほど行ってはいるが、いつもVIP待遇で助手席にすら乗っていない。が、今回はプリランの時にちょっとだけ運転させてもらった。日本ではほとんど見かけないフォード社のE-350という大型サイズの車だ。運転してみて、日本の200系ハイエースワイドとあまり変わりがなかったので安心して運転できた。当然、左バックミラーの無くなった車を俺も交替要員として運転した。センターラインとの間隔の取り方に戸惑ったが慣れだね。 |
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まさにBaja1000からBaja500になってしまったのだ。チーム員の4人はまだ30代の若い方達なので、この先まだまだチャレンジするチャンスはあるだろうが、齢61歳11ヶ月の俺には次のチャンスが訪れる事はもうないだろうなーなんて考えながらのリタイヤだった。 |
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FORD E350。日本ではあまりお目にかかる事はないが、アメリカでは、極めてポピュラーな車両。 | ||
[後編へ] ●武さんが読めるのは本誌だけ!?
[CRF250Fでサハリンを走る] |