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ホンダがワークスチームとしてダカールラリーに復帰して3シーズン目。いよいよ2015年ダカールラリーに向けた体勢も整った。
5人のライダー、ニューマシンをひっさげ、サハラ砂漠北部、モロッコを舞台に2014年10月3日にスタートした「オイリビア・ラリー・モロッコ」(以下モロッコラリー)に参戦する。
ラリーファンを自認する一人としてはいてもたってもいられず、ラリー見物に出かけたのである。
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モロッコラリーの話の前にちょっとダカールの話をさせて欲しい。
世界一過酷なラリーと言われる、ダカール。
1978年暮れにこのオフロード冒険ラリーは始まった。フランス、パリをスタート、地中海を渡り、サハラを横切り、アフリカ大陸、大西洋沿いの国、セネガルの首都ダカールへと走る壮大なラリーだ。走行距離は1万キロを越え、3週間をかけた大冒険。バイク、クルマ、トラック……。およそ地上を走るものなら参加を拒まれることは無く、FIAやFIMの公認イベントとなってからは、シーズンオフのプロレーサー達が参加し、一国のVIPや、大会社のオーナーが応接間のように荷台を改造したトラックで参加したことも話題になった。
1986年には砂嵐に見舞われた参加者を救出に向かったラリーの創設者であるティエリー・サビーヌがサハラで帰らぬ人となった事すら、話題の一つになるほど、このラリーは求心力を高めていた。それがダカールである。
ちなみに、サビーヌは有名な言葉を残している。
「冒険の扉がある。
扉の向こうにはあらゆる危険と困難が待ち受けている。
望むなら連れて行こう。
だが、扉を開けるのは、君だ」
スタートとゴール地を略してパリダカと呼ばれたが、パリばかりか、フランス国内、スペイン、ポルトガルなど様々な場所にスタート地点は移動した。またゴールも、セネガル、エジプト、南アフリカ、そしてパリ〜ダカール〜パリという往復で行われる事もあった。
ダカールは様々な理由で開催場所を2009年から南米大陸に移した。ダカールラリーという呼称はそのままに。
2012年夏。ホンダはダカールラリーへの復帰をアナウンスした。80年代後半、ホンダが魅せた快進撃は、僕自身がダカール熱にとりつかれた数年後のこと。縁あってダカールに参加した時、現地でワークスマシン、NXR750Rのナマ音を聞いてしまったりもした。
時代も開催場所もスポーツ性も全てが当時から変化している。そのギャップを飛び越えて簡単に勝てるほど甘くは無いことは百も承知だが、日本メーカーの本格参戦が途絶えて久しいダカールにとって、ホンダの復帰は大きなニュースだった。
と、書いている僕自身、実は南米のダカールについては聞きかじりの情報しか持っていない。あの頃とは時代が違いますよ、とは現役参加者の言葉だ。せっかくホンダが出ているのに、ナマを見ない手はない、というのがここ数年膨らみ続ける内なる思いだった。
今のラリーは一体どうなっているのだろうか。矢も楯もたまらず「とにかく見に行かないと」と、ダカールラリーの前哨戦であり、ホンダが2015年に向けたバイクを走らせるモロッコラリーを見るべく、着替えをつっこんだバッグを転がし、空港へと向かったのである。
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モロッコラリーに先だって、2014年9月23日、ホンダは来年へのチーム体勢発表会をMotoGP第14戦が行われるモーターランド・アラゴンにて行なった。大きく進化させたCRF450 RALLY、そしてライダーラインナップは、ジョアン・バレーダ、パウロ・ゴンサルベス、エルダー・ロドリゲスという2014年のダカールをホンダで闘ったライダーに加え、新たにチリ人ライダー、ヘレミアス・イスラエル、ここ数年、ダカールラリーでも女性部門で連勝を続けるライア・サンツをワークスに迎えた5人体勢となった。
ホンダのニューマシンの完成度は、ライダー達のコメントからもうかがえる。パウロ・ゴンサルベスなど「バイクと結婚したいほど」と思わず冗談を飛ばす。
その出来映え、チームの闘いもモロッコでは見られるはずだ。
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アルフードのサービスパークにて。ダカールに向けてマシン、ライダー、そしてチームが結集したモロッコ。全員前向き。
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そして、FIMクロスカントリーラリー・ワールドチャンピオンシップ第6戦でもあるこのモロッコは2014年シーズンの締めくくりでもある。そのポイントスタンディングで、ディフェンディングチャンピオン、ホンダのパウロ・ゴンサルベスは10ポイント差で現在2位。1位はKTMのマルク・コマ。ダカールラリーで4回の優勝経験を持つ彼は、このモロッコでパウロが優勝したとしても、5位以上に入ればタイトルを手にすることが出来る。パウロにとっては大一番でもある。マニファクチャラーズ・タイトルはより拮抗していて、その差は僅か1ポイント。タイトルが掛かる最終戦にして、新メンバーが揃って走り、ニューマシンの完成度もここで見られる、という正に見どころ満載なのである。
3年目のダカールに挑むCRF450 RALLYも見所が多い。現在、450㏄に制限されている排気量ながら、パワーアップは必須。しかし高回転高出力となりがちなエンジン特性をよりリニアにするため、新たにスロットルバイワイアーが採用された。また、フレームの剛性バランスの見直しや、ボディーのスリム化など、長い距離を攻め続ける事が求められるバイクへと成長させたという。同時に、パドックで闘うメカニックのために、さらなるメンテナンス性の向上を図り、長いラリーで必須な整備を短時間で行えるよう工夫がされている。
ホンダのラリーチームの代表を務める山崎勝実さんはこう語る。
「ダカール参戦はもちろん勝つことが目的です。このプロジェクトには研究所のエンジニアが多く関わっています。その目的を達成するのと同時に、究極の場で培った技術をいち早くお客様に買って頂くバイクの開発に転化すること、厳しい現場を経験し、技術者を育てることも大きな目的の一つです。KTMの経験値と戦う事は簡単ではありません。でも高い目標だからこそ、挑む価値があるのです」
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チームのマネージャー、マルティノ・ビアンキさん。「ラリーは明日、始まります。言うまでもなくここはモロッコ。アフリカの中では安全な国ですが、みんな、気を引き締め、安全には注意をして」等々の諸注意、そしてライダーが紹介された。
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ヘルメットの一部を修復するバレーダ。指先には液体ガスケットが。「ちょっと外しちゃったんだよね」と悪戯っぽく笑う。
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3日間、ラリーが滞在するアルフード。ホテル近くにあるサービスパーク(パドック)。ステージを終えたライダーは昼前には戻ってくる。午後4時ぐらいまでに明日の準備を終えるのがルーティン。ライダー専属のメカニックがメンテナンスをする。
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いろいろな意味でダカールを2ヶ月後に控えたモロッコラリーは楽しみなイベントなのだ。
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オイリビア・ラリー・モロッコが行われるモロッコは、ダカールラリーが2007年まで舞台にしていたサハラで行われる。またマラケシュ、カサブランカなど観光地としてもお馴染みだ。モロッコは地中海に面しジブラルタル海峡を挟んでヨーロッパに最も近いアフリカでもある。しかし飛行機で日本から飛ぶとやっぱり遠かった。成田からパリに飛び、ラリーの主催者が手配した550ユーロのチケットでパリからワルザザットへと飛ぶ。ラリーがスタートするアルフードまでワルザザット空港からクルマで5時間ほど。トランジットなどの関係もあり結局、自宅からアルフードまで30時間以上を費やした
プレスセンターを構えたホテルに到着し、ロビーでチェックインしていると、ワークスチームのライダー達がぴかぴかのラリースーツ姿で歩いている。どうやらラリー前に撮影でもしていたようだ。Wi-Fiが飛んでいるロビーで、だれもが携帯片手にSNS中。いきなりテンションが上がる光景にすっかり時差ぼけも忘れ、まるで子どものようになる現地10月2日の午後4時だった。
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2日の夜、HRCラリーチームの代表を務める山崎さんはじめ、チームの皆さんと夕食を共にし、ライダー、チームのメンバーたちにも挨拶をさせてもらう。そのワクワク感から取材のはずが地に足がついていないのが自分でも解る。いくつだ、俺?
翌日、午前中から参加者達の書類検査などが始まる。ラリーの業界では受付でのペーパーワークを“人検”と呼ぶことがある。あれこれ用意した書類を窓口ごとに提出しスタンプをもらう。そのスタンプ台紙に必要なだけスタンプが集まるとその書類審査は終わる。これに時間が掛かる。ドクターの問診を受けたり、時にナビゲーションの設問もあったりするから、まさに人の試験。それで人検なのだ。
参加者の人検も、その受付時間はゼッケン別に指定され、入り口には“タイムコントロール”が設定される。タイムカードを出し、そこから受付へと赴く。競技はここから始まっているわけだ。
人検の会場は、ホテルのバンケットルームのような場所で、いくつものテーブルが置かれそれぞれの担当者が座っている。どこか一箇所に全部の書類をドサっと出すのではなく、まずは参加受理書、次は運転免許とパスポートのチェック、保険などの書類のチェック、ドクターの問診、車体に貼るステッカーの配布、ラリー中の食事のクーポンの配布等々……、とにかくアチコチを廻り、その都度、エントラントリストで名前探しから始まり、担当者は仕事にあたる。最終的に参加者の手首にはアームバンドが巻かれるのだが、そこまで空いていても軽く小一時間はかかる。
例えるなら、お祭りの日、境内に出た屋台で、まずは焼きそば、次は杏子飴、お面のあるオモチャの屋台でバットマンのそれを探し、次は金魚すくいで赤と黒、2匹をすくったら、最後は型抜き。失敗せずにそれが出来たら、射的で的を落とし、景品がわりの品を持って最後にようやく欲しいものに変えてもらえる、という感じなのだ。超アナログである。
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その人検の最後に車検用のカードが配られ、ホテルの敷地内で行われる車検へと向かう。バイクはエントリー用紙に記載した車体番号、エンジン番号の確認、マフラーからの全開騒音をチェックし、公道を走る上で必要となる保安部品の作動を確認する。その後、エンジン、フレームへのワイアリングやペイント(勝手に交換できないようチェックするため)が行われる。そのために燃料タンクやアンダーカバーを外すため、時間がかかる。そして装備品検査などが行われる。
プライベーターの中には、テールランプなのかブレーキランプかが点灯せず、電気テスターまで引っ張り出してハーネスをチェックする姿も。「さっきまで点いていたんだけど……」という言いぐさは通じない。
KTMやホンダのワークスチームはほぼ同時に車検会場に現れた。KTMのワークスライダー達は、ホンダのCRF450 RALLYに、ホンダのエンジニア達はKTMのマシンに興味津々の様子だった。お互い、どんな造りになっているのか、やっぱり気になる。時計は昼を過ぎ、クルマやカミオン(トラック)も車検に現れた。ホテルはラリーの華やかさにつつまれる。こうしたお祭り気分は夕方まで続いた。
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モロッコラリーの総走行距離は1995キロ。それを6日に分けて走る。その内、競技区間であるスペシャルステージの合計は1442キロ、宿泊地となるビバークからステージのスタートまでの移動やフィニッシュ後の移動となるリエゾンの合計が553キロとなっている。
ラリーは10月4日、ここアルフードでスタートし、9日にマラケシュでゴールする。用意された6つのステージの特徴は4日、5日のステージは受付、車検を行ったアルフードのホテルの前がスタート地点となり、5日はザゴラへ移動、6日もザゴラ滞在、7日の朝、ザゴラを発ち、マラケシュへ。そして8日、9日はマラケシュをスタートするというもの。つまり、ビバークは3箇所。どこもホテルに泊まれるので、連日テント泊をする必要は無い。ホテルに滞在する参加者も多い。
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4日朝5時。空に星が見える。ホテルではまだ暗い中レストランに向かって歩くギュ、ギュ、とオフロードブーツの音が聞こえてくる。ライダー達は朝食をとり、ホテル前からのリエゾンスタートの時間までを過ごす。6時45分、最初のバイクが走り出す。ここから20数キロ離れた場所まで移動し、そこからモロッコラリー最初のスペシャルステージが始まる。
この日の276キロのステージは、固い路面のダートからスタートし、河床をゆくハイペースな道を進み、砂丘に入る、というもの。翌日からはこの日の成績順で朝のスタート順位が決まる。そこで各ライダーの戦略が見えてくる。
サーキットやモトクロスと違い、ラリーでの特徴はライダー自らナビゲーションを行い主催者が設定した道を走ることだ。まず主催者が用意したルートブックに記された距離、分岐の模式図等を頼りに走る。危険な箇所、方位、山のカタチが絵で描かれている場合もある。
ナビゲーションにはラリーならではの特徴が他にもある。誰かが前を走っていればそれを追従することでナビゲーションへの負担を少なくすることが出来る。もちろん、前のライダーが間違えれば自分もロスをする可能性があるが、ダブルチェックしながら走れる分、後追いは優位とされている。
例えばダートで埃がひどいルートでは、前走車は少ないほうが埃が少ないから自分のペースを保ちやすい。例え前走者のペースが自分より遅くても、路面が見えないからリスク無しには近づけないからだ。翌日のルートが埃の多い道が想定されるならば、一つでも順位を上げておいた方が、翌日のスタートには有利となる。ただ、砂丘が多いと想定される場合、砂ではあまり埃がたたない。砂丘に道はないから、方位をデジタルコンパス(東西南北の方位を0度〜360度で表示するアイテム)で確認しながら走ることになる。その場合、先頭を走ると計器とルートブックをみながら走るため、ペースが上げにくい。また、ここでは後追いのほうが砂丘についた轍を追いかけられるため、やはり楽にペースを確保しやすい。ただし、ルートブックは前日に主催者から渡されるので、経験で山を張るしかない、のだが……。
ラリーのスタートは一斉スタートではなく、2分、ないしは1分、または30秒間隔(スタート順位によって変わるが、上位ほどその間隔は長い)となる。前走車を追いかけて走るならば、ライバルのスタート順、自分との時間差を認識していれば、そのライバルに追いついた時点でライバルとの間隔をスタート時間差分詰めたことになる。
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アルフードのホテルから28キロ先にスペシャルステージのスタートはあった。時計ブランドiceウォッチの巨大時計がオフィシャルカーに置かれていた。その先にはデジタル表示のものがちゃんと置かれている。
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この日、最初のスタートを務めるのはアラン・デュカロス。シェルコに乗る彼はダカールで頭角を現した速いライダー。以前KTMのファクトリーライダーだったホワン・ペデレロがチームメイトだ。ダカールに向けた新型のテストを兼ねた参戦だ。スタート前、静寂の中でルートを確認する。
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スタート3秒前のヘレミアス・イスラエル。久々のラリー、ホンダのワークスマシンを射止め、最高の走りを見せるも、この日、ポカミスを犯してしまう。
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このラリーでは2014年ダカール仕様のバイクを走らせるライア・サンツ。今年のダカールでは南米のディーラーチームが仕立てたカスタマー仕様のCRF450 RALLYで本家ファクトリーライダーを食う活躍を見せた。トライアルの選手権参加はひとまずお休み中だが、エンデューロ、エンデューロクロスはもちろん、四輪でも24時間耐久レースへの参戦など、話題が豊富なモータースポーツ万能の女性ライダー&ドライバー。
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総合成績はスペシャルステージの順位ではなくステージの走行時間の合計で決まる。なので、仮に初日にライバルとステージの走行時間に5分の差があったとしても、後追いが得意なライダーならば、ラリー中の残る5つあるステージ(モロッコの場合)で先行させ、砂丘で追いつき、離れずにフィニッシュすれば、スタートの時間差分、数分は時間を詰めたことになる。順位狙いならば、自分と直接関係のあるライダーをマークし、連日の走りをマネージメントする。ステージをトップタイムで走り切れば、ステージ優勝となって、翌日のステージは先頭スタートになる。総合順位ではなく、ステージ順位で走行順が決まるのがラリーの面白いところでもある。逃げ切り、後追い、ステージの特徴を予測し、経験値を加味して、ラリー全体を捉えて走り、最終日にトップに立てるような時間差を組み立てれば良いのだ。
だからステージ優勝を多くとっても優勝できるとは限らない。それがラリーの難しさと面白さでもある。
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スタートを見たあと、ホテルで時間を潰し、9時前にプレスバスに乗ってゴール地点へと向かった。アルフードの町外れにあるフィニッシュはまだ静かだったが、10時前にはライダー達が走りこんできた。
ホンダのバレーダ、ゴンサルベスらが先頭で到着。少し時間をおいてマルク・コマが現れた。最後まで全開だったホンダ勢とは逆に、KTMのコマは明らかに手前から少しペースを調整しフィニッシュした。
その時は「何故コマはアクセルを抜いたのか?」と思ったが、その日のリザルトを見て、ハッとした。彼は3位。偶然とはいえ、ゴンサルベスの1秒おくれで3位となっていた。つまり翌日は3番手スタート。これは狙った以外のなにものでもないのではないか。いずれにしても後方からCRF450 RALLYの走りを観察するつもりなのだろう。
ホンダのゴンサルベス、バレーダをチーム代表の山崎さんは言う。
「先頭を走りながらナビゲーションをしつつトップを取れるライダーは数えるほどしかいない。コマもその一人ですが、バレーダ、ゴンサルベスも数少ないそのなかのライダーです」
たしかに飛ばしながらナビをするのは容易ではない。ホンダに加入以前からバレーダもゴンサルベスもダカールでは爆発的な速さを見せていた。また、コマは熟練のライダーながら捕るところ、抑えるところを使い分けるライダーである。もちろん、勝負を掛けた時は着実に時間を詰め、総合でライバルを抜く技も持ち合わせている。初日から面白いことになった。
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スタートを切るマルク・コマ。完成度の高いKTM のファクトリーマシンを駆る。新型はマフラーが右出しだ。
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夜露が湿らせた空気。朝、空気が停滞した中、先行ライダーの埃はうごかずに空気中に漂う。後方スタートのライダーはスタート直後から視界が悪い。
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ATVもラリーでは人気だ。カテゴリー名はクワッド。ラリー仕様に改造されたマシンはどれも精悍で逞しい。
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この日、ヘレミアス・イスラエルは手痛いミスを犯した。スペシャルステージが終わり、そこから始まるリエゾンのゴール(スタートしたホテル前にそれはあった)でチェックポイントを通らなかったのだ。と、いうのも、ホンダチームのサービスパークへの入り口が、ゴールチェックが置かれたホテル前(スタート地点と同じ)の400メートルほど手前に入り口があり、ヘレミアスはそこから直接チームのメカニックが待っているパドックに帰ってしまったのだ。
チェックポイントを通過していない事に気が付いた時、すでにリエゾンに与えられた制限時間は過ぎ、初日から彼は遅着で2時間というペナルティーをもらう事になる……。
イスラエルは、2014年のダカールにスピードブレインからエントリーしていた。そして彼はプライベートチームながらワークス勢に割って入る速さを見せていた。1月14日、ステージ9を終えた段階での総合順位はトップと2時間7分6秒差の4位。優勝は難しくても3位が見えるポジションだ。
しかしその翌日、彼は不運に見舞われる。ラリーを見物に来ていたクルマと衝突、肩と腕を負傷し、ラリーを去ることに。そして2014年のシーズンは、その治療に専念し、このモロッコラリーがダカール以来のレースとなったのだ。初めてのワークスチーム、ワークスバイク。チリ国内ではモトクロスのタイトルを多く獲得し、4シーズンをAMAスーパークロスで過ごしたほか、ISDEでもE2クラスで5位に入賞する腕前だ。久々のラリーで気分良く飛ばせて思わず浮き足立ったのも、わからないではない。
「まるでラリーのビギナーのようなミスをしてしまったよ……」
そう落ち込むが、ホンダが認めた速さは本物のようだ。
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