第39回 Japan Noodles of surprise.
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太平洋戦争の敗戦から7年後、日本はどのような状態だったのか、想像できますか。焼け野原からなんとか立ち直ったものの、戦争の爪痕があちこちに残り、主権のない占領された国でしたが、1952年(昭和27年)対日講和条約が発効して連合国との戦争状態が正式に終結。日本は主権を回復しました。そして、驚異の高度経済成長へと助走を始めるのですが、銀座にバタ屋街があったり、多摩川近辺に追いはぎが出没したり、花売り娘やピーナッツ売り少年少女がいたり、NHKのラジオドラマ「君の名は」が大ヒットし放送時間は銭湯ががらがらになったりという時代でした。追いはぎ? バタ屋? 花売り娘? ラジオドラマ? 平成キッズにはさっぱりでしょうが、まだまだ日本全体が貧しく飢えていたのです。
その1952年に東京は亀戸で「びっくりそば」が創業しました。東京、いや日本でも屈指の長い歴史を持つ偉大なる立喰・ソでしたが、残念ながら2013年に幻立喰・ソの仲間入りをしてしまいました。 |
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話もしていないのになぜ創業1952年と解ったのか? それは入口にこんな貼り紙があったから。「びっくり」です。(2011年8月撮影) | 店内に入ればなにを注文していいのやらの、耳なし芳市状態の多彩なメニューに「びっくり」です。たまりません。(2011年8月撮影) | |
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お客は私だけ。ソを出した兄さんは、話を聞きたくてうずうずの気配を察知し「びっくり」したのかは知りませんが、早々に引っ込んでしまいました。(2011年8月撮影) | 散々迷ったくせに注文したのは春菊天と並ぶ当コラム常連のちくわ天そば370円。おつゆが透明系で「びっくり」しました。だからちょっとブレ気味です(これも言い訳の常連)。(2011年8月撮影) | |
創業時期に「びっくり」し、店内に足を踏み入れ「びっくり」し、出されたソを見て「びっくり」し、最後は突然の閉店で「びっくり」と、まさに名は体を表わすを地でいく「びっくりそば」でありました。 「いつもいつも、あまりに長くて読む気がしない」と唯一の読者さんからご指摘をいただきました。だから今月はオチもなにもなく(今月に限ったことではないのですが)これまで。 |
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左が現役当時のびっくりそば。(2011年8月撮影)。東京23区の立喰・ソ分布は冬型気圧配置の真逆、西低東高であることは誰もが知っています。しかし立喰・ソの宝庫、城東地区もここ数年、急速に幻立喰・ソが増加しています。近くにあった愛知も幻立喰・ソになってしまいました。ひさびさに寄ったらラーメン屋になっていて最後まで「びっくり」です。しかも現役時代とは逆方向から撮ってきたとは、今また「びっくり」しております。(2013年9月末撮影) | ||
●立喰・ソNEWS |
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全ソ連(全国立喰・ソ連合評議会)唯一の会員AB君は精力的に立喰・ソ巡りをして、逐一写メを送ってきます(前回の立喰・ソNEWSで厳しく叱咤した成果でしょうか?)。右の写真は、つい先日送られてきたものです。一見すると花屋兼業の珍しい立喰・ソです。宝くじ兼業は有名ですが、花屋とは初耳。しかしこのステキな店構えは間違いなくM駅前のSです。いつの間に花屋さんを? と思ったら、お隣の花屋さんが手狭になったので店頭に置かせてあげてるのだとか。小は隣席との境界線から大は領土まで、紛争の絶えない世の中にあって、心がぽっと温かくなりました。 |
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バ☆ソ
日本全国立ち喰いそば全店制覇を目論む立ち喰いそば人。現在600店以上のデータを収集したものの、ただ行って食べただけではたいして役に立たない。立ち喰いそば屋経営を目論むも、先立つものも腕も知識も人望もなく断念。で、立ち喰いそば屋を経営ではなく、立ち喰いそば屋そのものになろうとしたが「妖怪・立ち喰いそば屋人間」になってしまうので泣く泣く断念。世間的には3本くらいネジがたりない人と評価されている。一番の心配事はそばアレルギーになったらどうしよう……。