ホンダ・パワー、連戦連勝の黄金時代を築く ウィリアムズFW11

ウィリアムズ・ホンダFW11 念願のコンストラクターズ・タイトルを獲得するも……
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 1983年、エンジンサプライヤーとしてF1に復帰したホンダは翌1984年より英国のウィリアムズ・チームとのジョイントでフル参戦を開始。第9戦のダラスGPでは復帰後初の優勝を飾る。1985年にはシーズン終盤3連勝を含む計5勝を挙げ、1986年は念願のチャンピオンの期待が高まった。

 
 そんなシーズンに投入されたFW11はナイジェル・マンセル、ネルソン・ピケのドライブで16戦中9勝という圧倒的強さを誇り、最終戦を待たずにコンストラクターズ・タイトルを獲得。ドライバーズ・タイトルに最も近かったマンセルは最終戦、決勝中にタイヤ・バーストによってリタイアとなり、マクラーレンTAGのアラン・プロストに最後の最後で逆転を許すという無念の結果に。

 
 FW11の圧倒的強さには、ホンダ・エンジンの強力なパワーによるところが大きく、予選ではターボチャージャーの過給圧を上げることで1500馬力を発生していたと言われる。

 
 余談だが、FW11の活躍により、ホンダの主力四輪車であるシビック、アコードにバラードスポーツCR-Xを加えた、F1チャンピオン獲得記念限定車が販売された他、FW11のカラーリングが施された原付スクーター・DJ・1Rも限定販売されている。

 
 尚、翌1987年のFW11Bはネルソン・ピケによって、ホンダ・エンジンを搭載したマシンが初めてドライバーズ・タイトルを獲得。しかしホンダとウィリアムズのジョイントはこの年をもって最後となった。

 


ウィリアムズFW11

ウィリアムズFW11
ホンダにF1での初タイトルをもたらしたFW11。ドライバーの乗車位置がまだフロント寄りにある時代で、“レッド5”はお馴染み、ナイジェル・マンセルのマシンだ。RA166Eエンジンは予選で1000馬力以上を発揮していたと言われる。ヘッドカバーのデザインは、当時の市販車のDOHCエンジン(ZCなど)用にも相通ずる。

ウィリアムズFW11

ウィリアムズFW11
アナログのタコメーター(日本精機製)が備わる。以降、F1マシンのコクピットはデジタル表示の時代となる。6台製作されたカーボンモノコックシャシーの中の2番目のマシン。

ウィリアムズFW11
車体構造 :カーボンファイバーモノコック
ホイールベース :2855mm
トレッド(前/後) :1829mm/1676mm
サスペンション(前後) :ダブルウイッシュボーン+インボードスプリング
タイヤ(前/後) :12-13インチ /16.5-13インチ
燃料タンク :195リットル
トランスミッション :縦置き6段変速
車体重量:540kg

エンジン:水冷4サイクル80度V型6気筒DOHC4バルブ+ツインターボ(RA166E) 
排気量:1494cc 
ボア×ストローク:79.0mm×50.8mm
最高出力:1050ps以上/11,600rpm
燃料供給方式 :PGM-FI 2インジェクター
点火装置方式 :CDI
過給機 :ターボチャージャー×2基
潤滑方式 :ドライサンプ


ロータス100T
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 今でもF1で“ロータス”の名が冠されたチームとマシンが活躍しているが、ご承知の通り、ロータス・ホンダとは“血統”は異なる。現在のロータスF1、旧くはトールマン、そしてベネトン、ルノーの流れを汲むチームである。では、コーリン・チャップマンが設立し、1958年からF1参戦を開始した生粋のロータス、つまり「チーム・ロータス」はと言うと、1994年に資金難によってチーム自体が消滅してしまっている。F1の名門チームの名は、今や“ブランド”に過ぎないと言っていいだろう。

 
 ここに紹介する100T、そして前年の99Tは1987・1988年の2年間、ホンダがエンジン・サプライヤーとして関わってきたマシンである。

 
 もっとも、ロータスとの関わりはホンダのF1第一参戦期にもあった。ホンダは当初、チーム・ロータスへエンジンを供給するというカタチで1964年のF1世界選手権に参戦予定。しかし、開幕直前にロータス側より一方的に関係をキャンセルされ、急遽ホンダはフルコンストラクターとして参戦することになったという経緯がある。

 
 ロータス・ホンダの最初の年となった1987年、アイルトン・セナ、そして日本人初のF1レギュラードライバーとなった中嶋悟がドライブする99Tはアクティブサスの信頼性不足に泣かされながらもコンストラクターズ、ドライバーズ(セナ)ともにランキング3位とまずまずの成績を残す。

 
 前年にチャンピオン獲得したネルソン・ピケをドライバーに迎え、期待のかかった1988年シーズンだったが思ったほどの好成績があげられず(1988年はマクラーレン・ホンダが16戦中15勝の圧勝だった)、ホンダのV6ターボ・エンジン 最後の年は、ホンダとロータスにとっても最後の年となった。

 尚、資金難によって消滅してしまった“本家”は現在「クラシック・チーム・ロータス」としてチャップマンの親族らによって運営、存続。コレクションホールで保存されるロータス・ホンダのスペアパーツは、クラシック・チーム・ロータスから提供されたという。


ロータス100T

ロータス100T

ロータス100T
ロータスは1980年代中盤よりカーボンモノコックのシャシーを採用。前年に使用したアクティブサスペンションの採用は見送られた。100Tに搭載されるRA168Eエンジンは、レギュレーションによってこの年が最後となる1.5リッターのV6ターボ。「ホンダ潰し」とも思われるブースト圧2.5バール、燃料150リットル制限は、むしろ高い技術をもつホンダに味方する結果となった。ターボ・エンジン時代の燃料はトルエンを使用。

ロータス100T

ロータス100T
Hondaコレクションホールで所蔵されるロータス100Tは5台目のシャシー。コクピットはさすが時代の流れか、’60 年代のマシンとは趣が異なり、エンジン回転以外の情報は液晶パネルにディスプレイされるようになった。写真のカーボンファイバー製シートは、かつて100Tをドライブしていた中嶋悟専用。9月に行われる鈴鹿サーキット50周年記念イベントでも彼はこのマシンをドライブする。尚、宮城光が100Tに乗る際はこのシートを外し、直に座ってテストドライブしているとか!?

ロータス100T
エンジン:水冷4サイクル80度V型6気筒DOHC4バルブ+ツインターボ(RA168E) 
排気量:1494cc 
最高出力:685PS/12,300rpm 
車両重量:540kg
変速機:6段変速
サスペンション(前):ダブルウイッシュボーン
サスペンション(後):ダブルウイッシュボーン
1988マクラーレン・ホンダMP4/4ターボ時代の終焉、16戦中15勝達成
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 500kgちょっとの車体で1000馬力を優に超えるパワーを搾り出していた1.5Lターボ時代最後の年となった1988年。ターボ・エンジンを搭載するマシンに対するレギュレーションはさらに厳しくなり、前年に対しブースト圧は4バールから2.5バールへ、レース中に使用できる燃料の量も195Lから150Lへと制限。これは燃料制限のない3.5L自然吸気エンジン勢に対し明らかに不利であり、これは圧倒的な強さを誇ったホンダ・エンジンを締め出すための規則とも言われた。

 
 しかし、その厳しい規則はむしろ高い技術力をもつホンダにとって結果的に追い風となった。さらにこの年は名門チーム、マクラーレンとジョイント。ドライバーには2度の世界チャンピオンを獲得していた“プロフェッサー”ことアラン・プロスト、“天才”“最速”の異名をもつ新加入アイルトン・セナを擁し、すべてにおいて「最強」が揃うことになる。

 
 フタを開けてみると、マクラーレン・ホンダMP4/4は16戦中15勝(10回の1-2フィニッシュ)という圧勝。第11戦のベルギーGPでコンストラクターズ・タイトルを獲得。第15戦の日本GPでは、スタートに失敗したセナが14位から猛烈な追い上げで優勝し、自身にとって初となるドライバーズ・タイトルを獲得している。

 
 マクラーレン・ホンダMP4/4はその圧倒的強さから、ホンダの第二期F1活動の象徴とも言えるマシンと言えるだろう。


マクラーレン・ホンダMP4/4

マクラーレン・ホンダMP4/4
1.5Lターボ時代の有終の美を飾ったMP4/4。1980年代後半、日本にF1ブームを巻き起こしたきっかけとなったマシンではないだろうか? レギュレーションによって1988年が最後となった1.5Lターボ・エンジンのRA168Eは、出力と燃費を高次元で両立。他を圧倒したユニットだった。

マクラーレン・ホンダMP4/4

マクラーレン・ホンダMP4/4
MP4/4のコクピット。カーナンバー12、アイルトン・セナの仕事場。右側にシフトレバー、左側にスタビライザーの調整用レバーが備わる。「セナが乗っていたというオーラが漂っている」とは、当日メカニックを担当していた人の談。

マクラーレン・ホンダMP4/4
ホイールベース :2875mm
トレッド(前/後) :1824mm/1670mm
サスペンション(前/後) :ダブルウイッシュボーン+プルロッド/ダブルウイッシュボーン+プッシュロッド
タイヤ(前/後) :11.75(ホイールリム)-13インチ/16.3(ホイールリム)-13インチ
トランスミッション :マクラーレン製6速
車体重量:540kg

エンジン:水冷4サイクル80度V型6気筒DOHC4バルブ+ツインターボ(RA168E) 
排気量:1494cc 
最高出力:685ps/12,300rpm
燃料供給方式 :PGM-FI 2インジェクター
スロットル形式:2連バタフライ式スロットルバルブ
点火装置方式 :CDI
重量:146kg

1989マクラーレン・ホンダMP4/5 自然吸気になっても揺ぎない強力なパワーを発揮
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 規定によってターボが禁止され、3.5L自然吸気エンジンで争われることとなった1989年のF1シーズンに向けホンダが開発したのは、V型10気筒(V10)という当時あまり聞きなれないレイアウトのエンジンだった(1989年にF1復帰を果たし、ウィリアムズにエンジンを供給するルノーはV10だったが、フェラーリはV12、フォードはV8)。V10は片バンク5気筒。ロードレーサーで5気筒エンジンのノウハウがあったホンダ故のチョイスだったかもしれない。

 
 そんな、RA109Eという名称が与えられたV10エンジンを搭載するのがマクラーレン・ホンダMP4/5である。全く新たなパワーユニットにより、1からスタートとなったマクラーレン・ホンダ陣営は苦戦も予想されたが、前年のような圧勝まではいかないものの16戦中10勝という成績でシーズンを席巻。コンストラクター&ドライバーズ・タイトルを2年連続で獲得している。

 
 マクラーレン・ホンダMP4/5と言えば、第15戦の日本GPにおいてアイルトン・セナとアラン・プロストによるチームメイト同士のシケインでの接触のイメージが最も色濃いマシン(当然、マシンには何の非もない)。

 
 尚、翌1990年シーズンは改良版のマクラーレン・ホンダMP4/5Bを投入。セナ(6勝)、プロストの移籍によって新加入したゲルハルト・ベルガーの活躍によって3年連続のコンストラクターズ・タイトルを獲得。セナも自身2度目となるドライバーズ・タイトルを獲得している。

 
 しかし、マシンのこれまでの活躍はホンダ・エンジンのパワーに頼るところも多く、翌シーズン以降はシャシー性能の進化を果たしたライバル・マシンの台頭に、セナのドライビングをもってしても苦戦を強いられるようになる。


マクラーレン・ホンダMP4/5

マクラーレン・ホンダMP4/5
自然吸気エンジンを搭載することで、最も効率の良いエア吸入口をドライバー頭頂部に設置。MP4/4と最も異なって見える部分である。3.5LのV型10気筒エンジン、RA109Eは規則が変わっても最強だった。マクラーレンがV12にスイッチした1991年、V10エンジン(RA101E)は中嶋悟が在籍したティレルに供給された。

マクラーレン・ホンダMP4/5

マクラーレン・ホンダMP4/5
コクピットの計器やスイッチ類は年を追う毎に大きく進化していくのがわかる。マクラーレン・ホンダに装着されていたこともあり、パーソナル製のステアリングは当時の日本でもブームになった。カーナンバー2はアラン・プロストのマシン。自身3度目のチャンピオンを獲得した。

マクラーレン・ホンダMP4/5
ホイールベース :2896mm
トレッド(前/後) :1820mm/1670mm
サスペンション(前後) :ダブルウイッシュボーン
タイヤ(前/後) :12-13インチ/16.3-13インチ
トランスミッション :マクラーレン製6速
車体重量:500kg

エンジン:水冷4サイクル72度V型10気筒DOHC(RA109E) 
排気量:3490cc
ボア×ストローク :92.0mm×52.5mm
最高出力:685ps/13,000rpm

1991マクラーレン・ホンダMP4/06 ホンダ、そしてセナの最後のタイトル獲得マシン
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 ホンダ第一期F1活動の象徴とも言えたV型12気筒エンジンが復活。RA121Eと呼ばれたV12ユニットはマクラーレン・ホンダMP4/6に搭載され、1991年シーズンに投入された。

 
 フロントサスペンションはプルロッド式からプッシュロッド式に変更されるものの、シャシーは基本的にMP4シリーズのコンセプトを継承するカーボンモノコック製。開幕当初、アイルトン・セナは新開発V12エンジンのパワー不足を訴えていたものの開幕4連勝を達成。しかし中盤戦以降、信頼性が増したウィリアム・ルノー勢の反撃に遭い、苦戦を強いられる。

 
 連敗中だったマクラーレン・ホンダ勢に転機が訪れたのは第10戦ハンガリーGP。新型エンジン、特殊燃料、軽量シャシーが投入され2連勝。その後、ウィリアム・ルノー勢の反撃を辛くも抑え、4年連続のコンストラクターズ・タイトル(セナ7勝、ベルガー1勝)、セナも3度目のドライバーズ・タイトルを獲得した。

 
 改良版となるマクラーレン・ホンダMP4/6Bは翌1992年シーズンの第2戦まで使用。以降、最強のホンダV12エンジンが搭載された新車、マクラーレン・ホンダMP4/7Aは5勝を挙げるも王座から陥落。ホンダもこの年を最後にF1活動休止となる。


マクラーレン・ホンダMP4/6

マクラーレン・ホンダMP4/6
V12エンジンを搭載することで、全体的に大柄に見えるMP4/6。前年を戦ったV10エンジン搭載のMP4/5B に対しホイールベースも40mmほど伸びている。シーズン中に数々の進化を果たし、終盤の日本GPにも新型シャシーが投入されている。カーナンバー2はゲルハルト・ベルガーのマシン。V12エンジン(RA121E)は意外やV10よりも軽く仕上げられている。

マクラーレン・ホンダMP4/6

マクラーレン・ホンダMP4/6
MP4/6はセミオートマチック・トランスミッションも試されたが実戦に投入されることはなかった。フロントサスペンションはプルロッド式からプッシュロッド式に変更。ショックユニットはショーワ製。

マクラーレン・ホンダMP4/6
全長×全幅×全高:4496mm×2120mm×965mm
ホイールベース:2972mm
トレッド(前/後):1824/1669mm
フロントサスペンション:ダブルウイッシュボーン、プッシュロッド(縦置きコイルスプリング)/ダンパー
リヤサスペンション:ダブルウイッシュボーン、プッシュロッド(垂直置きコイルスプリング)/ダンパー
ホイール(前/後):13×12in/13×16.3in
ブレーキ:ブレンボ/カーボンインダストリーズ
トランスミッション:マクラーレン製6速
車体重量:505kg

エンジン:水冷60度V型12気筒(RA121E)
排気量:3497cc
ボア×ストローク:86.5mm×49.6mm
圧縮比:12.15
最高出力:735ps以上/13500rpm
バルブ形式:DOHC 4バルブ
バルブスプリング:ダブルコイルスプリング
燃料供給方式:PGM-FI 2インジェクター
燃料噴射ポンプ:電動ポンプ+ギヤポンプ
点火方式:CDI
スロットル形式:12連バタフライ式スロットルバルブ可変吸気管長システム(第11戦目より投入)
重量:154kg


[戦うDNAその7 四輪編-1|その8 四輪編-2|その9 四輪編-3]

[二輪編へ]

Hondaコレクションホール収蔵車両走行確認テスト「闘うDNA」

二輪編-1・ホンダミュージックが世界を征す]
●1959年 RC142(#8 125cc)
●1966年 RC116(#1 50cc)
●1965年 4RC146(#4 125cc)
●1966年 RC149(#117 125cc)
●1966年 RC164(#1 250cc)
●1966年 RC166(#7 250cc)
●1967年 RC174(#3 350cc)
●1968年 RC181(#2 500cc)

二輪編-2・トリコロールはここから始まった]
●1972年 CB750(#15)
●1975年 CB500R(#83)
●1976年 RCB(#5)
●1980年 RS125RW-T(#20)

二輪編-3・V4〜V2の黄金時代から、再び直4へ]
●1991年 RVF750(#11 OKI HONDA RT・8耐仕様)
●1995年 RVF750(#11 Team HRC・8耐仕様)
●1997年 RVF/RC45(#33 ホリプロホンダwith HART・8耐仕様)
●1999年 RVF/RC45 (#1 ラッキーストライクホンダ・全日本スーパーバイク仕様)
●2000年 VTR1000SPW(#11 チームキャビンホンダ・8耐仕様)
●2004年 CBR1000RRW(#7 セブンスターホンダ7・8耐仕様)

二輪編-4・7度の世界タイトルを獲得したワークスレーサー]
●1993年 NSR250(#18 岡田忠之仕様)
●1997年 NSR250(#1 マックス・ビアッジ仕様)
●1999年 NSR250(#4 宇川徹仕様)
●2001年 NSR250(#74 加藤大治郎仕様)
●2003年 RS125RW(#3 ダニ・ペドロサ仕様)

二輪編-5・無敵の6年連続チャンピオンなどWGP500クラスで他車を圧倒]
●1984年 NS500(#1 フレディー・スペンサー仕様)
●1984年 NSR500(#1 フレディー・スペンサー仕様)
●1985年 NSR500(#4 フレディー・スペンサー仕様)
●1988年 NSR500(#1 ワイン・ガードナー仕様)
●1997年 NSR500(#1 マイケル・ドゥーハン仕様)
●1999年 NSR500(#3 アレックス・クリビーレ仕様)
●2002年 NSR500(#74 加藤大治郎仕様)

二輪編-6・MotoGP元年をロッシとのコンビで圧勝した新世代の5気筒レーサー]
●2002年 RC211V(#46 バレンティーノ・ロッシ仕様)


四輪編-1・F1創生期 無謀とも思えた挑戦で2勝の快挙]
●1965年 RA272(#11)
●1967年 RA300(#14)
●1968年 RA301(#5)

四輪編-2・F1第二参戦期 エンジンサプライヤーとしての挑戦]
●1986年 ウィリアムズFW11(#5)
●1988年 ロータス100T(#2)
●1988年 マクラーレンMP4/4(#12)
●1989年 マクラーレンMP4/5(#2)
●1990年 マクラーレンMP4/6(#2)

四輪編-3・GTカー創成期 自動車メーカとしての名声を高めたマイクロ・スポーツの活躍]
●1966年 S800GT-1仕様(#25)
●1968年 S800マーシャル仕様

四輪編-4・ツーリング&GTカーの時代 市販車の高いポテンシャルをサーキットでも証明]
●1983年 ヤマトCIVIC(#1)
●1987年 モチュールCIVIC(#16)
●1993年 JACCS CIVIC(#14)
●1998年 ギャザズ CIVIC(#77)
●1995年 NSXルマン(#84)
●2000年 カストロール無限NSX(#16)

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