|
||
こちらで動画が見られない方は、YOUTUBEのサイトで直接ご覧ください。 | ||
大排気量スポーツモデル車を牛耳っていた老舗外国車メーカーに引導を渡し、バイクの価値感を一変させライジングサンの象徴となったCB750FOUR。レースではデビューイヤーの1969年の鈴鹿10時間耐久(8耐の前身)で、ホンダ社内チーム「ブルーヘルメット」が、ほとんど手を入れていない状態でワン・ツーを飾った。海外では1970年にアメリカ人のディック・マンが、RSCキットを装着したCB750でデイトナ200マイルを征している。 |
||
|
||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
年式とエンジンに刻印されていた番号CB750E-22223698から察すれば、CB750FOURK2がベースだろうか。エンジンはボアを約0.5mm拡大し、排気量を748.6ccにアップしている。今回、テスト走行はカウルを取り外した状態で行なわれた。こんな姿での走行もめったには見られない。余談になるが、CB750レーサーと言えば、このトリコロールのマシンよりも、ディック・マンが1970年のデイトナを征し、タミヤから発売された1/6スケールのプラモのモデルとなったRSCキット装着車の方が有名かもしれない。このプラモデルは昨今、精巧な半完成品が豪華な化粧箱入り52,500円で発売された。 | ||
|
|
||
こちらで動画が見られない方は、YOUTUBEのサイトで直接ご覧ください。 | ||
WGP撤退後、ワークス体制でのレース活動を休止していたホンダで唯一レース活動を継続していた部門が、当時鈴鹿に本拠を置くRSC(RACING・SERVICE・CENTER)で、契約ライダーの隅谷守男が開発に携わったRSC製のレーサーがCB500R。 |
||
|
||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
今回走行したゼッケン3番の仕様は、隅谷選手が1975年全日本ロード選手権に参戦しセニア750クラスで総合3位を獲得した仕様。最終的な仕様では、ノーマルのCB500FOURはボア×ストロークが56×50.6mmの498ccからすると、ほんとうにそこまで広げられるのかという60×54.76mmの749.3ccまで排気量がアップされ、最高出力は86.7ps/11000rpm以上を発生したという。この他、ホンダコレクションホールはヘッドライトを装着した耐久仕様のCB500Rも所蔵。このトリコロールのこのマシンは、1975年のボルドール24時間レースに出場するための練習用として製作された。 | ||
|
|
||
こちらで動画が見られない方は、YOUTUBEのサイトで直接ご覧ください。 | ||
CB750FOURで新時代を構築したホンダだが、打倒CBを旗印に満を持して登場したDOHC4気筒900ccカワサキZの反撃は激しく、特に結果が販売台数に結びつくヨーロッパの耐久レースへのテコ入れが早急に求められていた。 |
||
|
||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
一口にRCBと言ってもデビュー戦からほぼレース毎に改良が加えられており、仕様はさまざま。大きく分類すると1976年が480Aと呼ばれる仕様で、最初期は915ccでスタート。改良が加えられ941cc、997.5ccと排気量はアップしていく。翌1977年型は車体に大きな改良が加えられた481Aとなり、RCBの最終年となる1978年型は基本的に481Aを踏襲しながらカウルなど熟成化がおこなわれた482Aとなる。今回走行した車両は1976年第7戦ボルドール24時間仕様で480A最終型に近い997.5ccモデル。 | ||
|
|
||
こちらで動画が見られない方は、YOUTUBEのサイトで直接ご覧ください。 | ||
モトクロッサーとしては前代未聞ともいえる2気筒エンジンを搭載し、1980年に登場した野心作の1981年モデルのRC125M。直線は速くパワフルであったが低速域がまったく使えず、乗りこなすにはかなりのテクニックが必要とされたという。レースは走る実験室を標榜するいかにもホンダ的レーサーであったが、FIMは「1982年から125クラスのエンジンは単気筒に限る」新レギュレーションを決定、開発は中止され、実戦投入はわずか1戦に留まった(結果は7位)。このエンジンを転用したロードレーサーが1981年春にRSC(HRCの前身)が発表したRS125RW-Tだ。これまた市販モトクロッサーCR125の水冷単気筒エンジンを採用し、前年登場した市販ロードレーサーRS125RWにこの水冷2気筒エンジンに搭載したモデルである。とはいえ流用されたのはクランクケースくらいで、他の部分はほとんど専用部品で一新されているようだ。ちなみに1980年のRS125R-Wは31ps/11300rpm、2.2kg-m/11000rpmに対し、RS125RW-Tは38ps/14000rpm、2.0kg-m/13000rpmとパワーアップしたものの、レーサーとして重要な重量が9kgもアップしていた。デビューは1981年の全日本選手権第4戦鈴鹿(日本GP)で、雨の悪コンディションの中、前年のチャンピオン一ノ瀬憲明選手が、逃げる同じツインエンジンを搭載したMBA(イタリアの小メーカー製で、モノコックフレームに水冷ツインエンジンを搭載)の榎本選手を最終周ゴール前直線でかわすという劇的な逆転で初勝利を飾った(全日本選手権の125クラスでは、ワークスレーサー扱いとなるRS125RW-Tはポイントのない賞典外であったが)。 |
||
|
||
|
|
[戦うDNA その1 二輪編-1|その2 二輪編-2|その3 二輪編-3]
[四輪編へ]
|
||||
[二輪編-1・ホンダミュージックが世界を征す] ●1959年 RC142(#8 125cc) ●1966年 RC116(#1 50cc) ●1965年 4RC146(#4 125cc) ●1966年 RC149(#117 125cc) ●1966年 RC164(#1 250cc) ●1966年 RC166(#7 250cc) ●1967年 RC174(#3 350cc) ●1968年 RC181(#2 500cc) [二輪編-2・トリコロールはここから始まった] ●1972年 CB750(#15) ●1975年 CB500R(#83) ●1976年 RCB(#5) ●1980年 RS125RW-T(#20) [二輪編-3・V4〜V2の黄金時代から、再び直4へ] ●1991年 RVF750(#11 OKI HONDA RT・8耐仕様) ●1995年 RVF750(#11 Team HRC・8耐仕様) ●1997年 RVF/RC45(#33 ホリプロホンダwith HART・8耐仕様) ●1999年 RVF/RC45 (#1 ラッキーストライクホンダ・全日本スーパーバイク仕様) ●2000年 VTR1000SPW(#11 チームキャビンホンダ・8耐仕様) ●2004年 CBR1000RRW(#7 セブンスターホンダ7・8耐仕様) [二輪編-4・7度の世界タイトルを獲得したワークスレーサー] ●1993年 NSR250(#18 岡田忠之仕様) ●1997年 NSR250(#1 マックス・ビアッジ仕様) ●1999年 NSR250(#4 宇川徹仕様) ●2001年 NSR250(#74 加藤大治郎仕様) ●2003年 RS125RW(#3 ダニ・ペドロサ仕様) [二輪編-5・無敵の6年連続チャンピオンなどWGP500クラスで他車を圧倒] ●1984年 NS500(#1 フレディー・スペンサー仕様) ●1984年 NSR500(#1 フレディー・スペンサー仕様) ●1985年 NSR500(#4 フレディー・スペンサー仕様) ●1988年 NSR500(#1 ワイン・ガードナー仕様) ●1997年 NSR500(#1 マイケル・ドゥーハン仕様) ●1999年 NSR500(#3 アレックス・クリビーレ仕様) ●2002年 NSR500(#74 加藤大治郎仕様) [二輪編-6・MotoGP元年をロッシとのコンビで圧勝した新世代の5気筒レーサー] ●2002年 RC211V(#46 バレンティーノ・ロッシ仕様) |
[四輪編-1・F1創生期 無謀とも思えた挑戦で2勝の快挙] ●1965年 RA272(#11) ●1967年 RA300(#14) ●1968年 RA301(#5) [四輪編-2・F1第二参戦期 エンジンサプライヤーとしての挑戦] ●1986年 ウィリアムズFW11(#5) ●1988年 ロータス100T(#2) ●1988年 マクラーレンMP4/4(#12) ●1989年 マクラーレンMP4/5(#2) ●1990年 マクラーレンMP4/6(#2) [四輪編-3・GTカー創成期 自動車メーカとしての名声を高めたマイクロ・スポーツの活躍] ●1966年 S800GT-1仕様(#25) ●1968年 S800マーシャル仕様 [四輪編-4・ツーリング&GTカーの時代 市販車の高いポテンシャルをサーキットでも証明] ●1983年 ヤマトCIVIC(#1) ●1987年 モチュールCIVIC(#16) ●1993年 JACCS CIVIC(#14) ●1998年 ギャザズ CIVIC(#77) ●1995年 NSXルマン(#84) ●2000年 カストロール無限NSX(#16) |
[名車図鑑目次へ]