このところ実にアグレッシブなカワサキである。全日本選手権を軸に、TT-F1クラスで見せる闘志は、エキセントリックなものにさえ映ってしまう。だが、だからこそカワサキなのだ。ライバル3メーカーとは毛色の違うモーターサイクルメーカー。そのキャラクターこそ、カワサキの魅力だろう。
今もライムグリーンを掲げるカワサキは、かつてレースシーンの主役でもあった。コードネームのKRは、今も市販2ストロークモデルに受け継がれている。ワールドグランプリ250、350ccを制したKRシリーズである。
今では伝統的なモデルにまでなったZ1などの4ストロークモデルによって、これらの2ストロークモデルは影が薄くなってしまったような印象さえしている。だが、そのエンジンシステムに関わらず、カワサキはとことん情熱を注ぎ込んでやってくる。ひときわ不器用にも映るその情熱の注ぎ込み方だが、それが質実剛健をキャラクターとする由縁なのだ。
現在の川崎重工業は、分離していた川崎重工業、川崎航空機、そして川崎車両が合併した後の姿である。世界的にも有数の重工業メーカーとして、合併後の‘69年から始まる巨大企業なのである。
ちょうどこの頃、マッハは誕生した。それまで輸出で勢力を伸ばしてきたカワサキだが、このマッハも北米市場を想定して生み出されたものだった。
このモデルも数々の伝説を残している。最高速度は190km/h、ゼロヨン加速に至っては12.4秒という桁外れの実力を備えていた。エンジンレイアウトは3シリンダーの並列配置。シャープで軽快なデザインは瞬く間に人気を独占。当時としては珍しいそのレイアウトは、その後もカワサキ2ストロークモデルに脈々と受け継がれていった。
だが、驚異的な高性能に反して、どうにも貧弱なブレーキや、いったん調子を崩すと調整の難しいエンジンなど、問題点も少なくはなかった。この相反するキャラクターを備えたマッハは、若者に絶大な支持を受けながら、ユーザーレベルで数々の伝説を生んだ。
時代の寵児ともいえたマッハ。それはカワサキが渾身の力を注ぎ込んだ力作である。それは間違いなくモーターサイクルの歴史に刻まれた金字塔の一つに数えることができるだろう。
2ストロークエンジンとは、吸排気ポートを持つシリンダーにピストンが収まった簡単な構造である。それだけにキャブレターとチャンバーとの微妙なセッティングが必要になり、その僅かな変化でいかようにもキャラクターを変える。その微妙な状況の中で、ハイパワーを送り出している2ストロークエンジンのピストン。それは職人芸が生み出した芸術品と言えるかも知れない。
マッハのピストンは、驚くほどシンプルなものである。だが、そこにカワサキイズムを見いだすことはできないだろうか。無機質な輝きの中に、マッハを生み出した職人たちの息づかいを聞くことはできないだろうか。
2ストロークエンジンを語るとき、ピストンにまで愛情を感じる人は少なくないだろう。その小さなピストンが、シリンダーの中を超高速で動き、吸排気をいたずらに繰り返しパワーを絞りだす。実際にエンジンを開けたことがある人なら、そんなピストンに愛情を感じても当然かも知れない。
エンジンのセッティングを考えると、人はピストンとシリンダーの関係を我が子のことのように考えてはいないだろうか。組み上げて開ける時、その無機的な二つのパーツの接触面に、我が身を置き換えて考えてはいないだろうか。
カワサキはそんな原点から2ストロークエンジンを作り上げていたような気がするのだ。巨大企業でありながら、カワサキのモーターサイクルには町工場のぬくもりが漂う。今、マッハのピストンを手にするとき、どこにでもあった町工場の風景が、心にセピア色の写真となって浮かび上がる。
小さなピストンがうみだした大きな伝説。それは川崎重工業にいた職人たちの、実に暖かい心根によるもの。彼らがいなければ、今日のマッハも存在しなかったかも知れない。マッハは今もカワサキイズムのひとつの象徴なのだ。