1周500mのオーバルトラックを6〜10周。ジェットヘルにゴーグル、無骨なプロテクターで身を固め、極めつけは左足に履いたスチール製のスリッパがなんとも異様。だが、これぞ正真正銘プロフェッショナルといえる男達が、左回りのフルバンク走行に命を燃やす厳しい勝負の世界がある。
オートレース。日本だけで独自の発展を遂げたギャンブルレースだが、“勝負師たち”は勝つことだけを目指して全身全霊を傾ける。
全日本選手権6回、オールスター2回、記念レース31回、賞金王8回以上の輝かしい戦歴を誇る「ミスターオート」飯塚将光選手は、かつて“トラの飯塚”と呼ばれていた。言うまでもなくトライアンフのトラ。空冷バーチカルツインの古典的なエンジンが、国産のトーヨー、フジといったオートレース専門のエンジンを向こうに回し、まさしく連戦連勝の黄金時代を築き上げていた。
オートレースでは速い選手にはハンディが課せられる。常勝飯塚は80m、はては100m以上も後方からスタートすることも珍しくなかった。先行逃げ切りを狙うライバル達に対して、気迫の追い上げを見せる飯塚のトライアンフ。走りは鋭さを増し、獲物に襲いかかる猛獣の如く疾走する。短時間で接近し、限界の走りで集団の中から抜け出す姿は、あまりにも強烈な印象を与え続けてくれた。
写真は飯塚選手のトラのピストンだが、これには、トライアンフにかけては日本一と折り紙付きの名チューナー原正洋の意志が随所に込められている。今年67歳になった原さんは、33歳までオートレース選手として活躍、日本で最初にトライアンフをこの世界に持ち込んだ張本人である。1950年に350単気筒を走らせて以来、成績は見る見る上がり、「トラの原」として君臨する。1953年頃からは2気筒のGP500を駆って出場、AJSやノートン、BSA、ESOといった外国製エンジンをことごとく駆逐して、黄金時代を築き上げる。
「材質がいい。常に安定した性能を引き出せるし、シンプルな造りゆえに整備に時間がかからない。材質、精度がいいから長持ちする」と、賞金を稼ぐ素材としては最適であった。
「パーツはトライアンフの本社があったコヴェントリー工場の純正パーツが一番。社外品はコヴェントリーの物に比べると話にならない」
1962年までのトラは絶品だとも言われる。30年前の大英帝国の工業技術は現在でも通用する腕前を持っていたことの証明だ。
会社自体が整理統合を受け、結局は消滅してしまったトライアンフが1980代後半まで極東の地で、しかも瞬発力の要求されるオートレースの世界で生きながらえたのは、ひとえにライダー達の執念と、名チューナーの存在があったからに違いない。
トライアンフ社はオートレース用のエンジンを設計し、供給していた事実は皆無だ。選手自ら整備を行ない、チューニングを断行する。勝負の世界で磨かれたエンジンは、多くのノウハウを武器に鍛え抜かれる。いわば日本刀の輝きをトライアンフは得ていたのであった。
「クランクシャフトやフライホイールのチューニングが効く。直径や目方を好みに合わせて旋盤で加工する。オートレースのギアは2速が常識。3速にするとチェンジしている間に抜かれる。下も中低速も必要なんだよ。それにタイヤの種類も限定されている。路面温度によってタイヤのスベリが変わるのを、エンジン特性でカバーする必要が出てくる。だからクランクを冬用、夏用、秋春用と用意して合わせるんだ。時計を見ていれば分かる。夏場にタイヤの弱さが出ればトルクをちょっと落としたりする。そんな具合だから、選手はいつもエンジンを3〜4基持ってるよ」
極限のカウンター付きフルバンク走行の連続、同じように見えるオーバルコースも地域によって表情を微妙に変化させる。
誰もがトライアンフの神様と慕う原さんのチューニングエンジンだが、ことピストンに関してはノーマルにほとんど近い。圧縮比は8.5。これはT120時代と同じである。普通は圧縮比を上げてパワーを引き出す手法がとられるが、オートレースにはこの常套手段が使えないという。
「理由? 簡単だよ。オートレースでは普通のガソリンを使用する。オクタン価は90前後だから、圧縮を上げると無理な爆発になって熱的に苦しい。100オクタンあれば圧縮は10対1まで上げられるんだが、加熱したんじゃ走れない。ピストンに関してはヘッド加工に合わせてカムやバルブの当たりをカットしたり、圧縮比を合わせて軽くするくらいだよ」
それでも飯塚選手のトラはダイナモ測定で75ps/8500rpmをマークしていた。
2速ミッションも3年前から出足の良いフジにやられることが多くなり、飯塚選手も3年前からフジで出走している。
「マクリで追いついてもエンブレの効くフジの方が有利な流れになっているんだね」
さらに1993年にはDR600改へと流れが変わっていくのだという。
オートレースで黄金時代を築いたトライアンフも、活躍の場が徐々に狭くなってきた。だが、名チューナー原正洋の手掛けたトライアンフは、別のフィールドで活躍し続けている。筑波のバトル・オブ・ザ・ツインに代表されるツインのレースでは、3年で6回の優勝。生沢徹、氏橋良一らが操るトライアンフは、原さんの手によるエンジンを搭載し善戦、出れば勝つ状態が続いている。
「長年やっているから分かるんだよ。BOTTは677ccのトラが出ている。ガソリンもアブガスが使えるし、5速ミッション付き。9500〜10000rpmは軽く回っているよ」
日本最速のトラのベースは、職人気質のオートの世界が根底に流れ続ける。