コンペティション、特に継続的なコンペティション参加なくして、楕円ピストンは生まれるはずもない。継続は力なりという小学生でも知っている言葉は、モータースポーツの世界にこそ当てはまる。受験勉強には当てはまらない。かしこい者は、継続的でなくとも優秀なのだ。しかもモータースポーツにおいては、1年のブランクは極めて大きい。それは、継続している者の進歩が著しいからである。ただ継続しているだけで進歩しているわけではなく、勝ちたいと強く思うエネルギーがあまりに大きいため、当然このエネルギーが大きな進歩をもたらすのだ。
62年、今から丁度30年前、市販レーサーとしてCR110は誕生した。30年前と言うとずいぶんと大昔に感じられるが、NR楕円ピストン構想が始まったのがその十数年後と考えるとそんなに昔ではない。つまりわずか十数年で、CR110からNR500という技術の進歩があったわけである。これは、残念ながらGP参戦を中断していた時期にも、レースで勝ちたいというエネルギーが、本田宗一郎と、彼を取り巻くスタッフに、レースをしている者以上にあったからだ。
CR110はレギュレーションリミットの49.99cc。40.04mmのボアに4つのバルブを配置。しかも、カムは、ギアドライブされていた。クランクは組み立て式で、ジャーナルはボールベアリングで支持され、低フリクション化を実現していた。最高出力は8〜9馬力。わずかに10馬力に満たない。最高回転数は、13500から14000。信じられないほどの高回転エンジンである。当然パワーバンドは極めて狭いので、高回転を維持すべく、8段ミッションが採用された。実際のレースで活躍したワークスマシンRC111では9段ミッションもトライされた。これは当時、ミッション段数がレギュレーションで抑えられていなかったからである。
CR110のエンジン設計思想は、NRとはまったく同一のものだ。最高の吸排気効率と、高回転高出力化。4ストのセオリー通りである。本当に小さなシリンダーのために、わざわざ4つのバルブを使ったのだ。極限の吸排気効率を狙う2バルブエンジンを作り、そして4バルブと比較し、より総合性能の優れている方を選んだ。というアプローチはけして踏んでいない。ただ単に理屈の上では4バルブが優れていること、そして本田宗一郎にとっては、2バルブは実用車カブ用であり、レーサーは無条件に4バルブというイメージが出来上がっていたのだろう。小学生がかっこいいものをかっこいいと言うように、本田宗一郎にとって4バルブはあまりに魅力的な仕様として、絶対的なものなのだ。
4バルブの精密なエンジンは、まともに組み上がれば、10000回転以上を実現するわけだが、これを組むのはひどく手間のかかる作業となる。バルブクリアランス、バルブタイミングを簡単にアジャストできるような機構を持たせる余裕のない小さなシリンダーヘッドなので、組んでは測り、適正でない場合はまたバラしてやり直すという有様だった。まさに人間のエネルギーを豊富に必要としたのだ。CR110もNRも、2ストより優れた燃費だったはずだが、人間1人で何キロ走れるかという点では、極めて効率が悪く、人間の体力と精神力を大量に燃焼しながら走っていたのである。
クランク支持がプレーンベアリングではなくボールベアリングなのは、ホンダ初のスポーツカーS500も同様である。当時は、プレーンベアリングで低フリクションを実現するような素晴らしく高精度な表面仕上げがなかったからこそ、ボールベアリングを使ったのだ。NRでは通常のプレーンベアリングで、低フリクションを実現している。いずれにせよ、クランクをボールあるいはニードルローラーベアリングで支持するということは、低フリクション化と引き換えに、恐ろしく寿命が短くなるという欠点が出る。それでも、10000回転以上回したかったので、ボールベアリングとなるわけである。
NRの発想のすべては、CRと何も変わることはない。この2つのピストンは、レギュレーションゆえに形が異なっているだけで、GP500のマルチシリンダー化が許されていれば、ホンダはV8エンジンで、ボア径がCR110 より多少大きい丸いピストンを作っていたはずだ。CR110のピストンが2つくっついたのが、NR500のピストンとも言える。
ホンダの高回転高出力化の道は今後も続くだろう。次にホンダが解決すべきは、ピストンスピードと潤滑の問題である。それはあと10年は待たなくてはならないだろう。