この夢のような楕円ピストンエンジンは、実に15年間あるいは20年近くの開発期間を要したことになる。レーサーはあくまでレーサーであり、市販化には課題が山積みであったことは容易に想像できる。それはコストという単純なものではなく、より解決の困難な耐久性の問題があったはずだ。途中、幾度も開発中止の話が持ち上がっただろう。特にNR500からNS500、2ストロークへの切り換えの際には、ほぼ中止と言える中断があったはずである。しかし、見事に耐久レース用として復活し、そして市販までされてしまった。
NR750を買う人の多くは、NSXから乗り換えというパターンが定着しそうなほど、ホンダテクノロジー、本田宗一郎魂にあふれている。楕円ピストンエンジンが放つ輝きは極めてインターナショナルで、かつ日本のホンダオリジナルを象徴する。誰のマネでもなく、また誰にもマネ出来ない。
77年12月、10年ぶりに世界GP復帰を決定した。500ccクラスのレギュレーションは、500cc4気筒ということで、特に4ストロークは2ストロークに対し、排気量でのアドバンテージは与えられていなかった。当然、高出力化が容易な2ストロークマシンが参加マシンのすべてであり、GP=2ストロークというのは、世間一般の常識となっていた。
ホンダのGP500レーサー開発チームには、3つの参加目的が提示された。
①GPで勝つことにより、ホンダの技術的先進性を世に示すこと。
②レース活動を通じての人材育成。
③革新技術の創造。
そしてチームメンバーは、過去にレースに携わった経験のない者が選ばれた。
参加するからには勝つというのは、コンペティションに関わる上での常識で、勝つ気がなければ、それなりの物が出来上がり、当然勝てるはずもない。そう思わずに、そうなりはしない。レース活動は人材育成の場であると明記されているのも素晴らしい。レースは企業にとって、まず間違いなく宣伝、広報活動の一環であることに変わりはない。そして、レース参加の目的が、宣伝、広報のためだけという企業は数多い。まさか現場でレースに携わっているスタッフが、レースは宣伝であると思っているはずもないが、会社の認識がそうである場合は、時世に合わせいつでも活動を中止するし、宣伝効果に見合う結果が出なければ、予算も削減される。
レース活動の現場は、結果が顕著に出るし、個人の責任領域も広く重い。また1人あたりの取り扱う金額も大きい。当然精神的苦痛は並大抵ではないので、つまり最高の人材育成の場である。人材育成にとっては、勝敗は大した意味ではなく、ただ勝ちたいと思い続けていれば、大きな結果が出るのだ。
そして3つめの技術革新の創造である。ここでの技術革新は、4ストで参戦することを決めた時点で、ほぼ目的の90%が達成されたと言える。こんなにも困難の大きい判断は、本田宗一郎という人間にしかできない。本田宗一郎に提案するようなネタではない。誰も口に出せない。当時の社長、河島さんの度量で決めただけである。しかし、この判断こそ、この一つの判断こそが、現在のホンダの良い企業イメージを結果的に作ったのだ。
社長の判断は、結果的に素晴らしい実を結んだが、その直後はどうしたら
いいのか、参加メンバーは困惑しただろう。そこで真に敬意を集めていないリーダーには反旗がひるがえされるわけだが、本田宗一郎のために、メンバーは4スト4気筒でなんとかする手段を考え始める。高出力化は吸排気効率を高め、かつ高回転化によって達成する。この4ストロークエンジンのセオリー通り、強引に生み出したのが楕円ピストンエンジンなのだ。発想の転換という発想は、参加メンバーにはない。ホンダの本田宗一郎魂は、華麗な発想の転換ではない。良いと思われる理屈、イメージを人間のエネルギーを全開にして本当にものにしてしまうこと。よいと思われる理屈は、けして誰の頭の中にもなかったものではなくて、本田宗一郎オリジナルというわけでもない。発想を物にまで仕立ててしまうエネルギーが、そのエネルギー量が、凡人とはあまりにかけ離れているという点が、本田宗一郎独特のものである。
楕円ピストンにしようと決めたその日から、発想の転換をせず、ただひたすら物にするための試行錯誤を繰り返す。特にピストンリングとリング溝の位置、形状は絶対にコンピューターによる解析を使っていない。一応使ったことになっているが、実際使っていないからこそ、本田宗一郎エンジンなのだ。