ホンダは、1979年にデビューさせたCX-GL500でVユニットの速さを前面に押し出そうとしたが、やはり造形美的に“速さ”のないエンジンは日本では受けず、あくまでアメリカンモデルとしての付加価値しか与えられなかった。それは、後のV4のセイバー/マグナも同じであった。
またホンダのVユニットの評価は、同時にNR500のGPレースでの敗因ともオーバーラップされる不運を持ち合わせていた。
しかし、1983年のデイトナで、F・スペンサーがVFのユニットを5mmボアアップした859ccのRS850Rを駆り1位を得ることで、状況はガラリと変わってしまう。HRCとしても耐久レース用ユニットとしての新しい方向性を、そこに見い出すのである。
さらに1984年はF1クラスが750ccリミットになり、再びVF750のユニットはオリジナルのままでフルチューンされる。70×48.6mmの748ccはノーマルで72ps/9500rpm、輸出仕様が90ps/10000rpmだがHRCキットではなんと120ps/12000rpmにまでアップされたのである。
その後のV4ユニットの圧倒的活躍は、今さら説明するまでもないことである。