幻立喰・ソ

第22回 もしも〜が〜の立喰・ソがあった……のか?

 昨日はニコニコえびす顔だったのに、今日はプンスカ閻魔顔、明日はトホホしょんぼり顔で、明後日は無表情な能面フェイス。これは極端過ぎるとしても、喜怒哀楽が激しすぎる人は面倒です。

「もしも喜怒哀楽が激しい立喰・ソがあったら」

 「もしも、女子高生がドラッカーを読んで立喰・ソを始めたら」の方ではなくて、長さんが前説とナレーションする方です。その「もしもシリーズ」に立喰・ソのコントもあったとウイキ先生が教えてくれました。さすがウィキ先生。内容の濃さに圧倒されます。怖いくらいに。

 「もしもあっても、喜怒哀楽の激しい立喰・ソなんて誰も行かないんじゃない?」 とお思いでしょう。
 “ソ”だけに“さ”にあらず(ちょっと上手いこと言ったような気がして自画自賛)。

 店員さんの態度がよろしくないのはあらゆる業種に存在しますが、立喰・ソは店と客の接点の短さがクローズアップされるのです。シンプルな単品注文の場合、店員さんとの言葉のキャッチボールなんてこんなものでしょう。

A・食券がない場合

①『しゃい』
②「天そば」
③『350円』
④「ごっそさん」
⑤『した〜ぁ』

B・食券がある場合

①『いらっしゃいませ』
②『そばですか? うどんですか?』
③「そば」
④『おまちどうさま』
⑤「ごちそうさん」
⑥『ありがとうございました』 


※①④⑤⑥を省略するショートバージョンもたまにありますが、そんなにぎすぎすしなくてもねえ……

 
 さらに
『冷たいの? 温かいの?』
『関東風? 関西風?』
『玉子は生? 茹?』
『コロッケは別皿?』
『共和党? 民主党?』
など、オプションを追加しても、せいぜい10会話くらいでしょう。

 駅前とか商店街ではなく「なんでこんなところに?」という住宅街や町外れの立喰・ソの場合、長閑な昼下がりだと店番をしている若奥さん(とはいえover30)が、閑にまかせダンナ、お姑さんから始まり、いとこのカズちゃん、謎の占い師や長谷川理恵、果ては江沢民やサム・ペキンパーまで、ありとあらゆる罵詈雑言、噂話を延々をしゃべる続けるという例外はあります。

 うんうんと適当に相づちを打っていると、九段の母ではなく、件(くだん)の若奥様、とろんとした目になってあれよあれよという間にマディソン郡の橋。そばセットに若奥様をトッピングというのも四度も三度も二度どころか、無論一度もありません。残念!(ああ、もうなつかしの波田陽区風に)
 なんの話でしたっけ? 店員さんと接点が少ないので態度の悪い店員さんがふんぞりかえっていても、そこそこ旨くて、そこそこの値段で、そこそこの立地条件であれば、成り立つという立喰・ソ経営概論です。
 中でも重要なのが立地条件。天使のような美しくやさしい店員さん(または菅野美穂)がいて、ミシュラン10星越えの味とサービスでいながら天ぷらそばが10円であっても、例えば旧胆振線脇方駅前跡地ではかなり厳しいでしょう。

 なのに、ああそれなのに……という伏線を張って唐突に今回ご紹介させていただく幻立喰・ソは、オヤジの聖地にして立喰・ソの超一等地、東京は新橋に存在した日本亭です。

 さすが新橋。幾千の、は言い過ぎですね。幾十かの立喰・ソがあります。駅から半径約218.72266ヤード以内(1ヤードは36インチ。1インチは0.0254m。さあ、計算しよう)に限っても、誰もが認める名店T、高レベルのK、ボンジュールなP、某社重役も来るという超穴場I、おもしろ季節商品で定評のH、女性層にも人気のT、マイタケ天が絶妙のO、そして不動のチェーン店FにおなじみNRE系列のIなどが朝メシ代わり、昼メシ、呑みのシメと、食欲性欲は貪欲なのに頭とサイフは薄いオヤジ達に対応すべく、切磋琢磨の日々を展開しているのです。
 新橋のような特殊な立地条件の場合、超一等地でも、日々の努力を怠り、キリギリスや小原庄助さん的生活をしていてはいけない、いや、超一等地ゆえに、激戦が厳しくなって当たり前なのです。

 あれ〜? 最初と話が違ってきてしまったような気がしないこともないような気がするのは、気のせいです。

 
 そんなJR新橋駅の地下改札前、東京メトロ銀座線と都営浅草線の通路がぶつかり合う、黙っていても黙っていなくても人が途切れない超最高の超一等地の超ド角に日本亭はありました。ストライクなネーミングと解っている風な紺のれんと小粋な割烹風制服が期待値を増幅します。ですが店員さんは東南アジア系のおっさんとあんちゃんのペア。しかもこのペア、貴方の予想を裏切らない奥様は魔女ではなく、喜怒哀楽マンだったのです。

 最初に訪れたのは2002年の夏でした。むんむん騒然とした地下通路から足を踏み入れると、店内は薄暗く怪しい雰囲気がぷんぷん。あまり広くないのにさらに狭く見せる亜空間プロデュースか、粉袋やネギの箱や醤油や油の入った一斗缶、古新聞、古雑誌などがそこかしこに雑然と置かれていました。でっかいガラスの筒みたいなやつでアヘンを吸っている老人がうつろな目で座っていても、さほど違和感はありません。

日本亭
奧に写っているのが主かバイトのあんちゃんのどちらか。(2002年7月撮影)

 雰囲気にしびれながら券売機に100円玉を4枚投入し「天ぷらそば・うどん」と書かれたボタン(「天ぷらうどん・そば」だったかもしれません)を押して食券を買い、主とおぼしき男の前にそっと置いてみました。 
 なんということでしょう。私が「そば!」と宣言をする前に「そばれすの〜ね」(みたいな感じ。はっきり思い出せない)と満面の笑みで応え、間髪入れず冷たい水が出てきました。

 ロン・ハスラムのロケットスタートを連想させる幸先よい始まりでした。同じロケットでもどこへ飛んで行くのか解らない某国のロケットは困ったもんです。初代ファミコンを連想させる国民保護に係る警報が聞こえてこないことを切に願います。

 5分程待ったでしょうか、立喰・ソで待つ5分というのはかなり長く感じるものです。あと5分だけという冬の朝のふとんの中の5分と同じ時間とは思えません。

 出てきたそばは衝撃でした。

 所々が焦げたかき揚げは重巡三隈の最後の姿を連想させます。黒いおつゆをギラギラと反射させる油はナホトカ号重油流失事故を思い起こさせます。が、見た目で判断してはいけません。
 妙にぬるっとした丼を持ち上げおつゆをすすれば、ん〜っ、ぬる〜い。うす〜い。真っ黒なのに薄い、ナニコレ? 業界の一部で通称「しょうゆ湯」と呼ばれている、お湯にしょうゆをどぼどぼ入れたようなダシがまったく利いていないおつゆは、立喰・ソでは珍しくないのですが、薄味のしょうゆぬるま湯は初体験。

芸術的なそば
大失敗の天ぷらそば。400円。かき揚げは口が切れそうなカッチカチなのに油ギトギチというスーパーイリュージョン。(2002年7月撮影)

 気を取り直しそばをつまみ上げようとしたら、ぶつんと切れました。茹ですぎそばも珍しくないのですが、ここまで茹で上げておきながらも見た目の形を崩していないというのは間違いなくイリュージョン。
 仕上げは切り裂きジャックが感情のおもむくまま切り刻んだようなネギ。これも立喰・ソでは珍しくもなんともないのですが、ここまで見事に役者が揃うとネギだって負けてはいられませんということで。

 見事な大失敗ソはそうそう出会えるものではありません。とは言え一度で十分です。前記のように新橋には名店がごろんごろん、「エトさんそれ誤ロンです」とあるのですから、あえて大失敗立喰・ソを食べに行く理由などありましょうか? ありません。が、人間というのは、どれくらいまずかったのかをもう一度体験したくなるのです。だって人間だもの。
 そして、東南アジア系あんちゃんの元気にハキハキ接客とにより、二度と来るもんかエネルギーがかなりそげ落とされたことも大きく影響しています。
 

 人の噂も75日の15倍の3年後、わくわくしながら食券を買ってそっとカウンターに置きました。

 あれ? あの笑顔と「そばコール」は聞こえません。気づいていないのかと「そばで」と宣誓したところ、めんどくせ〜という感じでちらっと顔を上げました。おや別人? いやいや、あのにっこり「そばれすのね」さんですよねたぶん。
 キツネにつままれ、タヌキに化かされた(立喰・ソだけにね。どうも上手いね=自画自賛)気分で5分程待つと、「てふそふ」という音とともに丼がカウンターに置かれました。「てふそふ」=「天ぷらそば」ではないかと思います。

 あの大失敗ソが出てくれば大いに結構。「二度とこないんだから!(ぷ〜っとふくれ面の菅野美穂風に)」と快挙を叫ぶのですが、丼からはカツオだか昆布だかのダシの薫りがふわぁと立ち昇る澄んだおつゆ、ぷりぷりぷりぷりぷりぷりっとしたそば、チリチリと揚げたて音を発しながら香ばしい香りを発するかき揚げ、そしてそれらを見事に締めるほどよくみじん切りにされ白い部分と青い部分のコントラストが美しいねぎと、五感とストマックを激しく刺激する見事なソがそこに。ややぬるっとした丼を手に取れば、味またしかり、見た目を裏切らなかったのです。


芸術的なそば
大成功な天ぷらそば。3年の間に30円値上がって430円でした。(2005年9月撮影)

 暑い日に熱い厨房で、しかも前記のようにカウンターも厨房も狭く、整理整頓という言葉とは縁遠いほど雑然の店ですから、ぐらぐらぐりとぐらが煮立つ(ぐりとぐらってなんでしたっけ?)不機嫌環境は十分整っていましたから、たまたま不機嫌だったのかもしれません。だって人間だもの。
 おいしければそれでいいじゃないかと冒頭の結論に戻るのですが、そうは問屋が卸さない。どこの問屋が何を卸さないのか? これで話が終われば、なにがめでたいのか、めでたしめでたしですが「事実は小説よりも奇なり」なのです。
 この後も3回ほど通いましたが、それは見事に行く度にご機嫌と味がランダムに変化していました。

 2011年秋、久々に行ったら跡形もなくうどん屋さんに変身していました。
 結局「上機嫌+おいしい」の至福の組み合わせに巡り会うことはありませんでした。「上機嫌」「中機嫌」「不機嫌」(上機嫌の反対は下機嫌じゃないのかという議論はまたの機会に。またと言っても永遠にしませんが。「今度呑みに行こう」の今度と同じ扱いです)と「うまい」「普通」「まずい」の組み合わせは9通りですから、最低でも9回は行かないと大当たりは出せなかったんじゃなかろうかと後悔しております。


跡形もナシ
あとかたもなし。(2011年10月撮影)

 いや、それよりも、あれは本当にあったことなのか、実は私の脳内で作り出されたオモシロ立喰・ソストーリーではなかったか。
 日本亭のあった場所に立ってふとそんなことを思った、昼下がりでした(以前も同じように締めたような……デジャブでしょうか? いいえ、第19回でもやってます)。


■立喰・ソNEWS

●おおっ!クリステル

見事なおしながき

見て下さいこの見事なお品書き! 「ファンター」と音引きも素敵ですがポイントはそこではありません。もちろんフォトショップでねつ造した写真でも、私の部屋の額縁でもありません。北海道は道央と道東と道北の微妙な境界あたりのクリステルな町にある立喰・ソです。バリバリ盛業中ですのでこのコラムでは紹介しませんが、クリステルな町には駅、駅前、そして駅からちょこっと離れた国道沿いと、シャッター通りが当たり前となってしまった地方都市にしては珍しく立喰・ソがあります。中でも輝いているのがここ。すべて280円ですよ! 信じられな〜い! カレーうどんにライスを付けて、さらに食後におにぎり食べてもワンコインなのです。しかもこれがうまい! この夏北海道ツーリングに行く貴方、ドキドキしながら小粋に「かけ」を注文する大冒険はいかがでしょう。


バソ
バ☆ソ
日本全国立ち喰いそば全店制覇を目論む立ち喰いそば人。現在500店以上を制覇したものの、データ化されていないのでたいして役に立たない。そば好きから、立ち喰いそば屋経営を目論むも、先立つものも腕も知識も人望もなく断念。で、立ち喰いそば屋を経営ではなく、立ち喰いそば屋そのものになろうとしたが「妖怪・立ち喰いそば屋人間」になってしまうので泣く泣く断念。世間的には3本くらいネジがたりない人と評価されている。一番の心配事はそばアレルギーになったらどうしよう……。


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