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1970年代後半、ホンダのロードパルやヤマハのパッソルに端を発したファミリーバイクが大ブームとなったこともあり、国内二輪車市場は急速に拡大、1970年は110万台規模だったものが1979年には190万台規模にまで達していた。スポーツモデルは、免許制度の改正という名の改悪によって400ccまでの中型クラスが主役となったこともあり、それまで中間排気量扱いであった250クラスは、車検もなく維持費も安いこともあり「クォーター」と呼ばれてじわじわと人気が上昇していった。 1970年代後半といえば、国内では二輪に対する環境規制はほぼ皆無も同然であったが、北米を中心に排出ガス規制が徐々に強化されはじめた頃であり、250の中心勢力であった2ストロークスポーツの将来は、けして明るいばかりではなかった。そんな状況下で、2ストメーカーとして名を馳せたヤマハは、「最後の2ストスポーツを作る」という意気込みでRZを製作し大ヒットを飛ばした。それはまさに、2ストが最強にきらめいた最後の時代の幕開けでもあった。
1980年に発売を開始したRZ250は、空冷エンジンのライバル車を一瞬のうちに時代遅れにした革新的なスポーツモデルであったが、それはまたパンドラの箱を開けた瞬間でもあった。バイクブームはさらに加熱し、当然ライバルメーカーも高性能モデルを投入したことでRZの天下は長くは続かなかったのだ。対抗するためRZはRZ250Rに進化するも、さらに上回るライバルが出現するという、バイク史上最も激烈な2スト戦国時代を迎える。レーサーレプリカに主役が移ったことによりRZは第一線を退くが、高性能競争のラインを外れたことにより、ノンカウルスポーツとしてその血統はしぶとく残り続けた。
「公道版TZが発売される」という噂どおり、1979年の東京モーターショーで初お披露目されたRZ250は大きな注目を浴びた。新設計の水冷2気筒ピストンリードバルブエンジンは、市販レーサーTZ250 をベースに開発されたもので、従来のRD250を上回る当時クラス最強の35馬力。オフロードモデル用として誕生し、ロードレーサーにも採用されたリアのモノクロスサスペンションは、市販ロードモデルでは初採用。スピード感あふれるスポーティなデザインと相まって、発売前から予約が殺到、発売後もバックオーダーが増加し続けるという大人気となり、2ストローク250の新時代に火を付けた。