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ホンダがWGPに初挑戦した1959年から、全クラスを制覇しサーキットを去った1967年までの第一期と、1976年ヨーロッパ耐久でサーキット
に復帰し、1979年NR500で再びWGPへと参戦を開始するまでをお送りした前編に続き、後編は1980年代から2000年代初頭までホンダの常勝時代を支えた2ストロークマシンNS、NSR500をメインに、ホンダコレクションホール動態保存テストの模様からご紹介させていただこう。なお、巻末には日本人ライダーとして初めて優勝を飾った高橋国光選手の1961年第2戦西ドイツGPの実況録音を特別付録として掲載しましたので、お楽しみください。
●解説:濱矢文夫
●撮影:依田 麗 ●取材協力:Honda https://www.honda.co.jp/ ホンダコレクションホール https://www.honda.co.jp/collection-hall/
後編・4ストロークから2ストロークへ 1982年〜2002年
1979年WGPへの復帰に際し、ホンダはあえて4ストロークのNR500で参戦した。革新的なマシンであったが新技術ゆえの試行錯誤も多く、実戦において結果を出すことは容易ではなかった。「レースは走る実験室」とは言え、勝てない技術には意味はあっても意義がないこともまた事実。ついにホンダ初の2ストWGPマシンNS500が製作された。フレディ・スペンサーとNS500は1982年第1戦アルゼンチンGPでデビュー。第7戦ベルギーで初勝利を飾り、勝てるマシンであることを証明した。1983年は参戦2年目で早くもチャンピオンを獲得、世界の頂点へと返り咲いた。
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再び4ストロークの時代へ。2002年〜 RC211V
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2000年の4月にFIM(国際モーターサイクリズム連盟)は2002年シーズンからロードレースWGPのトップクラスを、それまでの2ストローク、4ストローク問わず500ccまでから、4ストロークの990ccまでに移行すると発表した。NR以来となる4ストロークエンジンを手がけることになったホンダは、すべてのエンジンレイアウトを検討しながらレギュレーションで4気筒と5気筒の最低重量が変わらないことに注目。得意のV型4気筒エンジンに1気筒追加し、前側を3気筒にしたV型5気筒20バルブというこれまでになかったレイアウトを採用。。とはいえ、VバンクはRVFなど90°だったV型4気筒とは違い75.5°。この挟み角なら90°V4と同様、理論上の一次振動を打ち消せてバランサーシャフトは不要。さらに気筒数を増やすことによって高出力に繋がる高回転化をしやすく、ピストンを小さくできるのでシリンダーからヘッドまわりをコンパクトにすることができるなどのメリットもあった。
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2003年 #46バレンティーノ・ロッシ 9勝 ライダーチャンピオン。 | 2004年 #15 セテ・ジベルノー 4勝 ライダーランキング2位。 | |||
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2005年 #33 マルコ・メランドリ2勝 ライダーランキング2位。 | 2006年 #69 ニッキー・ヘイデン 2勝 ライダーチャンピオン。 | |||
2002年にデビューしたRC211Vは、バレンティーノ・ロッシの11勝を始め、宇川とアレックス・バロスにより3勝を挙げライダー、マニュファクチャラーズチャンピオンをホンダにもたらし、NRの雪辱を見事果たした。以降レギュレーションの変更により990cc最後の年となる2006年まで走り続け、2003年16戦15勝、2004年16戦7勝、2005年17戦4勝、2006年はニュージェネレーションと呼ばれるフルモデルチェンジバージョンが17戦8勝を挙げた。2007年からは800ccV型4気筒のRC212Vが2011年まで走り、2012年からは1000ccまで排気量が拡大されたことにより、1000ccV型4気筒のRC213Vにスイッチし今日に至っている。
●エンジン:水冷4ストロークV型5気筒DOHC4バルブ ●総排気量(内径×行程):990cc(-×-mm) ●最高出力:240PS以上/-rpm ●変速機:- ●乾燥重量:148kg ●タイヤ前・後:17インチ・16.5インチ |
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多くの名ライダーを育てた軽量クラスマシンNSR250/RS125RW
NSR500のエンジンをちょうど半分にしたようなV型2気筒エンジンを搭載したホンダのワークスマシンNSR250は、前年500ccとのダブルエントリーが大きな話題となったフレディ・スペンサーのRS250RWをベースに開発され、1986年にデビュー。以降16年間に渡りWGPをはじめとして全日本選手権でも活躍した。WGPではアントン・マンク、アルフォンソ・ポンス、ルカ・カダローラ、マックス・ビアッジ、加藤大治郎がライディングし、7度のタイトルを獲得している。全日本でも清水雅広、岡田忠之、宇川徹、加藤大治郎がチャンピオンを獲得した。
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1993年、ロスマンズホンダチームから念願のWGP250ccに初挑戦した岡田忠之のNSR250は、前年にフルモデルチェンジをした2世代目であった。一軸V型2気筒のエンジンのVバンクは、90°から75°に狭められコンパクト化。フロントフォークは正立から倒立に。リアスイングアームがプロアームになり、ドライブチェーンは右側になった。1993年モデルではカーボンブレーキディスクを採用。岡田のこのシーズンの最高成績は2位のランキング8位。ホンダNSR勢は残念ながらチャンピオンを逃しロリス・カピロッシがランキング2位で終えた。
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全日本選手権の250ccクラスで3年連続チャンピオン(1989~1991年)を獲得した岡田忠之が1993年、世界GPにフル参戦を開始した記念すべきマシン。HRC Rothmans Hondaからのエントリーで、第3戦日本GPと第8戦カタロニアGPで2位を獲得し、最終的なランキングは8位だった。岡田と全日本時代からのライバルであったヤマハの原田哲也が、岡田と同じくこの年に世界GPフル参戦。市販レーサーのRS250Rから念願のNSR250に乗り換えたロリス・カピロッシと激しいチャンピオン争いを繰り広げたが、最終戦の劇的逆転によってチャンピオンを逃している。
●エンジン:水冷2ストロークV型2気筒クランクケースリードバルブ ●総排気量(内径×行程):249cc(-×-mm) ●最高出力:90PS以上/12750rpm ●変速機:- ●乾燥重量:95kg ●タイヤ前・後:17インチ・17インチ |
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イタリア・ローマ生まれのマックス・ビアッジがオートバイのロードレースを始めたのは1989年の17歳。幼少の頃からレースに出ていたライダーが多い中では異例の経歴である。1990年イタリア選手権125ccチャンピオンを獲得し、1991年にヨーロッパ250ccチャンピオン、1993年にはWGP250ccデビューという間違いなく天才肌のライダーだった。1994年に世界チャンピオンになるとそこから破竹の勢いで4連覇を達成した。その最後の年となった1997年から4年ぶりにホンダに復帰。この車両は2世代目NSR250の最終型。お尻が下がったテールカウルは、後続にスリップストリーム効果を与えにくくするとして当時流行していた。
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WGP250ccクラスで1994年から3年連続チャンピオンを獲得したマックス・ビアッジがアプリリアからカネモト・ホンダに移籍した1997年。ラルフ・ウォルドマン(ホンダ)、原田哲也(アプリリア)と三つ巴の激しい争いを制し、全15戦中5勝で自身にとって4年連続、ホンダにとって1992年以来のタイトルをこのマシンがもたらした。 | ||
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NSR250は強いライバルに対抗するために1998年モデルから3世代目になった。2ストロークV型2気筒エンジンはそれまでとまるで違うもの。一軸クランクから単気筒エンジンを繋いだような二軸クランクにして、Vバンク角は110°に広げられた。クランクは前後逆回転。登場した時はピボットレスフレーム、サイドラジエターだったが1年後のこれはその両方ともやめている。1996年からWGP250ccクラスに参戦した宇川徹は初期モデルから3世代目に乗ったライダー。2001年からトップカテゴリーにステップアップするが、これに乗った1999年シーズンが250ccクラスランキングでのベストでバレンティーノ・ロッシに次ぐ2位だった。
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大きく改良された1998年型をベースに、ライバルであるアプリリアRSV250に対抗するためより高速化が行われた。この#4は、宇川徹がホンダワークスとしてWGP250クラスにフル参戦したマシンで、開幕戦から3戦連続2位を獲得、続く第4戦フランスGPではついに優勝、その後も安定した戦いを続け、第12戦バレンシアGPで再び1位を獲得、16戦中11戦表彰台に登る大活躍でランキング2位を獲得した。 | ||
イタリアのグレシーニ・レーシングと契約してWGP250ccに参戦するようになった2年目の2001年シーズンは、加藤大治郎のひとり舞台だった。1993年に世界チャンピオンになったアプリリアに乗る原田哲也と争いながらも、このクラスのシーズン最多優勝記録にならぶ16戦中11勝をあげて世界チャンピオンを獲得。その功績により文部科学省からスポーツ功労賞を受けた。NSR250は前年モデルのフレームとは違う完全に新設計した別物。2軸の110°V型2気筒エンジンは熟成型だ。 |
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2001年シーズンのWGPを戦ったのはNSR250の最終進化モデル。全16戦中11勝をマークした加藤大治郎が世界チャンピオンを獲得し、ホンダにとって1997年以来17度目の250ccクラス・マニュファクチャラーズタイトルももたらす。 | ||
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2018年シーズンで惜しまれつつ現役を引退してしまったダニ・ペドロサが、テレフォニカ・モビスター・ジュニアチームからトニ・エリアス、ホワン・オリベと一緒にWGP125ccクラスに参戦したのは2001年。まだあどけない15歳の時だった。デビューシーズンは2位を2回でランキング8位。2002年は優勝3回、2位3回、3位3回でランキング3位と着実な成長をして、アルミフレームのRS125RWに乗る3シーズン目となる2003年に優勝5回で125cc世界チャンピオンに輝いた。小柄なライダーが多い中でもとびきり小柄な体で最終的にはMotoGPマシンまで操った。デビューから2018年に引退するまでホンダ一筋であった。 |
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RS125RWは、ロリス・カピロッシ、アンドレア・ドヴィツィオーゾ、青木治親など多くの有名ライダーを輩出している。ちなみにRS125Rの世界GP向けの仕様といわれるモデルがRS125RWだが、いわゆるワークスマシンではなく、市販モデルがベースのHRCのスペシャルキット装着モデルである。 | ||
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WGPにおいて日本人ライダーの初優勝を飾ったのはRC162をライディングした高橋国光選手。その貴重な実況アナウンスのダイジェストです。ドイツ語ですが高橋選手の名を連呼する様子から、当時の状況が伝わってくるようです。こちらで動画が見られない方は、YOUTUBEのサイトで直接ご覧ください。 |
[前編・RCレーサーの時代へ]