凪いだ海面をボートがスーッと滑るように街の中を走る。急くようにダッシュして走るのが野暮に感じる心地よさ。性能を競ったりするのとは無縁だ。あらためてオートバイの楽しさはパワーや速さだけでは語ることが出来ないというのを思い知らされる。
エストレヤで走っていると、いつも通る都心の混雑した道も、いつもとは少し違う趣が加わったみたいだ。目を吊り上げて乗る必要がない、なんとも開放的で、リラックスした気持ちになれるゆったりとした世界。それだから、通常よりちょっと増した幸せに包まれ、誰よりも早く目的地に着きたいという世俗的な思いが薄れていく。普段の道行きが、旅の中に入っているような雰囲気。
■試乗&文:濱矢文夫 ■撮影:依田 麗
■協力:カワサキモータースジャパン http://www.kawasaki-motors.com/
ライダーの身長は170cm。写真の上でクリックすると片足時→両足時、両足時→片足時の足着き性が見られます。 |
空冷単気筒エンジンは、スタイルにあったテイストを持っている。
直立した空冷4ストロークSOHC単気筒249ccエンジンは、お世辞にもパワフルとは言えないけれど、低中回転のトルクがあって、常時4速、すいていればトップ5速の低目の回転数のままギアを変更することなく、スムーズに走れてしまう。細かで難しい操作はいらない。ハンドルを掴んで、右手をひねり行き先に前輪を向けるだけ。
そのままスロットルを開けたら、現代のオートバイからはなかなか聞けなくなったアナログ的な歯切れのよい音と、強すぎないが確実にある鼓動と共に、ゆるやかに速度を増す。高回転域はドラマチックとは言い難いけれど回すとそれなりの加速で、クルマの流れをリードできる実力はある。けれど、そういう気にならないんだ。本当に。
長寿モデルだった理由は、この排気量クラスでは他に似たものがない独自性があったから。
もし、これがスポーティーな匂いをさせる見た目だったら、ちょっと残念に思うかもしれない。しかし、エストレヤはスポーツバイクではないからね。60年代にあった名車、カワサキメグロSGを彷彿とさせるクラシックスタイル。金属のパーツが多く、そのディテールにもこだわっている。金属が本物で、樹脂が偽物なんていう考えはこれぽっちもないけれど、金属がこのオートバイのスタイルに説得力を与えているのは確かだ。古い時代を知らない若い世代でも、どこか懐かしいと感じさせる。今、流行っているネオレトロとも明らかに違う。
ファイナルエディションはもっとその趣向を凝らした特別仕様になっている。70年代のカワサキにあったロードスター、650RSを思い出させるカラーグラフィックと、今までのエストレヤにありそうでなかった伝統的な“Kawasaki”の文字が入った燃料タンクや、縦のタックロールシートなど、これまでのエストレヤよりクラシック風味をもっとまぶしたテイスト。サイドスタンドにもたれかかり置かれている車両を、ちょっと離れたところから眺めると分かるが、どんな景色にも溶け込んでよく似合う。
エストレヤとは、スペイン語で“星”という意味(だから燃料タンクに星のエンブレムが入っていたこともある)。1992年に誕生してから細かい変更は受けてきたけれど、基本のレイアウトは大きな変更がなく、2017年のファイナエディションまで続いた長寿モデルだ(詳しくはエストレヤ大全を参照。その理由は乗って体験すると分かる。車検もなく維持するのが楽で手に入れやすい250ccクラスにおいて他に類のない存在であったから。
そして、味のある存在感だけでなく、乗りやすく運転するのが楽しいと感じる充実感。
跨ると際立つスリムさを実感する。単気筒エンジンを搭載したシンプルなフレームを採用しているメリットだ。735mmという低いシートは、身長170cmで短足の私でも膝に余裕があるほど足着きがいい。だから色々事情があって一旦オートバイから降りたけれど、また戻ってきたいというリターンライダーや、足着き性が気になってしょうがない小柄なライダーでも、怖がらずにライディングできる絶妙なサイズ。フロント18インチ、リア17インチに細いタイヤを履いたハンドリングは、自然な動きで高い安定感。その扱いやすい空冷単気筒エンジンの特性と相まって乗りやすくて、どんなライダーにもオススメできる。
エストレヤには「温故知新」という言葉がぴったりくる。
個人的にはスポーツライディングが大好きだが、正反対とは言わないけれど方向性がまるで違うこの乗り味をつまらないとは感じることがない。それはルックスと、エンジンや車体の味付けのバランスがとてもいいからに違いない。高い速度や強い加減速ができなくても、オートバイを操っている充実感がちゃんとある。乗っていると、周りに並んでいるクルマやオートバイを気にせず、エストレヤとふたりだけで対話しているような気になっていく。
ドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェは「足下を掘れ、そこに泉あり」と言った。昔のことをもう一度考え直すと、新しい事が手に入るという。エストレヤは25年以上昔に誕生した大きな話題になるような最新モデルではないけれど、このファイナルエディションに触れ、一緒に走って、新しい魅力を知れた。まだ苦労せずに車両を手に入れられることから、オートバイライフを彩ってくれる相棒として見つめ直す良い機会だと思う。
(試乗・文:濱矢文夫)