●文・写真:佐藤洋美 ●写真:David Reygondeau
|
||||
フランス・ブガッティサーキットで2016〜17年世界耐久選手権(WEC)第2戦「ル・マン24時間耐久レース」が開催されました。開幕戦は2016年の9月の「ボルドール24時間耐久」でスズキ・エンデュランス・レーシング・チーム(SERT)が優勝、2位にSRCカワサキ、3位にトリックスターが初表彰台をゲット、5位にTSR。GMT94ヤマハは序盤2度の転倒から追い上げ9位。ヤマハ・オーストリア・レーシング・チーム(YART)は何度もトラブルに見舞われながらも追い上げましたがリタイヤでした。 |
||||
|
|
|||
ブガッティ・サーキットに集まった観客は約75000人。ピットウォークはこの賑わい。 | カワサキ・ファンもポールポジションに大満足か……。 | |||
YARTに、今季からヤマハワークス入りした野左根航汰が加わり、ブロック・パークス/マービン・フリッツ。ブリヂストンタイヤが本格的参戦を発表、TSRに続いてYARTにも供給。MotoGPの監督を長年務めた中島雅彦氏、ヤマハのスーパーバイク開発の第一人者であるエンジニア猪崎次郎氏も野左根に同行。パドックでは、いよいよ、ヤマハワークス参戦かと囁かれることになります。 |
||||
|
|
|||
1万人のサポーターの力で世界の頂点を目指そうという「イカヅチ作戦」(http://www.mr-bike.jp/?p=128925 )が進行中のトリックスターからは出口修が参戦。 | ヤマハワークス入りを果たした野左根航汰が初めてル・マンに挑んだ。写真右は長年MotoGPの監督を務めた中島雅彦氏。 | |||
|
|
|||
若手ライダー・大久保光は、プライベートの名門チーム「ナショナルモトス」の一員として初挑戦した。 | 事前テストで亡くなったアンソニー・デラールさんを追悼するセレモニーが、決勝前に行われた。 | |||
ル・マン24時間耐久は第40回大会。今季、鈴鹿8耐も40回目ということでル・マン市長、モビリティランド山下晋社長なども参加した記者会見が行われ、ル・マンと鈴鹿の友好の記として盾が表彰式に送られることも発表されました。 |
||||
|
||||
伝統のル・マン式スタート! ポールポジションはSRCカワサキ、2番手はヤマハ・オーストリア・レーシング・チーム、3番手GMT94ヤマハ、日本チームのTSR(ホンダ)が7番手、トリックスター(カワサキ)は13番手からのスタートとなった。 | ||||
決勝朝はどんよりとした曇り空、気温も低く、厚手のジャケットが必要なくらい肌寒い気候となりました。予選通過の59台が整列、伝統のル・マン式スタートが切られ、ホールショットはYART、序盤、早くもセーフティカーが入り、リスタート、激しいトップ争いが繰り広げられます。トリックスターは、クリックシステムを投入しますが、そのセットアップが上手く進まず、レースウィークに従来型のマシンに変更、その影響もあり、予選順位が悪かったのですがニゴンは「序盤で5番手まで上げる」と誓っており、その言葉通りにポジションを挽回していました。そのニゴンが遅いマシンを避けきれずに転倒、なんとかピットに戻りスタッフに「すまない、避けられなかった」と何度も謝り顔をゆがませます。そのニゴンに出口が「問題ない大丈夫だ」と声をかけます。ニゴンは、これまでの経験から肋骨が折れていることに気が付きますが「僕のミスでチームに迷惑をかけるわけにはいかない。走らないなんて選択肢はない」と走り続けます。それも転倒前と変わらないタイムで、です。出口が変わってコース復帰しますが、47番手からの追い上げとなりました。 |
||||
|
||||
全長4.185kmのブガッティ・サーキットを24時間走る。スタートを切ったのは59台のマシン。どんよりと曇り、真冬を思わせる朝だった。 | ||||
YARTは主導権を握りトップを走ります。パークス、フリッツとリードを広げ、野左根も首位でバトンを渡します。初挑戦のル・マンで、トップでライダー交代、緊張感が伝わります。 |
||||
|
||||
「さすがに緊張した」というヤマハのホープ・野左根航汰が素晴らしい走りを見せた。マイク・ディ・メリオ(GMT94)とのバトルは、観客を大いに沸かせた。 | ||||
夕闇から漆黒の夜へと時間が流れて行きます。ダウンジャケットが必要なほど気温が落ち込み、寒さが身に沁みますが、バーベキューの煙が上がり、移動遊園地の明かりが灯り、コンサートの音楽が響く中で、エンジン音は止まることなく、戦いは続きます。 |
||||
|
||||
ワールドスーパースポーツ(WSS)に参戦している大久保光が、初めてのル・マン24時間を走った。フランスの名門チーム「ナショナルモトス」のステファン・アダジュ監督から「大久保はWSSで人気の若手ライダー、ぜひ一緒に戦いたい」という嬉しい声がかかったのだ。 | ||||
|
|
|||
サーキットの外ではコンサートが行われ、移動遊園地に明かりが灯る。 | チームスタッフ、メカニック達も24時間を戦う。レースが続く中、さすがに睡魔も襲ってくる。 | |||
|
||||
漆黒の闇の中をマシンを駆る。 | ||||
東の空が明るくなり、しらじらと夜が明けます。日が昇り始め、そして、レースのハイライトとなるバトルが、精神的にも肉体的にもピークを過ぎた残り4時間で繰り広げられるのです。トップを走る野左根の背後に2番手を走行するGMT94のマイク・ディ・メリオが迫ります。そのディ・メリオは出口を跳ね飛ばします。ディ・メリオは野左根を捕らえますが、野左根も抜き返します。20時間も経過してスリリングなバトルを展開する野左根の度胸にすごいと思いながら、ここで転倒なんてことになったら、それはそれで立ち直れないだろうなと歓喜と心配な気持ちが交差します。 |
||||
|
||||
東の空が明るくなる。やがて夜が明ける。サーキットにマシンの咆哮が途絶えることはない。 | ||||
その後、YARTは首位を追いかけますが、思うようにペースが上がりません。後に判明するのですが、雨仕様のセットになるボタンが押されていて、それに気が付かず、最後のライダー交代で、気がつき、再びペースアップしますが、その差を取り戻すことはできませんでした。 |
||||
|
||||
ヤマハ・オーストリア・レーシング・チーム(YART)とGMT94ヤマハの、ヤマハ同士のバトルは最後まで続いた。24時間、860周走って、その差は僅か19秒819だった。 | ||||
860周という新記録でGMT94が優勝、2位YARTも同一周回でヤマハが1-2で、これは史上初、その差19秒819も新記録。3位に12周差で転倒やトラブルを乗り越えSRCカワサキが入り、その45秒差にSERT、5位にTSR。TSRもトラブルがありながらの上位入賞で力を示しました。ナショナルモトスは転倒やトラブルがあり、大きく後退しますが、追い上げて22位で目標の完走を果たしました。走り切れたのは37台、22台がリタイヤの過酷な戦いでした。 |
||||
|
||||
昨年のボルドール24時間(第80回ボルドール24時間耐久レースレポート参照)では3位に入ったトリックスター(カワサキ)の出口は、ディ・メリオと接触し転倒した。 | ||||
優勝したチェカは「スプリントレースを24時間したようなもの」と語り、ディ・メリオは「野左根とのバトルは100%の力を出した」と接近戦を振り返りました。野左根は「24時間、予選のようなペースで走り攻めなければならなかった」と語りました。野左根は初挑戦で初表彰台に駆け上がる活躍を示したのです。 |
||||
|
|
|||
ピットで出番を待つ野左根。後のマービン・フリッツがニコニコ顔なのはどうしてだろう……。 | 耐久レースにおいてピット作業はとても重要だ。TSRも本番に備え練習を続けた。 | |||
トリックスターは10位まで追い上げてディ・メリオに突き飛ばされ、そこから追い上げ12位フィニッシュしました。転倒後、鶴田竜二監督は危険行為だと審議を申し出ます。同時期にGMT94のクリストフ・グィオ監督がトリックスターのピットを謝罪に訪れます。記者会見でディ・メリオも謝罪、結局レーシングアクシデントで処理されますが、これがペナルティとなれば順位が変わる可能性があったので、パドック裏では、物議を醸し出していました。 |
||||
|
|
|||
一時は10位まで追い上げたトリックスターだったが、出口がディ・メリオに突き飛ばされ転倒。そこから追い上げ12位は立派だ。 | 心拍数が上昇し、瞳孔が開き気味となるほど体力を消耗していることも気づかず走り続けた大久保が得たモノは大きかっただろう。 | |||
レース後、ニゴンの肋骨は7本折れていたことが判明します。さすがに2度目の転倒があった時、モチベーションが下がるというか、あぁ~というムードがトリックスターを包んだのですが、骨折しているのに踏ん張っているニゴンの努力に応えたいと、トリックスターは再び、くじけそうになる気持ちをかき集めて諦めない戦いに立ち戻ったように思います。12位は悔しい結果だけど、胸をはってほしいと思いました。 |
||||
|
||||
歓喜のポデューム。優勝の美酒に酔ったのは、GMT94ヤマハだった。そして亡くなったアンソニー・デラールさんの功績を称えチャレンジスピリッツを賞賛する「Anthony Delhalle EWC Spirit Trophy」を受け取るために、4位のスズキ・エンデュランス・レーシング・チーム(SEAT)も表彰台に上がった。 | ||||
それでも、支えているのは大久保が参戦したナショナルモトスのようなプライベートチーム、トップチームはピット作業の5分前くらいからピットが慌ただしくなるので、ライダーがピットに入ってくるのがわかるのですが、ナショナルモトスのスタッフは24時間、ピットに立っていて、24時間参戦の誇りに胸を高鳴らせ、懸命に取り組んでいました。 |