FIMアジアロードレース選手権 (ARRC)参戦記  ナイトロ・ノリの「アジアはあぢ~でかんわ」第17回

ナイトロ・ノリこと芳賀紀行とその実兄である芳賀健輔がともに立ち上げたK-max Racing。FIMアジアロードレース選手権スーパースポーツ600クラスに参戦を開始した全く新しいチームが、シーズン唯一の母国、そしてホームコースでの一戦に挑む。


●取材協力-K-max Racing
FIMアジアロードレース選手権 Rd.3 鈴鹿
6月3日~6月4日
鈴鹿サーキット(全長5・821㎞/コーナー数20)
K-max Racing #41 YAMAHA YZF-R6 (スーパースポーツ600㏄クラス)
予選=5番手 レース1=7位 レース2=12位  ポイントランキング=12番手

ナイトロ・ノリ選手

 みなさん、こんにちは、K-max Racingの芳賀です。今年おにぃ(芳賀健輔)と一緒に立ち上げたK-max RacingからFIMアジアロードレース選手権(ARRC)に参戦を始めて、レースは今回ホームコースの鈴鹿に戻ってきましたわ。

 今回、チームのYZF-R6は走り出しから悪くなかったで、練習走行セッションではセッティングもそれほど変更することなく、セットアップをしていきました。予選セッションでは、ちょびっとラインを変えてみようということでシケインに突っ込んだらフロントタイヤが砂に落ちて転倒してしまったんやが、それでもきっちりウィークベスト、2分12秒685まで持っていけました。予選ポジションは5番手。これまでで一番いいところまでもっていけたわ。

 ほんでも、このまんまじゃ決勝レースでは勝負ができーへんということで、違うセッティングを試して、その日の夕方開催のレース1に臨みました。でも、レース1では完全に外してしまっていて、レース序盤に、いっぺんはトップに立ったけれども、タイヤの選択ミスで後半はズルズルと順位を下げていって、終わり。

 翌日曜日も前日と全く同じ時間にレース2があったんや。レース2ではちびっとセッティングを戻して挑んだんやが、リアタイヤを変えたらこれがうまく機能せず、ペースが上げられ―へんまんま、なぁんもできーへん13周のレースとなってしまおったんや。

 あーしておけばよかった、こうやっとけばよかったというタラレバになってしまうけど、レースは終わってしまったので仕方あれへん。ただ、しっかり鈴鹿を走ったことで、R6のキャラもしっかりとつかむことができ、理解としては進んでおるので、残り後半の3戦もしっかりやっていきます! 皆さんK-max Racing 41号車の応援よろしゅうお願いします!



鈴鹿戦


鈴鹿戦
今回、芳賀紀行選手の長男である芳賀瑛大(はがあきと)選手もARRCのAP250クラスにヤマハR25でスポット参戦を果たした。そのためK-max Racingのピットは少し手狭な環境となった。


瑛大選手


瑛大選手
今シーズンはイタリア国内戦を現在ヤマハR3で戦っている瑛大選手にとっては、昨年のSAC(スズキ・アジアン・チャレンジ)以来のアジアロードレース選手権参戦となる。R3とは少し勝手が異なるようで、久しぶりの鈴鹿ということもあって、当初は転倒などもあり手こずっていたようだが、走行を重ねるごとに確実にタイムを削っていき、予選では2分34秒992(29番グリッド)、決勝レース1で27位、レース2では25位という結果で、2レースを終えている。


鈴鹿へのスポット参戦


鈴鹿へのスポット参戦
健輔・紀行の2名が、瑛大選手に経験を積ませるべきだという考えの下での鈴鹿へのスポット参戦となった。「600より豪華なスタッフがそろった」というように、非常に強力なバックアップ体制となっていた。


上を目指してやっていきたい


上を目指してやっていきたい
マシンの理解は進んでいるということで、次戦インドネシア・セントゥールまでの2か月を利用してもっと詰めていけるところは詰めて、上を目指してやっていきたい、と。


芳賀紀行(はがのりゆき)

1975年生まれ。ワールドスーパーバイクをメインに活躍してきた、世界戦43勝を誇るライダー。TEAM KAGAYAMAに合流し、2013年~2015年にかけて鈴鹿8時間耐久レースでは3年連続3位表彰台を獲得している。FIMアジアロードレース選手権への挑戦は今年で3シーズン目となる。


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