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1970年代後半から80年代にかけて、日本中を席巻した空前のバイクブーム。ほとんどの人の最初のステップは、16歳になったら原付免許を取り、最初の相棒になったのは原付バイクだったはず。わずか50ccの小さなエンジンの小さなバイクであったが、一旦跨がればいつでもどこへでも連れて行ってくれそうな無限の可能性を感じさせた。数多くのジャンルがラインアップされていた原付モデルの中でも、速さに憧れた原付少年のハートをがっちりと掴んだのが、フルサイズ原付スポーツと言われるモデルであった。1970年代から1990年代まで、フルサイズ原付スポーツが熱かったあの頃を系譜で振り返る。
1960年代に入ると経済状態も安定し、レジャー熱の高まりとともにバイクも運搬手段から、より趣味性の高い乗り物へと高性能化、多様化が急速に進んでいった。 1950年代末はまだまだ補助エンジン付き自転車だった原付も、一体構造となったバイクの形態へと進化、高性能化に伴い許可制であった原付免許も、1960年からは試験を経て交付される免許制に変更された。 当時の原付スポーツといえば、実用車をベースにパワーアップやドレスアップを施すパターンが一般的であったが、BSチャンピオン(ブリヂストン)、山口オートペット(山口自転車)、ミヤペット(宮田製作所)、トーハツランペット(東京発動機)、タスダイナペット(田中工業)など、後の国内4メーカー以外の多種多様な原付スポーツモデルたちが、最期の健闘を見せていた時代でもあった。
ホンダの原付スポーツは、OHVのスーパーカブ(C100)系エンジンにマニュアル3速(後に4速化)ミッションを組み合わせ、プレスバックボーンフレームに搭載、アップマフラーやロング風シートでスポーティに仕上げ1960年に登場したスポーツカブC110が実質上のスタートといえるだろう。1965年にOHCエンジンのCS50へ進化。1967年にはクラス初の5速ミッションを採用し、11000回転で6馬力を発揮する高性能なベンリイSS50が登場、原付スポーツハイパワー化時代の幕を開けた。 中でも至宝は、1962年に登場したカブレーシングCR110であろう。カムギアトレインのDOHC4バルブという、高級時計といわれた精巧なエンジンを搭載した市販レーサーで、現代の感覚ではRC213V-Sのような例外中の例外といえよう。価格は17万円と250スポーツ車並だった。
ヤマハは、ロータリーディスクバルブ90ccエンジンのYG1をベースに、50ccエンジンを搭載したYF1を1964年に投入、1967年1月にはセブンスタイルバックボーンフレームと呼ばれるニューフレームのF5へとモデルチェンジする。そのF5をベースに0.2馬力アップ、各部のメッキ処理、アップロングシート、リアキャリア、アップマフラーを装着し、最高速度83km/hというスペックで東京モーターショーで発表され、12月に発売が開始されたヤマハ初の本格的な原付スポーツモデルがF5-S。とは言ってもまだまだ実用車臭が強かった。1969年4月には5速ミッション、ロングタンク、シートストッパー付きのよりスポーティなスタイルのFS1へとモデルチェンジ。1970年12月にはアップハンドルと鮮やかなカラーのFS50にマイナーチェンジし、よりスポーティなイメージを確立させた。 スズキは1961年にロータリーディスクバルブエンジンを実用車セルペットMD50のプレスバックボーンフレームに搭載し、5速ミッションを採用したR50を試作するも発売には至らず、実用車風の4速ミッションのセルペットMD50が市販された。好評のセルペットはシリーズ化され、アップマフラーを装着したパワーアップ版のスポーツタイプM12、自動遠心3速のビジネスモデルM30も登場した。1968年にはスズキ初の5速ミッションを装備し、6馬力までパワーアップを果たしたAS50へと進化した。1973年、タンクをGT750風のスタイルとしたGA50へモデルチェンジ。ベースは依然としてバックボーンフレームの実用車ベースながら、外装変更などでスポーティらしさを強調した。 カワサキの前身である川崎航空機も、カブタイプのM5系4馬力エンジンを0.5馬力パワーアップし、スポーツ風の車体に搭載したM10を1960年にラインアップしたが、国内の50ccクラスは1960年代後半にラインアップから消えてしまい、1980年代まで空白の時代が続く。
このような時代を経て1970年代に入ると、ロードパルやパッソルなどのいわゆるファミリーバイクが登場しバイク人口は大きく増加、若者層を中心としたバイクブームも加速し、フルサイズ原付スポーツも本格的な専用設計となり、「ゼロハンスポーツ」大躍進の時代を迎える。
プレスバックボーンフレームにカブ系の水平エンジンを搭載したSS50の後継モデル、ベンリイCB50は本格的なパイプのダイヤモンドフレームに、新設計のOHC空冷単気筒エンジンを搭載し、スポーティなスタイルで登場。タコメーターや、当時としては上級モデルでもそれほど普及していなかったヘルメットホルダーも標準装備していた。唯一の4ストゼロハンスポーツは、入門用スポーツモデルとして若者を中心に人気となった。
フロントに機械式ディスクブレーキを装備したベンリイCB50JXがラインアップに加わった。タンクデザインも小変更し、テールカウルを新たに設置してスポーツマインドを強調した。ドラムブレーキモデルも同様のデザインに変更されて併売された。
よりスタイリッシュなスタイルへとモデルチェンジ。最高出力は0.3馬力アップし、タンク容量も8.5リットルにアップ、フロントフォークブーツも廃止された。テールカウルにはキー付きの小物入れが設置され、メインスイッチはタンク下からメーターセンター部に移設されるなど、使い勝手の向上も行われた。
グラフィックを小変更。車体色はブラックが加わりセラミックホワイトは継続、シャイニーオレンジが廃止された。主要諸元に変更はないが、価格は125000円にアップ。
フロントのディスクブレーキが機械式から油圧式となり、リアキャリアを標準装備。スイッチはハンドル左側に集約、ウインカーも角形となった。
フレームもシルバーになり、グラフィックも変更。車体色はブラックとモンツァレッド。旧塗装モデルもブラックフレーム車としてしばらく併売された。これがCB50の最終型となった。主要諸元、価格とも変更はない。
1995年の東京モーターショーに参考出品されたドリーム50。1962年に発売されたカブレーシングCR110を彷彿とさせるスタイルに、油圧式前後ディスクブレーキ、18インチH型断面アルミリム、クリップオンハンドル、6.2リットルのスリムなロングタンク、シートストッパー付きシートなどを装備し、最新の技術で新規製作された世界最小の50cc量産DOHC4バルブ単気筒エンジンを搭載し1997年に市販された。
タンクとシートストッパーをモンツァレッド、フレーム、フロントフォークボトムケース、サイドカバー、ヘッドライトケースをブラック、マフラーをつや消しのブラック塗装としたスペシャルエディションを1000台の限定で発売。主要諸元、価格に変更はない。
[青春のゼロハンスポーツ図鑑Vol.1 HONDAその1(4スト編)|Vol.2 HONDAその2(2スト編)]