1955年に登場した初代YA-1に始まり、今日へと続くヤマハの歴史。街中で、峠で、サーキットで、幾多の歴史を刻んできた数々のバイクの代表的モデルは、リニューアルが行われたご存じヤマハコミュニケーションプラザ(リニューアルの模様はこちらから)に展示され、過日の栄光を伝えている。しかし残念ながらスペースは限られており、所蔵するすべての車輌が展示されているわけではなく、じっと出番を待つ車輌たちもいる。コミュニケーションプラザは天然光が入る素晴らしい構造であるが、展示車であってもやはり青空の下でじっくりと観察したり、走行する姿を見てみたいと思うのは贅沢すぎる悩みかも知れない。 |
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普段は入りたくても入れてくれないテストコースだが、今回は写真撮影もOKという大盤振る舞い。ただし一般のみなさんの動画は撮影禁止でしたので、こちらでお楽しみください。左はその1・会場風景編。こちらで動画が見られない方は、YOUTUBEのサイトで直接ご覧ください。右はその2・1950~1960年代市販車編。こちらで動画が見られない方は、YOUTUBEのサイトで直接ご覧ください。 | ||
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その3・1970年代市販車編。こちらで動画が見られない方は、YOUTUBEのサイトで直接ご覧ください。 | その4・1980~1990年代市販車編。こちらで動画が見られない方は、YOUTUBEのサイトで直接ご覧ください。 | |
YA-1(1955年) 記念すべきヤマハの市販車第一号
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美しいカラーリングとスタイルから「赤とんぼ」の愛称で親しまれたYA-1はヤマハ発動機が独立する以前の、日本楽器が送り出したヤマハの第一作。富士登山レースでは優勝を含め上位に7台が入り、ヤマハの高品質、高性能をアピール、3年間で1万台以上が販売されるヒット作となったた。 | ||
YD-1(1957年) オリジナルデザインが光る「分福茶釜」
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前作はドイツDKWのRT125のコピーであったが、ヤマハ初の2気筒250スポーツモデルであるYD-1はヤマハ(GKデザインが担当)のフルオリジナルデザイン。当初はシングルシート仕様のみ発売された。タンク形状から「分福茶釜」と呼ばれた。詳細はTHE BIG-BIKE COLLECTION 第二集で。 | ||
YDS-1(1959年) 浅間レーサー直系の元祖スーパースポーツ
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20馬力の2気筒エンジンをダブルクレードルフレームに搭載し、国産車としては初の5段ミッションを採用した本格的なスポーツモデル。浅間火山レースでは、レース用キットパーツを装着したモデルが大活躍し、後の市販レーサーTD-1へと繋がっていく。 | ||
YDS-3(1964年) YDSシリーズの完成形
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分離給油方式のヤマハオートルーブを採用したYDSシリーズの決定版。最高出力は24馬力へとアップし、オイルタンクを設置するために本格的なサイドカバーも新たに採用された。 | ||
YM-1(1965年) 高速道路時代を見越したヤマハ初のオーバー250
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来たるべき高速道路時代に対応すべくYDS-3をベースにボアを4mm拡大して305ccとした、ヤマハ初のオーバー250、小型二輪モデル。最高速度は160km/hをマークした。詳細はBIG2スト大全 その1で。 | ||
350R-1(1967年) 「白いエンジン」と呼ばれた本格的な大型バイク
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ヤマハ初の上下水平分割型のクランクケースを採用したニューエンジンは、鋳鉄スリーブ入りアルミシリンダーで「白いエンジン」と呼ばれた。3億円事件の偽白バイに使われたことでも有名に。詳細はTHE BIG-BIKE COLLECTION 第一集で。 | ||
DT-1(1968年) 本格的オフロードモデルの元祖
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それまでのオンロードベースのスクランブラーとは異なり、エンジン、フレーム、サスなどオンロードベースではなく専用設計で、トレールバイクという新ジャンルを構築したエポックメイキングな一台。 | ||
90HT-1(1970年) DT-1シリーズの90バージョン
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本格的なトレールバイクDT-1は大好評で、シリーズ化された。HT-1は新設計の5ポート式ピストンバルブエンジンの89cc。トレールの入門車としてはもちろん、若者の街乗り用としても幅広く普及した。 | ||
650XS-1(1970年) ヤマハ初の4ストロークモデル
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2ストメーカーのイメージが強かったヤマハが初めて作り上げた4ストロークエンジン搭載モデルがXS-1。軽量スリムな車体にパワフルなバーチカルツインエンジンの組み合わせで、以降のヤマハスポーツのお手本になった。詳細はTHE BIG-BIKE COLLECTION 第二集で。 | ||
DX250(1970年) 新時代を築いた2ストスポーツ
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史上最強の市販レーサーと呼ばれたTD-2のエンジンをベースに、新たに設計された5ポート2気筒エンジンを搭載した公道版レーサーともいうべきスーパースポーツ。 | ||
TX750(1972年) ヤマハ初のナナハンは軽量コンパクト
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ヤマハ初のナナハンモデル。他メーカーは4気筒化を進めたが、ヤマハはバランサー付きの2気筒エンジンでXS-1以来の独自の軽量コンパクト路線を邁進する。詳細はTHE BIG-BIKE COLLECTION 第二集で。 | ||
RD250(1973年) DXがさらに進化
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DXから名称が変更されたこのモデルは、5ポート式から6枚のリードバルブを加えた7ポートトルクインダクション新エンジンに6段ミッションと大きく進化。フレームなども強化された。 | ||
TX500(1973年) 国産スポーツ初のDOHC4バルブエンジン
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国産スポーツモデルとしては初となるDOHC4バルブのハイメカニズムを採用した2気筒エンジンを、軽量スリムな車体に搭載した、ヤマハイズムあふれるミドルスポーツ。 | ||
GX750(1976年) スリムな3気筒エンジンのナナハン
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ライバルメーカーのナナハンは4気筒が定番化されていく中でも、ヤマハは独自の路線を貫きスリムな3気筒エンジン+シャフトドライブというユニークなモデルで対抗する。 | ||
XS1100(1977年) ヤマハオーバーナナハンの先駆け
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ヤマハ初の4気筒モデルにして、初のリッターバイク。輸出専用モデルで、欧州では高速ツアラー、北米ではクルーザーというポジションを得て、ヤマハビッグバイクの礎を築いた。詳細はTHE BIG-BIKE COLLECTION 第一集で。 | ||
SR500(1978年) シンプル・イズ・ベスト
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今日でも現役を続けるSR400の初代モデル。スリム、コンパクト、シンプルという基本コンセプトもスタイリングもそのまま現在まで受け継がれているという、希有な一台でもある。 | ||
XT250(1980年) 軽く俊敏なオフモデル
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軽量コンパクトな車体に、1軸バランサーを内蔵したピックアップの鋭い単気筒エンジンを搭載。リアにはモノクロスサスを装備し高い走破性を実現した。 | ||
RZ250(1980年) 時代を変えた革命的2ストスポーツ
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高性能な水冷2気筒エンジン、モノクロスサスなど市販レーサーTZ250にナンバーを付けたといわれるほど強烈なインパクトで登場した。250レプリカブームの原点ともいえる。 | ||
XJ750E(1981年) ヤマハ初の4気筒ナナハン
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ヤマハ初の4気筒ナナハンも、はやり軽量コンパクト路線を邁進する。1980年に登場したXJ650がベースで、駆動はXJ650と同様にシャフトドライブを採用した。 | ||
XZ400(1982年) 唯一無二のVツイン高速ツアラー
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DOHC4バルブの水冷Vツインエンジンを角張った大きめの車体に搭載したスポーツツアラー。フルカウル付きのDや550もラインアップされていた | ||
XVZ1200 VENTURE ROYALE(1982年) 豪華快適なグラウンドツアラー
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ヤマハ初の水冷V4エンジンを搭載したグラウンドツアラー。エアサスはコンピューター制御により自動制御で姿勢を安定させる。CB無線、ラジオ、カセットなども装備できた。詳細はTHE BIG-BIKE COLLECTION 第三集で。 | ||
RZ250R(1983年) YPVSでパワーアップ
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RZ250の後継モデルは、市販車初の排気デバイスYPVSを採用し、発売当時クラス最高の43馬力にパワーアップ。ミニカウルも標準装備してよりレーシーに。 | ||
FZ400R(1984年) ヤマハ初の本格的4ストレプリカ
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1983年に登場したXJ400Zの水冷4気筒エンジンを、レーサーレプリカスタイルのボディに搭載したヤマハ初の本格的な444レーサーレプリカは、F3レーサーFZRと同時開発された。詳細はTHE444 その4で。 | ||
RZV500R(1984年) 最初で最後のYZRレプリカ
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ワークスレーサーYZR500と同様の2ストローク水冷V4エンジンをアルミフレームに搭載した究極のレーサーレプリカ。輸出仕様は87馬力のフルパワーだがフレームはスチール。詳細はTHE BIG-BIKE COLLECTION、BIG2スト大全 その4で。 | ||
SRX600(1985年) 美しきシングルスポーツ
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スタイリッシュなボディや焼け具合が美しいステンレスの2本出しエキパイが特徴的なシングルスポーツ。エンジンは新開発の空冷単気筒で400もあった。600はオイルクーラーを標準装備。 | ||
SEROW225(1985年) ロングセラーを続けるトレッキングモデル
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トレールモデルとトライアラーの要素を組み合わせたような、野山をとことこ走るマウンテントレールという新ジャンルで登場。現代に続くベストセラーモデルとなった。詳細はSEROW大全で。 | ||
SDR(1987年) ヤマハらしい2ストライトウエイトスポーツ
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パワフルなDT200R系のエンジンを一人乗り専用と割り切ったスリムコンパクトなボディに搭載した、スーパーライトウエイトスポーツ。トラスフレームも特徴的。 | ||
VMAX1200 (1990年) ドラッグイメージの国内版
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ベンチャーロイヤルのエンジンをベースにパワーアップしたV4エンジンを、迫力あるデザインのボディに搭載したドラッグイメージのハイパフォーマンスマシン。1990年にはヤマハのオーバーナナハン解禁第一弾として国内仕様が登場。詳細はVMAX大全、THE BIG-BIKE COLLECTION 第一集で。 |
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レーサー編。こちらで動画が見られない方は、YOUTUBEのサイトで直接ご覧ください。 | ||
RD56(1965年) 世界を制覇したGPレーサー
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WGPで勝つために作られた250のワークスレーサー。世界の壁の高さを痛感した前作RD48のエンジンを改良し、新設計フェザーベッドフレームを組み合わせ、1964年にチャンピオンを獲得した。 | ||
RD05A(1968年) 6気筒マシン RC166の好敵手
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ホンダの6気筒マシンRC166に対抗すべく開発された、ロータリーディスクの水冷V4エンジンを搭載して1967年に登場したのがRD05。翌年エンジン、車体を全面改良した最終進化版ともいえるモデルがRD05A。 | ||
FZR750(OW74)(1985年) まさかの結末、悲劇の8耐レーサー
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ケニー・ロバーツと平 忠彦の黄金コンビがPPを獲得し、快調に数回を重ねた1985年の鈴鹿8耐。しかし残り30分でまさかのエンジントラブルで脱落という悲劇のマシン。 | ||
YZR500(OW81)(1985年) 熟成された常勝マシン
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エンジンレイアウトはV4と変わらないものの新設計のニューエンジンとなったOW81。翌シーズンも走り、WGPではエディー・ローソン、全日本では3年連続平忠彦がチャンピオンを獲得した。 |
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SC-1(1960年) 2ストローク空冷単気筒175ccエンジンにトルコンを組み合わせ、前後片持ち、シャフトドライブの車体に搭載した革新的スクーター。しかし営業的には成功とは言えなかった。詳細はヤマハスクーター全史で。 |
90HS-1(1970年) 実用車AT90に搭載されていた珍しい空冷2気筒89ccエンジンをベースに、5ポート化してツインキャブを装着、ダイヤモンドフレームに搭載したミニスポーツモデル。 |
AT-1(1969年) DT-1そっくりのデザインが与えられた125バージョン。DT-1よりもひとまわり小ぶりな車体で、ホイールはDT-1より1サイズダウンの前後18インチを採用。 |
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FT-1(1970年) DT-1シリーズの最小排気量モデルで、原付ながらDT-1と同様のフレームやサスペンションを装備した本格派。後のミニトレシリーズの元祖でもある。 |
RT-1(1970年) DT-1のフレームに新設計された30馬力、ツインプラグの351cc単気筒エンジンを搭載したトレールシリーズのフラッグシップモデル。 |
LB50ⅡA Chappy(1973年) 他に類を見ないデザインと8インチホイールが特徴的なミニバイク。50、80ccに2速AT、自動遠心クラッチの3段、マニュアル4段とバリエーションも豊富。詳細はヤマハスクーター全史、Family &Leisure Bikes 1970s~1980sで。 |
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GR50(1976年) ミニトレの派生バージョン。ゼッケンカウル風のシングルシートや低いハンドルなど、50ながら本格的なレーシースタイルが人気となった。詳細はFamily &Leisure Bikes 1970s~1980sで。 |
XT500(1976年) 日本ではまだなじみの薄かったエンデューロ用に開発されたビッグ4ストローク単気筒エンジンのオフロードモデル。このバイクが後にSR500の基になった。 |
S50 Passol(1977年) 幅広い層に爆発的なブームを巻き起こした元祖ステップスルーのソフトバイク。八千草薫さんが乗るテレビコマーシャルのインパクトも大きかった。詳細はヤマハスクーター全史で。詳細はFamily &Leisure Bikes 1970s~1980sで。 |
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CV50E Beluga(1981年) 手軽な乗り物というイメージの強かった原付スクーターに、高級かつ男性的なイメージを盛り込んだブランニューモデル。女性的なイメージの兄弟車サリアンもあった。ヤマハスクーター全史、詳細はFamily &Leisure Bikes 1970s~1980sで。 |
MS50 Popgal(1982年) その名が示すとおり、女性にターゲットを絞ったソフトバイク。シャフトドライブでメーター横の小物入れの蓋の裏側には鏡が付いていたのがその証?。ヤマハスクーター全史、詳細はFamily &Leisure Bikes 1970s~1980sで。 |
YDS-1(浅間仕様)(1959年) 浅間のために作られた市販レーサーYD-1から生まれたYDS-1。発売直後の第三回浅間火山レースでは、レース用キットパーツを組み込んだ浅間火山レース仕様が活躍した。 |
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RA97(1966年) RD56をベースに開発された125クラスの2気筒ワークスレーサー。1964年のデビュー戦で2位入賞を果たす。1965年には水冷化されマン島TTで見事に優勝を飾った。 |
RF302(1969年) 改訂された新レギュレーションに合わせて製作されたヤマハ初のWGP50ccマシン。しかしヤマハはWGPから撤退したため、一度も本番で走ることがなかった幻のレーサー。 |
YZR500(OW20)(1974年) 記念すべき初代の500ccワークスマシンは、水冷4気筒のピストンリードバルブエンジンをクロームモリブデン鋼管パイプフレームに搭載。開幕戦のフランスGPでデビューウィンを飾った。 |
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YZR500(OW35K)(1978年) 排気デバイスYPVSを初めて採用したワークスレーサー。1977年のフィンランドGP、チェコスロバキアGP、翌年からは名手ケニー・ロバーツにより、4勝を挙げチャンピオンに。 |
YZR750(OW31)(1978年) デイトナ200マイルやF750クラス用に開発されたワークスマシン。115馬力の水冷4気筒748cc7ポートトルクインダクションエンジンをYZR500の車体に搭載。市販レーサーとしてTZ750も発売された。 |
YZM500(OW83)(1988年) 初めてアルミフレームを採用した前年型のワークスマシンYZM500の改良型で、ジャッキー・ビモンドが年間ランキング4位に入ったが、ヤマハは500クラスをこの年限りで撤退。 |
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YZ125M(1987年) 市販モトクロッサーYZ125をベースに、吸排気系や前後サスペンション、ディスクブレーキなどにスペシャルパーツを組み込み、初の125チャンピオンを獲得したワークスマシン。 |
YZ250(1974年) 1973年にモトクロス世界選手権、全日本選手権を制覇したワークスレーサYZN250(OW21)を模した市販レーサー。市販レーサーとしては初めてモノクロスサスを装備。 |
TY250 Competition Spec(1973年) 折からのトライアルブームの盛り上がりに合わせ、神奈川県の早戸川で開催された第一回全日本選手権トライアル大会。初代チャンピオンとなった木村治男選手が使用したマシンがこれ。 |
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R1-Z(1990年) 1KTのエンジンを流用したハイパーネイキッド
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CZ125 Tracy(1983年) スクーター版RZ125
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●エンジン型式:水冷2ストローク単気筒 ●総排気量(内径×行程):123cc(56×50㎜) ●最高出力:16ps/7000rpm● 最大トルク:1.7㎏-m/6500rpm ●圧縮比:7 ●変速機:Vベルト無段変速 ●全長×全幅×全高:1875×725×1135㎜ ●軸距離:1250㎜●乾燥重量:92㎏● タイヤ前・後:3.50-10-4PR・13.50-10-4PR ●発売当時価格:279000円 |
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シャープなエアロダイナミックデザインのボディに内臓されているのは、当時スクーターでは最強の最高出力16psを誇る2ストローク水冷単気筒エンジン。高出力と低燃費を両立させたY.E.I.Sやダイナミックバランサーなども搭載し、パワフルかつスムーズな走りを実現した。当時のスクーターとしては珍しく、フロントテレスコピック、リアにはイニシャル5段階切り替え可能のショックをダブルで装着し、走りをアピールした。1987年にはCZ125をベースに、ボアを4mm拡大し、141ccとして高速道路走行も出来るCZ150Rが追加された。詳細はヤマハスクーター全史で。 |
YB-1(1955年) 赤とんぼに続いて黒とんぼ
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YDS-2(1962年) YDSシリーズの2作目
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LB50ⅠC Zippy(1973年) ファニーで個性的なレジャーバイク
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●エンジン型式:空冷2ストローク単気筒 ●総排気量(内径×行程):49cc(40×39.7㎜) ●最高出力:4.5ps/6500rpm● 最大トルク:0.53㎏-m/5000rpm ●圧縮比:7.1 ●変速機:自動遠心3段 ●全長×全幅×全高:1560×655×985㎜ ●軸距離:1050㎜●乾燥重量:74㎏● タイヤ前・後:2.50-14・5.00-8 ●発売当時価格:83000円 | ||
1970年代初頭、スクーターブーム前夜のこの時代、若者達やまだ少数だったが主婦や女学生などのニーズに応えるべく、原付クラスにレジャーバイク、ファミリーバイクと呼ばれるミニバイクが多数誕生した。ヤマハでもチャピィ、ボビィにGT(ミニトレ)やGRなどをラインアップした。その中でも他に類を見ないユニークなモデルがこのジッピィだ。ビジネスバイク、ヤマハメイトの空冷単気筒エンジンをプレスのモノコックボディに搭載。最大の特徴は、フロント14、リアに極太の8インチというアンバランスなタイヤであろう。自動遠心クラッチの他にマニュアル4段のLB50ⅠHや80ccバージョンも存在していた。詳細はFamily &Leisure Bikes 1970s~1980sで。 |
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1960年代後半よりグループ7カテゴリーに属するオープン2座のプロトタイプ・レーシングカー「トヨタ7」を開発するなど、市販車の2000GTの開発のみならずレースにおいてもトヨタ自動車と協力関係にあったヤマハ発動機。実際、今回の走行会が行われた袋井テストコースを拠点にトヨタ7は開発されたと言われている。 |
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四輪編。こちらで動画が見られない方は、YOUTUBEのサイトで直接ご覧ください。 | 車載カメラ編。こちらで動画が見られない方は、YOUTUBEのサイトで直接ご覧ください。 | |
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センター(実際はやや右寄り)に配置されたコクピットは正にフォーミュラマシン譲り。6速のシフトパターンはいわゆる通常のH型で、リバースは2速の横になる。 | 3.5リッターのOX99エンジンを搭載。このユニットの開発には、現在ヤマハのレース現場をとりまとめる技術本部の 辻 幸一MS開発部長も関わっていたという。 |
[ヤマハコミュニケーションプラザ・リニューアルオープンへ]