夜9時50分。

 後田のスティントは長い。僕と交代した場所から少しだけ西に向かい、そしてコースは大きく左に曲がり南下に転じる。程なく巨大なドライレイクを通過する。その先、コースの最南部に横たわる渓谷、マトミウォッシュへと入って行く。両側を切り立った崖に囲まれた深い砂の川底。どうやって水を抜いたのか不思議になるほど、水が流れているような景色の中を進んで行く。川底は砂と丸い岩が埋まっていて、速度を落とすと砂の抵抗に負けるし、飛ばすと隠れた岩にはね飛ばされる意地の悪い道だ。

 その先に現れるのは深いウォッシュボード。そこに岩までが混ざりライダーを待ち構える。しかもプレランの時とは異なり太陽は西に姿を消し、HIDライトが照らす範囲だけが頼りだ。

 サンフェリーペまで約195マイル走る後田に、2輪のスタートが終了してから3時間のインターバルを開けてスタートした4輪が追いついてきた。トイザラスで売っているSF的なラジコン・バギーの実物大のようなレースカーが、轟音とともに近づく。いや、音の前に彼らが山ほどつけているライトの明かりで、自分の前に自分の影が出る。それはまるで悪魔のように見える。

 追い越されると視界がゼロになるほどものすごい埃を巻き上げる。夜ともなれば、埃の壁に自分のライトが反射し、白壁をライトで照らしているようだ。事実上、有視界走行は不可能になる。800馬力エンジンを搭載するモンスター達がもたらすその嵐を212Xはやり過ごすしかない。

 サンフェリーペに到着した後田は埃まみれだった。バイク、ウエア、そしてゴーグルすら埃で見えにくくなり外してきた彼の顔は、顔の皺にそって埃が溜まっている。目も真っ赤だ。その姿から4輪との激闘が想像できた。

 プレラン時よりもコースの荒れ方がひどく、風景すら変わっていたと話す。本来ならばここから100マイルほどのスティントを僕が担当する予定だったが、例の転倒で肩は腫れ、移動中もクルマの振動で息が詰まる痛さがあった。

「走るなら続けて走りたい。後になるとどっと疲れがでそうで」

 ニコニコしながらそう話す後田に、続投を頼むほかない。

 バジェ・デ・トリニダットまでのルートをプレランしていない後田にコースの概略を説明する。

 夜のぶっつけ本番だ。頼りはハンドルバーに取りつけたGPS。そこにはコースのウエイ・ポイントが入っている。ルートを追いかければオンルートを行けるが、プレランにも増して慎重さが要求される。それでも後田は元気に走り出して行った。

こんな連中が後ろからやってくる。これでもライトは少ない方だ。オフロードレースながら主流は二輪駆動。だからスタックしないように彼らは速度を落とさない。落とさなくても走れるよう、1メートル近いサスペンションストロークを持たせている。まるで地面をパワーボートのように後輪でかきむしって進む。だから埃は半端じゃない。 サポートがサンフェリーペのダンプロードに着いたとき、まだわずかに残照があった。真っ暗になる前に場所を決め、僕達も設営を急ぐ。場所取りだ。今はまだ四輪のサポートが多くは来ていないが、これからどんどん彼らが到着する。あえてコース脇にせず、少し離れた場所にした。メカニックの手塚は212Xと書いたサインボード(段ボール製)を持ち、コース脇で後田の到着を待っていた。

 11月19日、真夜中2時45分。

 サンフェリーペで212Xを見送ったサポートチームはバジェ・デ・トリニダットまで75マイルの移動を開始する。その途中、プレランで立ち寄ったトレス・ポソス手前あたりからレースコースを眺めることが出来た。

 闇の中、ヘッドライトのビームが激しく上下に揺れながら舗装路と併走して遠くを走っているのが分かる。あのウォッシュボードの連続を真夜中に走るのはさぞ大変だろう、僕はクルマのリアシートからその様子を眺めていた。

 サポートは夜11時前にバジェ・デ・トリニダットの交代地点に到着。ここはスタートから500マイルをわずかに超えた場所。フィニッシュまであと約200マイル。

 午前2時過ぎ、気温はかなり下がっている。あちこちでサポートチームや見物人達がブッシュを薪に暖を取っている。オレンジの炎が揺れ、そのたき火の匂いが風向きによって212Xのサポートチームが設営したピットにも届いた。

 この頃になると遠くから届く排気音であらかた自分達のバイクかどうかを識別出来るようになっていた。間隔をおいて通り過ぎるレーサー達。このあたりまで来ると、誰かとの戦い、というより長い荒れ地を越えるバハ1000そのものとの戦いになっている。

 315マイル近いロングスティントを終えて後田がこの場所にたどり着いたのは、真夜中の3時に近づこうとしていた時だった。ピットは静かに沸いた。 

 「いやぁ、替わりますよ、なんて言わなければ良かった。真っ暗だし、ウォッシュボードの連続だし、寒いし、参っちゃいましたよ」

 後田は苦労していた。真っ暗な中、深いウォッシュボードに体力を使い、道に迷わないように神経も使った。僕(松井)と交代した場所をもう一度レースコースは通り、そこから1時間も走ると今度は快適な砂の道に入る。ここはウォッシュボードとの戦いで汗をかき続けるようなコンディションから反転、まるで晩秋の高原でも走っているような気温にまで下がる。

 サンフェリーペでの交代の時、ほとんど食べ物を口にしなかった後田はエネルギーを使い果たし、震えながらここまで走ってきた。

 暖かいスープとたき火で体を温め、戸井さんとその苦労を話す後田。

「GPSが役にたちました。コレを見ながらじゃないとルートは分らなかったかもしれないですね」

 とにかくお疲れ様である。バイクは手塚が前後ホイールを新品のタイヤの入ったスペアに入れ替え、フィニッシュまでの約190マイルに万全を期す。エンジンの変調もない。バイクは全く疲れた様子を見せていなかった。

 ここからフィニッシュまで宮崎が受け持つ。朝イチのスタートから久々のライディングとなるが、サポートで移動する時はバンを運転しているから、心も体もすっかりリフレッシュしているわけではない。サンフェリーペやトリニダットに着いてからクルマの中で毛布を被って仮眠したりはするものの、やっぱり外の音が気になってしまう。レース中、ライダーはそんな心理のまま、走っていない時も走っているような気分で過ごしている。

 午前3時前。準備を整えたバイクに跨がり、宮崎が走り出す。サン・トマスから先、フィニッシュまでも担当する予定だ。ここからサポートは次なるサービスポイント、サン・トマスへ移動を開始した。

どことなくフィニッシュへのカウントダウンが始まった(というには距離があるのだけれど)感じがしたトリニダット。あと1時間半もすれば夜が明ける。宮崎は2度目にして最後のスティントに走り出した。
レースに参加する予定だったもう一台の本番用ホイールをスペアとして使えた今回、タイヤのライフなどは全く問題無かったが、この先に待ち構える可能性があった雨による泥濘なども考慮して、前後新品のタイヤセットに入れ替えた。案の定、サン・トマスに出てきたバイクはドロ汚れがひどくなることに。 「いやぁ、寒かったですねぇ。それだけが参りました」(後田)「じゃ、もう少し走る?」(戸井)「もう、勘弁して下さい(笑)」(後田)いえ、本当は戸井さん、ちゃんとねぎらっています。