11月16日──この日、バジェ・デ・トリニダットからサン・トマスまでの約112マイルをプレラン。トリニダットからコースは太平洋側まで西に向かう。国道1号線に出たあたりから北上を開始し、エンセナダへと向かう。このコースレイアウトが今回のレースコース中、最もサポートとライダー達が離れることになる。ざっくり言うと、ライダー達は二等辺三角形の底辺を右から左に走り、サポートは右等辺を頂点に向け走り、もう一度左等辺を降りる感じだ。

 途中、2人のライダーは、太平洋を眺めつつのんびり休憩などして楽しんだそうだ。バハの大地をオフロードバイクでツーリングするような楽しさも秘めていて、プレランを通してバハの魅力にはまった人は数知れない。

 サポートはバジェ・デ・トリニダットから3号線まで6マイルほどダートの道を戻り、そこから約75マイル走ってエンセナダへ。そして今度は1号線を使って南下、サン・トマスへと向かう。

 1号線沿いにコストコ、ホームデポ、ターゲットなどアメリカ系の店が並んでいるのには驚いた。サン・トマス手前にあった箱根の旧道のようなくねくね道が無くなり、直線的に削った山を越える道を建設中だった。後は舗装するだけ、の箇所とこれから山を削る箇所、とにかくいろいろな意味でバハの進化は11年振りに来た僕を浦島太郎にした。サン・トマスで合流後、町にある昔ながらのレストランで食事。ここのご飯はおいしかった。

潮の香りがしてきそうな場所でライダーは小休止。まったりしてきた、の言葉通りの風景。景色の移り変わりもバハの大きな魅力。プレランしないのは本当にもったいない、と思う。 バジェ・デ・トリニダットから国道に出る手前にあるレストラン。埃っぽい床と鮮やかなテーブルクロス、重たい木の椅子、トルティーヤをチップにしたものにサルサをつけて食べると、これが止まらない。気をつけないと料理が出てきた頃に半分以上チップスでおなかが一杯になっていることも。

 11月17日──前日まででプレランを終え、エンセナダのホテルでみっちりメンテナンスを受けた350 XCF-W。タイヤも新品に履き替え、エンジンオイルも交換。エアクリーナーだってもちろん新品に。すでにプレランで約625マイルを走ったため、各部を増し締めするなどした。

 メンテナンスのメニューは毎日プレラン後にしてきたルーティンワークを施しつつ、とにかくリフレッシュをさせた。図らずも僕達はレース中、一台のスペアバイクがある。精神的にそれも大きな強みになった。

 この日、レースのレジストレーション(受付)とテックインスペクション(車検)が行われた。エンセナダの目抜き通りはバハ1000歓迎ムードで盛り上がり始めている。車検に向かう車両が通る沿道には多くの露天が並び、お祭りの様相。

 エントリーの受付で2台のうち1台だけレースに参加し、2台4名だったエントリーを、1台を3名へと変更。当日エントリーだってできるバハ1000は世界で一番参加への敷居が低いビッグイベントだ。

「戸井は走らないのね。OK、伝えて下さい。来年のSCOREが主催するレースのどれにでも参加出来るからまたいらっしゃい」

 つまりすでに支払ってあるエントリーフィーの返金はしないが、来年の好きなイベントにいらっしゃい、ということだ。とにかく戸井さんはまたバハに来ないと元が取れない。癌をやっつけてバハを走るぞ、の思いもこれで来年へと続くのだ。

受付前日、泊まっているクゥインタスパパガヨの窓から見える隣のハーバー沿いの駐車場には4輪のサポートカー(バハではサポートのことをチェイスクルーという。なるほど、追いかけるからその通り)が大挙停まっている。そしてその駐車場のあちこちでメンテナンスのため、発電機で明かりが灯され、溶接機から火の粉が散る。その姿は夜通し見られた。 そして僕達の部屋の中ではメカニックの手塚がバイクを仕上げていく。レースは1人ではできない。サポートもメカニックもライダーも全てが一つの信頼とか友情とか──似ているけれど、簡単に表現できない気持ちのつながりで結ばれていないといいチームにならない。僕達も寝食をと共にし、だんだんとチームになってきていた。
バハ1000の車検はシンプル。ブレーキ、スポークの緩み、各部がきちんと固定されているか、ヘルメットが最新のスネル規格に合致しているか等だ。もちろん僕達が使用したヘルメット「アライV-クロス3」(http://www.arai.co.jp/jpn/offtrial/vx3_t.html)は何ら問題ナシ。かぶり心地も含め最高です。ヘッドライトが点くかなんて見もしない。その代わりテールランプが点くことはきちんと確認する。前照灯が点かないのはそのライダーが損するだけだが、尾灯が点いて無くて他のエントラントがそれに気づかず追突する可能性が上がる。そんなことにでもなれば、他のエントラントにリスクを負わせることになる。他人の自由を脅かすことは許さないアメリカ流自由の解釈を感じる部分だ。 お祭り騒ぎの通りをエントラントが通過することで露天には人が集まり、ますます盛り上がる。落ち着いてなんていられない、そう思うほど心が浮き上がってくるのが分かる。久しぶり過ぎてこうした盛り上がりにすら浮ついている自分がいた。