―2015年シーズンのマルク・マルケス選手は、プレシーズンテストでは非常に順調に見えたのですが、シーズンに入るとうまく噛み合わないレースが続きました。中本さんたちHRCのなかで、問題が顕在化したのはいつ頃だったのですか。
「セパンのウィンターテストは順調で、カタールのテストも順調。開幕戦もウォームアップまで順調だったんですよ。で、決勝レースで『あれ?』という結果(註:5位)になったんですが、次のオースティンでは勝ったでしょ。でも、ヘレスに行っても気持ちよく走れていなくて、フランスの決勝レースでボロボロの結果になってしまった(註:4位)。その頃には、マルク自身も大きく意識をし始めていましたね。開幕戦の段階で『何だろう……』という予兆はあったので、我々もいろいろと調べていたけれども……、という状況でした」
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―マルケス選手自身が2015年シーズンを振り返った際には、ムジェロとカタルーニャが一番厳しかった、と話していました。その頃には問題の洗い出しと究明は進んでいたのですか?
「そうですね。進んでいたし、マシンもどんどん仕様を変えていきますからね」
―マルケス選手の問題というのは、結局どういうことだったのですか?
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本田技術研究所 主席研究員
ホンダ・レーシング 取締役副社長 中本修平氏
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「マルクは“フローティング”という表現をするんですが、ブレーキングの際にリアが接地しない問題が一番大きくて、データで見ても2014年までに対して進入で思いきり突っ込む乗り方になっており、マルクのライディング自体が2014年に対して大きく変わっていた面があるんです。スロットルを開けたときのエッジグリップはヤマハのほうがよくて、そこでどうしても離されてしまうからブレーキングでがんばる、という走りになってどんどんブレーキングで突っ込んでいくと、そのフローティングが出るわけです。物理的にもね。それをマシンで直すとなると、重量配分を大幅に後ろに移さないかぎり直しようがないし、そんなことをしたら今度は曲がらなくなってしまう。そのバランスを見つけるのが大変でしたね」
―今の話だと、ライダーの走りが2014年と比較するとかなりアグレッシブなものになっていた、ということですか?
「ブレーキング重視になっていたので、それをマシンでセットアップ変更し、要はブレーキングしにくいマシンにしていったんですよ。すると、ブレーキングしにくいからフローティングの問題のレベルがさがり、コーナリングスピードも上げられるようになっていった。それがシーズン後半ですね。マルクは立ち上がりで離されるからブレーキングで突っ込みやすいセットアップになっていたのを大きく変えていった、ということです」
―マルケス選手は、アッセンから2014年の車体に戻してフィーリングよく走れるようになった、と言っていたので、ああそうなんだ、と我々は単純に思っていたのですが。
「2014年と2015年のマシンはジオメトリが違うわけでもなく、それだけで彼が言うフローティングを改善できるものでもないんです。走り方が去年とは違っている面があったにせよ、ライダー自身が去年のフィーリングのほうがいいというのであればそれに戻せばいい、ということです。我々の作るバイクは完璧ではないし、そう思ったことも一度もありません。私たちはマルクの走り方に対して彼が望むものを提供してあげたいし、気持ちよく走ってもらうことが何より第一ですからね」
「だと思いますよ。そうじゃなければレースに勝つことなんてできませんから」
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―ちょうどそのアッセンのレースでは、最終ラップの最終シケインで接触がありました。その前にはアルゼンチンでも接触が発生して、マルケス選手が転倒する事態にもなっていました。これらの出来事を中本さんはどう見ていたのですか?
―レースディレクションが下した裁定に対して違和感はありませんでしたか?
「あのような事案の対応については、ルールで明確な文言として定まっていないのも事実です。レースディレクションで決まったことに対して我々はとやかく言う立場にはない、とも理解をしています」
―シーズンそのものに話を戻すと、アッセンの後、ザクセンリンクからECUソフトウェアのアップデートが凍結されましたが、後半戦を戦っていく上で何らかの影響はありましたか?
「まったくありません。そこに向かって着々と計画を立てていましたから」
―シーズン中盤戦以降に、マルケス選手たちはフロントアップを課題として挙げていたと思うのですが、ソフトウェアをアップデートできていればそれに対応できていただろう、ということはないのですか。
「そこは全然関係なくて、皆さんが思っているようなこととはまったく違うんですよ(笑)。簡単に説明すると、コーナーの立ち上がりでエッジグリップを求めるためには、トルクを削るんです。そうすれば当然滑らないわけで、今度はそこから加速をするために全開トルクに持って行くわけですよね。そうすると、あるところからトルクが急激に立ち上がるから、当然ウィリーします。いつまでたってもフラットなトルクだったら、今度は加速しませんからね。だから、エッジグリップを追いかければ追いかけるほど、ああいうふうになっていくんですよ。これはもう、ソフトの話ではなくて純粋にセットアップの話。
ただ、ライダーは気持ちよく走らないと当然ポテンシャルを発揮できないから、ライダーが望む方向に持って行って、それが行き過ぎている場合にだけ引き戻す、という方法をとるんです。ライダーと相談しながら、『あなたは今こう言っているけど、バイクの状態はこうなっている。だから、こういうふうにしたほうがいいんじゃない?』と提案すると、マルクは素直に聞きいれてくれる選手だから、その会話がしっかりと成立するんです。『なるほど。そういう状態になっているのなら、じゃあこれを試してみるよ』と言ってくれる。
我々も、彼に気持ちよく走ってもらうために部品を去年の仕様に戻したりもしたけれど、それよりも全体のセットアップやマルクの走り方が、シーズン後半に向けて落ち着いてきた、という要素のほうが大きかったと思います。それが大まかな推移です。落ち着いて走ることができれば、マルクは勝てる選手ですから」
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―シーズン前半のアグレッシブさが後半には収まってきた、ということですか。
「そうですね。強烈すぎるブレーキングはしなくなりましたね。オーバーテイクではブレーキングでガツンと行きますが、それ以外ではああいう走りは減ってきました」
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―一方のペドロサ選手は、開幕戦後に腕の手術をし、数戦休養して復帰後は少しずつ復調してきましたが、アラゴンでバトルをして2位。そして、次戦のもてぎで優勝しました。彼からは、マルケス選手のようなバイクに対するリクエストはなかったのですか?
「個々のライダーの話ではなく、カルや他のライダーを含めてファクトリーマシンに乗るライダーたちの言っていたことは共通していて、『エンジン特性がアグレッシブすぎる』『エッジグリップが足りない』というこのふたつが大きな問題として出ていました。ただ、マルクの場合はエンジン特性やエッジグリップを自分のライディングでカバーしてしまうので、他の選手とは違う問題が出てしまうんですよ。さっきも言ったように、立ち上がりがダメならブレーキングで何とかしよう、という走りができてしまうライダーだから、それがフローティングの大きな問題になったわけです。他のライダーはマルクのようなブレーキングをできないので、フローティングは大きな問題にならず、エッジグリップやアグレッシブさが問題になった。エッジグリップについては、さっきも言ったように全ライダーが同じようにトルクを殺すことをしたので、そのあとの直線加速でトルクが急上昇してウィリーしやすい問題が共通の課題としてあらわれた、ということです」
―それはペドロサ選手に対しても同じだったのですか?
「そうですね。でも、ダニはそれをうまくマネージメントできるライディングスキルの持ち主なので、腕の問題がなくなって体調が100パーセントになると、かなり強い走りをしていましたよね」
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―ペドロサ選手について、以前に中本さんは「80%くらいでバイクを合わせこめると手のつけられない速さを発揮する」と言っていましたが……。
「80%じゃ足りないですね。マルクは80%でもレースを勝ちに行けるけれども、ダニの場合は90%くらいまでセットアップが決まると本当に素晴らしい速さを見せてくれます」
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―それが75%や80%くらいなら、表彰台争いくらいの位置で終わってしまう、と。
―その部分について、アラゴンのバトルやもてぎの勝利で、彼の走りがさらに強くなったという印象はありますか?
「スタッフも変更したし、過去にやらなかったようなセットアップのアプローチもしたし、ダニ自身も違う走り方にトライしました。でも、体調が良くなったことが一番大きな要素でしょうね。シーズンの序盤3戦を棒に振ってしまいましたが、あそこで手術をしたのは正しい判断だったと思いますよ。後半戦のダニを見ているとね」
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―開幕戦終了後の囲み取材の際に欠場を発表したのは、寝耳に水でした。
「我々にとっても寝耳に水でしたよ。ダニは2014年に腕上がりの大きな問題を抱えていました。彼はハンドリングなどのフィーリングで320mmのブレーキディスクを好む選手で、もてぎのようなブレーキに厳しいコースでも320mmで走れてしまうほどの高い技術を持っているのですが、そのダニが340mmのディスクを使用するくらい、2014年の彼は腕上がりが深刻な問題になっていたのです。
この問題に対応するために、2013年のシーズン後半から様々な医師に相談をしていたのですが、いずれも手術をする必要はないという話で、トレーニング等による対応で2015年を迎えることになりました。ウィンターテストでミニロングランをしても腕上がりの問題が出ることはなく、やはり医師たちの言っていたとおり大丈夫だったんだね、ということで開幕戦を迎えたら、決勝レースでひどい腕上がりが出てしまい、これではダメだということで手術を決心した、というわけです。アメリカの医師やモトクロス選手たちがよくかかるオランダの医師など、いろいろと相談して意見を聞いていくなかで、『成功する確率は50%だけど、違う手術の方法がある。やってみますか』という提案がありました。『このままの状態でいるよりも、じゃあその50%に賭けてみよう』と決意して手術をすることになりました。それが良い方向に行き、今では腕上がりの問題はまったくありません」
「だから、他の医師は手術を勧めなかったのでしょうね。でも、医師というのは、自分では70%だと思っていても50%だと言うものなのかもしれませんね」
―そのあとも、ペドロサ選手はいつも腕にサポーターをしていますね。
「サポーターというか、軽く締め付けることで血流を良くしよう、という方法なんですよ」
―セパンのような暑い場所でもいつもサポーターをしているので、すごくケアしているという印象が強かったのですが。
「二度と腕上がりを起こしたくない、という気持ちが強いですからね。走った直後はキツめに巻いて、そのあとは日常生活のなかでも軽くサポーターで圧縮して血流を上げ、乳酸を溜めないようにする、ということをずっと継続しています」
―ペドロサ選手が復調したな、と実感したのはどのあたりのレースですか。
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「そうですねえ……。やはり、2位争いをしたアラゴンでしょうね。それまでは本調子ではなく、セットアップにも迷いがありました。一台は14年ベース、もう一台は新しいアイディア、と分けていたんですが、ダニのなかでもなんとなく迷いがあるわけです。『こっちはこういういいところがあるし、こっちはこういういいところがあるし、どうしよう……』と。それが徐々にチームの中でもこなれていって、アラゴンあたりになると『こういう方向だな』と落ち着いてきたところがあります」
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―それはやっぱり彼自身の体調や自信の反映であるわけですね。
「それらと、彼自身が走り方を変えていったことなどの、総合的な結果ですね」
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―最後に2016年シーズンに向けたことも伺いたいのですが、タイヤやECUソフトなど、いろんな要素が変わります。バイクの方向性は狙い通りに進んでいますか。
「アグレッシブなエンジンの反応をジェントルにするためにはどうすればいいのか、ということに皆がいま集中して取り組んでいます。新しいECUソフトウェアは、2015年まで我々が使用していたソフトウェアとは違うので、使い方をまだ100パーセント把握できていない部分があり、セッティング変更に時間がかかるんですよ。ホンダのソフトウェアはエンジニアフレンドリーにできているので、ひとつの数値を変えると関連する数値がうまく全部変わるようになっているのですが、新しいソフトはひとつの数値を変えるためにあれを変えてこれを変えて、とやらなければいけないので、まあ苦労しますね(笑)」
―共通ECUソフトを製作するにあたって、ホンダ、ヤマハ、ドゥカティの三者で話し合いをしたそうですが。
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「こういうものをベースにしましょう、ということを決めました。去年のオープンクラスのソフトウェアをベースに、スロットル開度のエンジンコントロールではなく、トルク制御によるエンジンコントロールにしましょう、ということだけ三者で意思を統一して、それをもとにマニエッティマレリが共通ソフトを製作した、という経緯です。そのやり方で私が問題だと思うのは、(四輪の)F-1で共通ソフトを作ったときはソースコードをオープンにして、それに対して各社が不具合をああしようこうしようと修正しながら一年かけて作ったんです。だけど、マニエッティマレリの場合はソースコードをオープンにしないので、何が行われていてどういうロジックで制御されているのかが、我々にはブラックボックスなんですよ」
―ホンダやヤマハのエンジニアに対してもソースコードは……。
「誰にもオープンにしていません。しかもそれがリリースされたのはバレンシアGPの一週間前で、最終バージョンなるものはバレンシアテストの日にリリースされたという状況でした。だから、我々も今は時間をかけてそのソフトウェアを解読しているところです」
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「だから今、ソフトウェアエンジニアは必死になってやっていますよ。たしかに今のモノでもとりあえずは走れるわけです。不具合も解消されて、ほぼ問題はない状態ですが、それをこれから性能アップしてファクトリーレベルまで持って行かなければなりません。それをどういうやり方で進めていくのかということは、今後もヤマハさん、ドゥカティと我が社で意思統一をし、プライオリティを決めながら継続して進めてゆきます」
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―DORNAが共通ECUソフトを導入したのはレースを緊密な戦いにしたいから、ということも理由のひとつだと聞いたことがあるのですが……。
「そういう意図もあるのでしょうが、たとえばKTMのようなニューカマーがMotoGPで使えるレベルのソフトウェアを開発するには、それなりの費用と工数がかかるため、それが大きな参入障壁になっていました。そのハードルがひとつなくなれば、入ってきやすくなりますよね。また、ソフトウェアレベルで戦闘力に差が出ているのであればそれを均一化したいということもあり、そのふたつが大きな目的だと思います」
―べき論をいっても仕方がないのですが、開発面も本来は自由な競争であるべきですよね。
「たとえばエンジンはインライン4でなければならないと決まっているわけではいし、他の要素でまだやらなければいけないこと、やれることはたくさんあります。ソフトウェアで競争をできなければ、他で競争をすればいいわけですから」
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―では、最後にマルケス選手とペドロサ選手の2016年に向けた展望を聞かせてください。
「マルクは昨シーズン、6回の転倒がなくて仮に全部3位表彰台に上がっていればチャンピオンを獲れていたでしょう。それはマルク自身が何よりよく学んでいて、毎レース勝ちに行く必要はない、と理解をしています。今年はシーズン全体をトータルに見渡して、大人のレースをすることも出てくるでしょうね。彼のバイクを走らせる能力は高いので、大丈夫だと思います。課題は、マルクはミシュランでレースをした経験がなく、ミシュランとブリヂストンは特性が違うので、そのミシュランの特性をどうやって早く掴むか、ということですね。
ダニは昔ミシュランでレースを経験しており、『グリップ性能は上がっているけど、ミシュランの特徴は変わってない』と話しています。その面ではダニにアドバンテージがあるでしょう。フィジカル面も大丈夫なので、きっちりセットアップを出して普通の作業をしてくれれば今年は優勝争いをしてくれると期待をしています」
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レギュレーションが大きく動く2016年シーズン。さて、来シーズンは笑顔で終わることができるのか。後編は昨年に続き国分信一さんが登場します。
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