2017年12月5日
MBHCC-D2 バ★ソ 幻立喰・ソ
第88回「はっこうだ」
光陰矢のごとしの師走。各種先生の皆様、ばたばた走り回ってますか? 昨今そこらのブラック企業もびっくりの過酷な稼業の先生のみなさまにおかれましては、心中お察し申し上げます。先生でもなんでもない私も、最近いろいろありまして(というと意味深ですが仕事に翻弄されているだけです)、立喰・ソ巡りに出ていないばかりか、立喰・ソにも立ち寄っていません。先月行った立喰・ソはたった3回。一とか六とか数字を見るだけで唾液が噴き出します。仕事もうまいこと回らないし、呑みにも行けないし、ストレス貯まって身心によくなさそうです。が、断酒、断ソは身体によさそうな気もします。
そんなこととは一切関係ないのですが、「はっこうだ」で何を連想しますか? あいかわらず、わたしのバカAT○Kは、一切の躊躇なく「発行だ」と即変換です(躊躇したら、それはそれで腹立たしいです)。たぶん「発行だ」なんて変換したこと一度もないと思います。しがないサラリーマンの私に、いったい何を発行しろというのでしょう。ちなみに予測変換の一番上は「発光ダイオード」。一生のうち3回くらいしか変換しないであろう発光ダイオードです。これは、おちょくられているとしか思えません。
「はっこうだ」といえば「発行だ」でも「発光ダイオード」でもなく「八甲田」です。普通は。少なくとも発光ダイオードより変換回数は多いんじゃないかと思います。八甲田=八甲田山。青森県が誇る名峰で、新田次郎の小説、八甲田山死の彷徨が映画化されたときのタイトルはそのものズバリ「八甲田山」でした。
でも、意外と知らないのが、八甲田山という山が存在しないこと。
「おまえバカなこと言ってると、真冬の八甲田山に連れて行くぞ。ふんどし一丁にして『天は我々を見放したか』と叫ばせるぞ!」と怒られそうですが、ホントです。八甲田山は富士山みたいな1つの山ではなく、「18の成層火山や溶岩円頂丘で構成される火山群」(←なんのことだかわかりません。もちろんウィキ先生からのフルパクリです)なんだそうです。へぇ〜、ためになりましたね〜。
鉄にとっての八甲田とえいば、もちろん上野と青森を東北本線経由で結んだ夜行急行列車の八甲田。一説によれば、1977年にリリースされたかの名曲「津軽海峡冬景色」に出てくる上野発の夜行列車は103列車八甲田だとか。1977年といえば、国鉄がまだ国鉄らしさを残していた時代の末期。北海道へは飛行機ではなく、夜行列車と連絡線を乗り継いで行く人もそこそこいて、帰省シーズンになると、発車の何時間も前からホームに新聞紙を敷いて酒盛りする出稼ぎのおとうさんも上野駅の風物詩でした。八甲田もロザと仙台回転車のハネ以外はボックスシートの雑系客車で運転されていました。演歌には583系や24系寝台特急よりも、スハ43系急行が似合います(何を言っているのかわからない方は、気の済むまで罵倒してください)。
鉄の与太はともかく、八甲田は愛車と共に運んでくれるMOTOトレインを連結していたこともありますから、北海道ツーリングに利用したことある方もいらっしゃるのではないでしょうか。もちろんわたしも利用したことは……ありません。いや、利用するはずだったのですが、前日急な仕事を押しつけられ、某イラストレーターに切符を献上するはめに。あのときの恨みは一生忘れ……ました。まあ、人生いろいろあります。
急行八甲田の思い出話はこれで終わります。ご安心ください。思い出話を続けようにも、一度も乗ることなく1998年、すでに臨時急行に格下げされていた八甲田は廃止されてしまいました。チャンスはいくらでもあったのに、なんで乗らなかったんでしょうと後悔するのは、幻立喰・ソとまったく同様。いつの時代でも、わたし全くブレることなく進化していません。
山でもない、急行でもない八甲田とは何ぞや?
はい、待っていない皆様も含め、お待たせいたしました。
青森駅の立喰・ソ、八甲田が今回の八甲田です。もちろん実名ですから、すでに幻立喰・ソです。
1987年国鉄がJRになり、1988年青函トンネルが開通して、青森駅を取り巻く環境も、どんどん変わっていきました。2002年には東北新幹線が八戸まで到達。2010年ついに新青森まで全線開業しました。あの頃、青森駅のホームには1-2番線に八甲田2号店、3-4番線に八甲田3号店がありました。5-6番線にあったかどうかは記憶にないので、たぶんなかったということにして話を進めます。
東北本線の八戸-青森間が青い森鉄道に移管されてしばらく経過した2011年夏頃に2号店が、2014年3月30日15時をもって3-4番線の3号店が、幻立喰・ソになってしまいました。
そうそう、八甲田と言えば、青森駅のかつての連絡線桟橋に保存されている、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸(ちなみにわたしのどあほうAT○Kは「メモリアル湿布」となんの迷いもなく変換します。貼ってみたいものです)を忘れちゃいけません。青函連絡船は函館にも摩周丸が保存されていますが、車両甲板や第2甲板(エンジンルーム)の見学が出来るのは八甲田丸だけ。入館料はたったの500円です。青森に行かれたときはぜひご見学を。そういえば、かつて東京の船の科学館にも羊蹄丸が保存されていましたが、四国にドナドナされて、ばらばらにされてしまいました。いつまでもあると思うな、立喰・ソと連絡船……。
話を戻してホームの八甲田。かつての連絡船接続時代を彷彿とさせる長ーい青森駅のホームには、立喰・ソがよく似合います。「上野発の夜行列車降りたときから〜」気がついたのは立喰・ソの香りに違いありません。特に雪の降る冬期の早朝の青森駅、都会で恋に破れ冷えた身と心を温めて溶かしてくれたのは、立喰・ソの熱いどんぶりに違いありません。「北へ帰る人の群れは」と「私も一人連絡船に」の間に、立喰・ソをすする場面が挿入されていないのは、大いに不満が残るところではございますが、見知らぬ人が竜飛岬を教えてくれたとき、ネギくさいと恥ずかしいからでしょう。きっとその後、連絡船の食堂でイカのぽっぽ焼きで一杯やって、海峡ラーメンでシメたんでしょう。
北海道新幹線の開通で、本州と北海道を結ぶ大動脈から外れてしまった青森駅。八甲田はその前の2016年、一足先に幻立喰・ソになってしまいました。夜行列車がよく似合うながーいホームは、柵で仕切られてしまい、かつてのにぎわいわい今いずこ。そんな姿を見るにつけ「嗚呼、できることなら、もういちど、八甲田のソをすすりたい」と、涙することでしょう。
でも、大丈夫(吉高由里子調で)。青森駅を出て左にすぐ、八甲田(1号店)は現在も営業中ですから。じゃんじゃん(←例の効果音ではなく、青函連絡船出港合図の銅鑼の音のつもり)。
世の中にはニュースがあふれていますが、というわけで、ニュースになりそうなネタがありません。さきほど小耳に挟んだばかりで、未確認なのですが大阪環状線の大正駅前にあったよどやん(第80回で登場した「ためきそば」のあの立喰・ソです)が、今年の夏前に幻立喰・ソになってしまったらしいのです。今年の春に初訪問したばかりだったのに……生活圏と離れた所の立喰・ソは、まこと一期一会です。
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