2017年10月18日
MBHCC B5 チュー アンダーソン バイクの英語
第54回「Chewing the fat(チュイング ザ ファット)」
電気自動車について考える。
今や100%電気の力で走る電気自動車も増えてきているようで、いよいよ時代はそっちの方にシフトし始めているようだ。
航続距離が500キロあれば、普通の人は困ることはないだろう。250キロ先の目的地まで往復する機会などなかなかない。
加えて充電も簡単だとなお良い。スマートフォンやタブレットのように、ただその板に置くだけで充電されるような、充電駐車場があればベストではないか。自宅の駐車スペースに置いておくだけで充電されていくシステム。特に何も差し込んだりせず、ただそこに停めるだけ、が理想だろう。
電気自動車になれば排ガスがゼロになり、環境にやさしいという考え方が主流のようだ。しかしそれはどうだろう、などと思うこともある。電気はどこかで作らなければならない。そしてその電気は各電気自動車まで運んでこなければならない。そもそも電気を作るのにどれだけ環境負荷があるのかも考えなければならないし、送電、蓄電する時のコスト、利便性、環境負荷も考慮しなければいけないだろう。
いま内燃機エンジンはユーロ4などで非常にクリーンになっているが、火力発電所はユーロ4対応なのだろうか。現在車にはリサイクル料金を払わされるが、電気自動車だとそれはどうなるのだろう。これまで一般的だった内燃機エンジンに比べるとモーターはともかくとしてもバッテリーという厄介なものがあり、これの有効なリサイクルルートを確立する目途はあるのだろうか。
ドイツでは2030年までに内燃機エンジン搭載車の発売を禁止するそう。フランスは2040年、イギリスもならって2040年に同様にディーゼル及びガソリンエンジン車の新車販売はやめるそうだ。
本当だろうか。イギリスはともかくとして、フランスやドイツは大きな自動車メーカーを抱える。ここまで究極を極めてきた内燃機エンジンをそう簡単に捨てることはできるだろうか。そもそもそんなこと、ものすごくもったいないではないか。余計な心配をしてしまう。
水素エンジンという考え方もあるそうで。これは水素を燃料とすることで、排出されるのは基本的に「水」(他にもいろいろ難しい問題があるそうだが、とりあえずは基本的に、という事で)。そんな夢のようなことがあるのだろうかと思っていたが、やはり水素を作るためにはたくさんの電気を使うという。
そもそも地球上に存在する原料を組み合わせて、なるべく効率よく我々人間たちが使えるように加工していく、という作業なのだから、突き詰めていけばプラスもあってマイナスもあるという同じ結果になるように思う。永久機関が存在しえないのと同じで、どこかでロスが起き、そのロスを最小限にとどめる、もしくはそのロスが商売上の儲けに影響しないようにする、というのがメインの取り組みに思う。
もちろん、国際情勢もあるためそういう政治的なこともすべからく影響してくるだろう。内燃機エンジンを使わないことで産油国に頼っている枠組みから逃れたいという思惑もあるだろうし、フランスのように原発がたくさんあれば電気を使うのが良いと思うのは自然なこと。ところがその原発だってどこかから燃料を入手しなければならず、内燃機エンジンの排ガスに相当する核廃棄物は排ガスよりもよっぽど扱いは難しいのではないか。
個人的には内燃機エンジンはなくならなくてもいいんじゃないかと思える。産油国から原油を持ってこなければいけないという問題はあるが、そういったインフラも今では整っており効率よく行われている。ガソリンスタンドも多く、そして燃料は直接車に投入される。エネルギーを発生させて、その場で使うというのがどうも効率よく感じるのだ。電気は、作って・運んで・溜めて、というプロセスにおいて比較的ロスが多いような気がしてしまう。送電線などの設備投資も莫大だろう。もっともそこで雇用が生まれるのか……と、結局政治的な話に結び付くことが多い気がする。
日本でも都市部のタクシーはLPGを燃料としていることが多いが、どういうわけか日本ではそれが一般車に浸透しない。オーストラリアではLPG搭載を推奨しており、一般的なガソリンエンジン自動車に後付のLPGユニットをつけることができる。ガソリンスタンドでは両方を売っていて、ガソリンとLPG両方を補填できる。LPGの方が安くしかも環境負荷も少ないらしく普段はLPGで走っているのだが、ガソリンに比べてパワーがないのが難点らしく、トレーラーをひくときや定員いっぱい乗って山岳路を走る時などは従来のガソリンに切り替える、というわけだ。その切り替えスイッチも後付のユニットに備えられており、ドライバーの意思でいつでもLPGとガソリンで切り替えができる。
オーストラリアは他の先進国に比べてこういったアクションがとても早い気がする。効率がいい? じゃやってみよう! といった具合に、それをやることで誰が儲けるだとか誰が損をするだとか、ちゃんと天下り先にお金が落ちるのかだとかそういったことを気にせず、良さそうなことはとにかくやってみる、というスタンスなのだ。結果として良くなければ廃れるでしょ? といったアプローチのようで、オーストラリアのそういった小回りが利く感じは非常に魅力的に思える。
毎年行われているホンダの「エコラン」は1リッターのガソリンで何キロ走れるかの競技。カブ50エンジンをベースにチューンし、今年の勝者は何と1リッターで2791キロも走ったそうだ。これは特別な例だが、市販車でもPCXなどに搭載されるeSPエンジンやヤマハのブルーコアエンジンなど、ミニマムでありながら非常に効率の良いエンジンが存在する。
これらの原付二種スクーターは普通に走ってもリッター50キロ以上走るそうだから、車体を直接走らせることなくただエンジン単体で最も消費効率の良い回転域で動かし続ければとんでもなくエコだろう。その回転域で発電すれば、eSPエンジン搭載の電気自動車なんてできるではないか。動力は電気だが、燃料はあくまでガソリン。どこかで作った電気をわざわざ持ってくることもない。近年の高性能バッテリーや高性能モーター・発電機を考えれば燃費100キロなども夢ではない気がする。
せっかく突き詰めた内燃機エンジンの世界なのだから、オーストラリアのLPGとのハイブリッドのようにこういった超低燃費エンジンと電気を組み合わせたらどうなのだろう。F1では電気とエンジンの協働をずいぶん前からやっているのになぜ市販車はいくらか無理矢理感を伴いながら完全電気へのシフトを強めているのか。
以上、電気自動車について考えた。
答えはないし、あったとしてもそれを実現させる力もない。
技術者でもなく、政治家でもない一般人が、結果に結びつくわけでもないこういった議論をすることを、Chewing the fat という。
直訳の「デブを噛む」……ではなく、肉の脂身をクチャクチャ噛んでいる様子を示す。
噛み切れるわけでもなく、そのうち味もしなくなるし、そして最終的にその塊を飲み込もうか飲み込むまいかというビジョンを持たないまま、ただクチャクチャと噛んでいる様子だ。
語源には諸説あるが、船乗りが入港した時に海上では不足しがちな油分を摂取するために、おつまみとして塩漬けにされた脂身を噛んでいたというのが一般的か。さらにイヌイットたちがやはり健康維持のためにスモークされていた脂身を噛んでいたという説もある。逆に脂身をどうしていいかわからないままただ口の中で転がしている、という見方とは別に、炙った豚の脂身は非常に美味しく、いつまでも飲み込まずに噛んでいたい、という見方もあるようだ。
先述したような答えのない議論を指す以外に、奥様方の井戸端会議のようなフランクな時間つぶしのおしゃべりを指すこともあるため、広く使いやすい言い回しといえるだろう。
集ってダベるのが大好きなバイク乗りも多く、あれはまさにChewing the fatといえ、バイク乗りにはなじみの深い言い回しともいえる。
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