2017年9月28日
ブサいくツーリング──後編
「ハヤブサで街道を行く」
杖突街道から恐竜街道と巡った「ハヤブサ」ツーリングは日本海側の街道へと快走し、山間の路から海沿いのルートへとステージを変え、蒼い空と海の景観を楽しませてくれた。行く先々では伝統的な町並みと街道の歴史文化がツアラーの興味をそそり、走るだけではない旅の楽しみをツーリングに付け加えてくれた。
●レポート&写真:泉田陸男
●取材協力:スズキ http://www.suzuki.co.jp/
隼祭りの取材に向けてのハヤブサツーリングも三日目、福井市のホテルを早朝にチェックアウトして向かったのは三方五湖だ。福井インターから北陸自動車道に乗り、敦賀ジャンクションで舞鶴若狭自動車道に入り若狭三方インターまで高速クルージング。快晴の早朝は気温も上がりきっていないので2時間程の高速走行は快適そのものだった。若狭三方インターを降り国道27号線を気山方面へ向かい、気山のT字路を左折して3キロほど走ると三方五湖レインボーライン有料道路の日向湖(ひるがこ)側の料金所に着く。三方五湖レインボーラインは日向湖側の料金所から水月湖側の料金所まで8.4キロの間、右に左に紺碧の空と三方五湖、若狭湾を眺望しながら走る天空の海道とも言える絶景の道だ。
三方五湖は淡水湖の「三方湖(みかたこ)」汽水湖の「水月湖(すいげつこ)」「菅湖(すがこ)」「久々子湖(くぐしこ)」海水湖の「日向湖(ひるがこ)」の総称で、「若狭なる三方の海の浜清みい往き還らひ見れど飽かぬかも」と万葉集にも詠われ、国指定の景勝地でありラムサール条約にも登録されている自然の宝庫だ。三方五湖と若狭湾を隔てる位置にそびえる梅丈岳(ばいじょうだけ)が三方五湖の絶好展望ポイントで山頂へのケーブル乗り場があるので登ってみることにした。
レインボーラインのワインディングロードはハヤブサにとって少しタイトだが、走っていて辛いということはない。2速3速でのアクセルワークでクリアしていくコーナーはローペースながら心地よい。ピーク近くの交差点を左折すると梅丈岳山頂へのケーブルカー乗り場駐車場に到達する。
往復800円のチケットを購入して頂上を目指す。同チケットでケーブルカー以外にリフトでの登頂もできるのだが、勾配が急なリフトの恐怖心は克服できそうもないのでケーブルカーでの登頂にした。
梅丈岳山頂の「レインボーライン山頂公園」からの大パノラマは、三方五湖と若狭湾、連なる山々を360度見渡せる絶景だった。
山頂公園には訪れる人々をもてなす様々の見所があるが、中でも人気の「和合神社」という表裏から参拝することのできる縁結びの神社がある。和合神社の由来は、昔、日向湖の船主の「みつ」という娘が使いを終えての帰途に梅丈岳の尾根道で迷い、杉木立の小祠に一夜の宿を借りたところ、山麓にあった銅鉱の鉱夫の「いかばちの仙吉」という屈強な若者が「詣り当番」で小祠の神前に神酒を献じて拝もうと手を合せると、裏手より娘が出現してお互い気に入り結ばれた事から縁結びの神とされたそうだ。
梅丈岳からレインボーラインを水月湖側へと下り、水月湖と三方湖岸を抜け若狭湾沿いに国道162号線を小浜市に向かう。福井県小浜市は古来若狭国と言われ、日本海の海産物を京の都へ供給する地域だった。中でも若狭から運ばれた鯖が、京の都につく頃には丁度よい塩加減になったといい、いまも京の食文化の中に若狭の魚が生きている。若狭から運ばれたものは鯖だけでなく、いろいろな海産物や文化があったが小浜から運ばれた代表的なものが鯖であったという事から「鯖街道」という名前が定着したようだ。鯖街道は主に小浜市から若狭町三宅を経由して京都市の出町商店街に至る若狭街道、おおむね国道27号線や国道367号線を指すようだが、今では嶺南(若狭湾沿岸の地域)から京都をつなぐ街道全てを「鯖街道」と呼ぶようだ。
その中にあって国道162号線は「西の鯖街道」「周山街道」と言われ、峠越えのワインディングが多くライダーにとって楽しいルートだ。今回目指した「美山かやぶきの里」までの路をハヤブサで快走していると、土曜日とあって小浜方面に向かいすれ違うツーリンググループの多さが目立った。目立ったのはライダーばかりでは無い。山間のルートを走ると目に飛び込んでくる家々の屋根の高さと急傾斜が冬の厳しさを物語っていて印象的だった。この先に待っているかやぶき屋根の集落への期待が高まるルートだ。美山町安掛の交差点を左に外れ6キロほど行くと「かやぶきの里」北村の駐車場が右手に現れる。
駐車場にはツーリングで来たグループやソロライダーの多くが愛車を停めて村の中の徒歩での観光を楽しんでいた。ハヤブサを先に停められていたVTR250の隣に停めると、オーナーの女性が戻ってきて笑顔で挨拶をされた。挨拶を返し、話を聞いてみると普段はZ125PROに乗っているそうで、SNSで美山の評判と魅力を見てレンタルバイクを借りて奈良市からツーリングに来たそうだ。
「美山かやぶきの里」は、寛政8年(1796年)に建てられた最古の家をはじめとして、江戸時代に建てられた入母屋造り独特のかやぶき屋根の家が清らかな由良川の流れに調和して、文化伝統を伝える南丹の農村原風景を残している場所だ。中でも北村には38棟のかやぶき家屋があり、その数は集落では岐阜県白川村荻町、福島県下郷町に次ぐ第3位だそうだ。
集落には観光客向けの民宿や食事処があるが、米粉で手作りする農家のパン屋「吉之丞(きちのじょう)」が美味と聞き訪ねた。夫婦で営むパン屋は手作りのパンが売り切れると閉店となる人気店で、土日祭日のみのオープンだそうだ。訪ねた日は運良く土曜日、しかも売り切れ直前だったことはラッキーだった。折しも昼飯時、玉ねぎパン、アンパン、枝豆チーズパン、チーズパンを購入して集落内の自然流水に足湯のように側溝を流れる水に足をつけて涼むことのできる「涼ポイント」に腰掛け昼食とした。田舎の原風景の中で食べた米粉パンはどこか懐かしく、都会では味わえない旨さのパンだった。
翌日に「隼駅祭り」を控えて鳥取までの道のりを走破すべく美山の集落を後に由良川沿いに京都府道12号線を走り、国道27号線から国道372号線と走り加東市滝野社インターから中国自動車道を使い佐用ジャンクションから鳥取自動車道を走り隼駅に到着したのは午後6時を過ぎていた。それでも鳥取自動車道の河原インターを降りると、茜色に染まった県道324号線を隼駅へと向かう聖地を目指すブサ遣いが同じ方向に愛機を走らせていた。県道324号線から国道482号線に入り3キロほど走った「HOME8823」の前を左折すると、そこには聖地「隼駅」があった。陽も落ちかかる時間にもかかわらず、集まっていたブサ遣い達は記念撮影に余念が無かった。
「隼駅祭り」が盛況のうちに終了し、ツーリングも帰途に向け走る終盤となった。東京まで直行で帰還するには距離があるので、予てより行ってみたいと思っていた伊根の舟屋に寄っていくことにした。伊根までは、隼駅から若桜街道という国道29号線、山間を抜けるルートがあるが、今回は日本海に沿って走る国道178号線を利用し「餘部橋梁」を見ていくことにした。鳥取市から海岸沿いを走る178号線は日本海の美しい海岸線風景が続く観光路線と言っても過言では無い。途中、隼駅祭りの帰路らしき関西ナンバーのブサ遣いと抜きつ抜かれつの走りを楽しんだ。
目指した餘部橋梁のある餘部(あまるべ)は日本海に面して険しい山が迫る交通の難所をトレッスル橋という鉄道橋で山陰本線を開通させたメモリアルな場所。現在は2代目の橋梁が架かっておりコンクリート橋になっているが、その高さは目をみはるものがある。
餘部からは香住・余部(かすみ・あまるべ)道路(無料自動車専用道路)で178号線は山間部へと入り、豊岡市を通り京丹後市の久美浜から国道312号線に入り宮津市で再び国道178号線に入り右に宮津湾、天橋立を見ながら走り伊根へと到着した。
伊根といえば、海に張り出して建てられた漁船の収納庫の上に住居を備えた民家、伝統的建造物である「舟屋」が建ち並ぶ京都の重要伝統的建造物群保存地区で独特の景観を見せている。町は山側の家屋と狭い道路を挟んで海側に舟屋が対峙して建つ小さく狭い集落で、元来漁師の町なので宿泊施設が少ない。運良く宿泊できた「与謝荘」は舟屋の宿で、地産の料理でもてなす数少ない宿だった。食事処は舟の収納場所を改装した伊根湾が眼前にある絶好のロケーションで、時の魚料理がとても美味しく、新鮮だった。
周辺には山と海しか無い伊根の晩は静かで、今回のハヤブサ旅を思いかえし、ゆったりと寝むことができた。翌朝は瞑想台風15号が上陸を窺っているあいにくの天候だったが、旅の想い出を胸に宮津から京都縦貫自動車道、京滋バイパス、新名神高速道路、東名阪自動車道、伊勢湾岸自動車道路、東名高速道路と繋ぎ無事に帰還した。ハヤブサで通過した後に新名神高速道路が悪天候で通行止になったこと、豊川でトラックが突風で横転したことは、聞かなかったことにしよう。
今回のツーリングでは、帰路の最終日以外は好天に恵まれ、いく先々に出会いがあり最高の旅を与えてくれたハヤブサに感謝。