2017年9月6日
ブサいくツーリング──前編
前編「ハヤブサで街道を行く」
2017年8月6日に開催された「隼駅祭り」の取材に「ハヤブサ」で行くと決まり、どうせならツーリングしながら行こうと決めた。「ハヤブサ」で走って面白いルートは何処かとあれやこれやと考えた挙句、高速道と風光明美な街道の名所旧跡を訪ねて巡ることにした。ハヤブサで行く街道旅「ぶさいくツーリング」は様々な出会いに溢れていた。
●レポート&写真:泉田陸男
●取材協力:スズキ http://www.suzuki.co.jp/
ハヤブサでのツーリングチャンスをどのようなルートで楽しもうかと考えるだけでワクワクした。ハヤブサというハイパフォーマンスマシンではハイアベレージのハイウエイも面白いだろうし、山間のワインディングを軽快に走ることも快感だろう。そこで、高速道と一般道を組み合わせて鳥取まで行くことにしたが、想像した通りハヤブサはその期待を裏切らなかった。
スタートは横浜町田から東名高速に乗り圏央道で中央高速へと走り、諏訪インターまでを一気に走り抜けた。現代の「甲州街道」とも呼ぶべき中央高速はハヤブサにとって快適クルージングそのものだった。適度な高速コーナーが続く中央高速は山間の景色が次々と展開し、6速3千回転ほどでクルーズするハヤブサの鼓動が心地良く、登坂部で遅い車があってもシフトダウンもせずにパスすることも可能だった。
諏訪インターを降りて茅野方面に戻り、少し走った高架道の側道から新井の交差点を右折すると、今回最初の街道である「杖突街道」へと至る。「杖突街道」は長野県茅野市と伊那市を結ぶ国道152号線の呼称で、途中「杖突峠」というその名の由来が諏訪大社の神話に神がはじめてその杖を突く場所とされる峠にある。杖突峠の諏訪、茅野側からは八ヶ岳や霧ヶ峰、美ヶ原が眺望でき、絶好の景観を楽しむことができる。茅野側から峠までは中低速コーナーが続くワインディングロードで、路面も整備されているので2〜3速でのコーナリング走行が気持ち良い。杖突峠から伊那市側はなだらかな山間に田んぼが広がる長閑な光景が広がる。
また、途中には「しだれ桜」が有名な高遠の町があり、今回は桜と共に有名な「高遠そば」を食べるために気になる蕎麦処「ますや」を訪ねてみた。高遠そばの特徴は、辛み大根のおろし汁と焼き味噌で食べるというスタイルが伝統だそうで、訪ねた「ますや」ではそばつゆに大根おろしと焼き味噌をすり鉢で和え、そこに蕎麦を浸けて食べるのだが、これが絶品だった。
高遠そばを満喫した後は、次なる目的地木曽の「馬籠宿」を目指すために伊那市に向けて杖突街道の田園風景の中ハヤブサを走らせた。伊那市からは再び中央高速に乗り中津川まで快走した。
この間の中央高速は八王子ジャンクションから諏訪までに比べ、明らかに交通量が少なくアクセルが開き気味になるので要注意だ。中央高速を中津川インターで降りて国道19号線を塩尻方面に向かうと、しばらくして片側二車線の中津川バイパスとなり、沖田という交差点を右折すると馬籠宿へ至る旧中山道の県道7号線の山道に入る。
旧中山道のつづら折れの道を登っていくとやがて馬籠宿の下入り口に辿り着く。中山道は別称「木曽街道」とも呼ばれ、馬籠には有名な「是より北 木曽路」の碑がある。下入り口から上入り口までの間に往時の宿場の風景が残され、観光のメインポイントになっているが景観保存のため10時から16時の間は交通規制があり車両は入ることができない。したがって徒歩での観光となるのだけれど、下入り口周辺にも上入り口周辺にも無料駐車場が完備しているので駐車には苦労しない。
下入り口の駐車場にハヤブサを停めて、石畳の径を歩き始めてすぐ右手にある「白木屋」という旅籠で五平餅を食べた。木曽の名物の五平餅はご飯をつぶしたものを素焼きにしたあと、クルミ、醤油、砂糖、胡麻等を混ぜたタレをつけて炭火であぶる。地域によって作り方が違い、形は団子型、ワラジ形などがあり、タレもそれぞれ工夫されているのだが、「白木屋」の五平餅は主人のおばあちゃんの手造りで醤油味噌ダレの一味違う逸品だ。残念ながら今回は食べることができなかったが、五平餅の他にも中津川では栗が名物で、宿場の中ほどに位置する「大黒屋」では「栗こわ」を味わうことができるので今度来た時には是非食したい。
また、馬籠宿の中程には所縁の人「島崎藤村」の生家「馬籠本陣」があり現在は「藤村記念館」となっている。下入り口に近い場所にある清水屋資料館にも藤村の書簡、掛軸、写真などの資料が所蔵されており一見の価値がある。
記念館の近くには現役の旧家造り馬籠宿郵便局があり、馬籠宿オリジナル記念切手やはがきなどが販売されていて、観光記念に購入し投函している観光客が少なくなかった。
宿を訪ねた日はお盆前の平日だったのでさほどの混雑はなかったのだが、驚いたことに外国人観光客の多さにはビックリした。一人で歩いていた私に笑いながら声をかけてきたカリフォルニアからサマーバケーションでやって来た白人のカップルが、日本には何故このような伝統的な景観が残されているのかと尋ねてきたけれど、残念ながら私には回答の持ち合わせが無かった。あちこちから聞こえてくる外国語を翻訳する能力は残念ながら私にはないが、宿場に溢れる感嘆の声や感激の会話は理解することができた。
夕日が恵那の山影に落ちかかる時間になり、空が薄茜色に染まるころ本日投宿の妻籠宿へとハヤブサを走らせた。馬籠宿からは県道7号線、旧中山道の馬籠峠を越えて妻籠宿へと至るワインディングロードはややタイトな山間道でチョット神経を使う道だった。
妻籠宿も中山道42番目の宿場町で馬籠宿と同様に伝統的な町並み景観を保存する日本を代表する観光地だ。馬籠とは違うなだらかな街道筋に伝統的な姿の家屋が軒を連ねている。投宿した宿は妻籠で開業70年を数えるという伝統的な旅館の「藤乙(フジオト)」にお世話になった。藤乙で再び驚いたのは、当日の宿泊者が日本人は自分一人だったこと。食事処での夕食時、周りを見渡すと外国人の観光客しかいない、旧家風日本家屋の中で英語、スペイン語が飛び交う日本とは思えない不思議な光景だった。藤乙は純日本風の古民家旅館で、振る舞われた食事は女将が腕をふるう地産の素材を使った絶品の料理だった。宿のスタッフが語学堪能で一品一品運ばれる料理の説明をすると、外国人観光客は料理を口に運んでは絶賛していた。
夕食後に宿場を散策すると、街道筋の家々の軒には屋号行燈が灯され、まさに江戸時代の宿場街道にタイムスリップしたような幻想的な風景がそこにあった。
妻籠を後に向かったのは下呂から郡上八幡を結ぶ国道257号線、472号線と継なぐ「せせらぎ街道」。四季折々に目に眩しい緑豊かな景観や紅や黄色に染まる紅葉の景色が素晴らしいドライブコースとして有名な一般道だ。南木曽の国道19号線から弥栄橋を右折し国道256号線に入り、257号線と継なぎ国道41号線で下呂へと向かった。下呂を過ぎ花池南を右折すると再び道路表示が国道257号線になり、「せせらぎ街道」と言われるルートとなる。
「せせらぎ街道」に沿うように流れる清流「馬瀬川」「吉田川」では川の恵み「鮎」を釣る太公望の姿が自然の恵みの豊かさを象徴していた。吉田川に沿って街道を走ると郡上八幡へと至り、名物の鮎料理を体験しようと思ったが、訪ねた日は郡上踊り(お盆はクライマックスの徹夜踊りが開催される)のシーズンで、街中には帰省の住民だけでなく観光客も交えてごった返していた。期しくも昼時の街中では鮎料理の店はどこも行列をなしていて、バイクを停めるどころの騒ぎではない。郡上の街中をハヤブサの熱気を抱えながら数周してやっとの思いで見つけた蕎麦処の「あまご蕎麦」は、鮎にも勝るご馳走だった。
郡上八幡の街はかつての城下町であり、大手町、柳町、職人町、鍛冶屋町といった歴史的町名を残しており、これらの町を中心とした町家群が国の重要伝統的建造物保存地区に選定されていて、町の景観を眺めるだけでも十分な価値がある。
郡上八幡を後に目指したのは「九頭竜湖」。九頭竜湖は岐阜県と福井県の県境を水源とし、奥越山地の急峻な谷合いを流れる九頭竜川を岩積みで建設されたロックフィルダムの九頭竜ダムで堰き止めた人造湖だ。郡上八幡から国道156号線「越前街道」を白鳥まで行き向小駄良(むかいこだら)の交差点を左折すると九頭竜湖へと続く国道158号線「美濃街道」別称「恐竜街道」へと進んで行く。この美濃街道に入ったところから九頭竜湖に抜ける途中の油坂峠は、美濃街道と交差するように東海北陸自動車道から白鳥インターを経由して油坂峠道路でも超えることができる。どちらを通っても油坂峠からの眺望を満喫して走ることができる。
油坂峠を越えると九頭竜湖に架けられた「夢の架け橋」が見えてくる。「夢の架け橋」は全長266mの橋で、正式名称は箱ヶ瀬橋という。瀬戸内海に本州と四国を結ぶ瀬戸大橋をかけるためのプロトタイプとして建設されたもので九頭竜湖の観光ポイントになっている。九頭竜湖岸に沿って走り九頭竜ダムを過ぎると、やがてJR九頭竜湖駅に隣接する道の駅九頭竜に到着する。駐車スペースへの入り口には「恐竜街道」の大きなサインポールが建ち、親子の恐竜、テラノサウルスが「ガオー」という雄叫びと共に出迎えてくれる。美濃街道が恐竜街道と名付けられた理由も此処にあり、この地より発見された化石の中からテラノサウルスの歯が見つかったことに由来しているのだ。九頭竜湖の雄大な景観と、夏の緑を堪能し更に隼駅を目指して道の駅九頭竜から今晩の投宿地、福井を目指した。