2017年6月2日

佐藤洋美の『ル・マン24時間耐久レース』レポート

日本人ライダーは、24時間をどう走ったのか?

佐藤洋美の『ル・マン24時間耐久レース』レポート 日本人ライダーは、24時間をどう走ったのか?

●文・写真:佐藤洋美 ●写真:David Reygondeau
フランス・ブガッティサーキットで2016〜17年世界耐久選手権(WEC)第2戦「ル・マン24時間耐久レース」が開催されました。開幕戦は2016年の9月の「ボルドール24時間耐久」でスズキ・エンデュランス・レーシング・チーム(SERT)が優勝、2位にSRCカワサキ、3位にトリックスターが初表彰台をゲット、5位にTSR。GMT94ヤマハは序盤2度の転倒から追い上げ9位。ヤマハ・オーストリア・レーシング・チーム(YART)は何度もトラブルに見舞われながらも追い上げましたがリタイヤでした。
今大会、トリックスターは井筒仁康/出口修/エルワン・ニゴンから井筒をフランス人ライダーのジュリアン・ミレットに変更。TSRは渡辺一馬/伊藤真一/ダミアン・カドリンから、カドリンだけが残り、他は海外ライダーのラインナップ。出口は「ボルドーの時のように表彰台に上がれたらいいし、それ以上だったらもっと嬉しいけど、目標は世界一になること。しっかりと結果を残したい」と挑みました。
ブガッティ・サーキットに集まった観客は約75000人。ピットウォークはこの賑わい

ブガッティ・サーキットに集まった観客は約75000人。ピットウォークはこの賑わい。

カワサキ・ファンもポールポジションに大満足か……た

カワサキ・ファンもポールポジションに大満足か……。

 YARTに、今季からヤマハワークス入りした野左根航汰が加わり、ブロック・パークス/マービン・フリッツ。ブリヂストンタイヤが本格的参戦を発表、TSRに続いてYARTにも供給。MotoGPの監督を長年務めた中島雅彦氏、ヤマハのスーパーバイク開発の第一人者であるエンジニア猪崎次郎氏も野左根に同行。パドックでは、いよいよ、ヤマハワークス参戦かと囁かれることになります。
 中島氏は、その噂を否定し「若手育成の目的が大きい。いきなりMotoGPに連れて行くのでは自信を無くすだけ、ここなら、頑張れば届くトップ争いがあり、そこに届こうとすることは確実な成長につながる」と語りました。猪崎氏は、常に野左根に寄り添い、走行時にはストップウォッチで野左根の走りを24時間追いかけました。フリッツもドイツのスーパーバイクチャンピオン、育成ライダーのひとり、ここにライバルがいることも、野左根には自身を高める材料になっているようでした。

イカヅチ作戦

1万人のサポーターの力で世界の頂点を目指そうという「イカヅチ作戦」(http://www.mr-bike.jp/?p=128925 )が進行中のトリックスターからは出口修が参戦。

ヤマハワークス入りを果たした野左根航汰が初めてル・マンに挑んだ。写真右は長年MotoGPの監督を務めた中島雅彦氏

ヤマハワークス入りを果たした野左根航汰が初めてル・マンに挑んだ。写真右は長年MotoGPの監督を務めた中島雅彦氏。

若手ライダー・大久保光は、プライベートの名門チーム「ナショナルモトス」の一員として初挑戦した

若手ライダー・大久保光は、プライベートの名門チーム「ナショナルモトス」の一員として初挑戦した。

事前テストで亡くなったアンソニー・デラールさんを追悼するセレモニーが、決勝前に行われた

事前テストで亡くなったアンソニー・デラールさんを追悼するセレモニーが、決勝前に行われた。

 ル・マン24時間耐久は第40回大会。今季、鈴鹿8耐も40回目ということでル・マン市長、モビリティランド山下晋社長なども参加した記者会見が行われ、ル・マンと鈴鹿の友好の記として盾が表彰式に送られることも発表されました。

 決勝朝のセレモニーは事前テストで亡くなったSERTのアンソニー・デラールさん(35才のフランス人)の追悼セレモニーが行われました。EWCで15回ものタイトルを獲得しているSERTはレジェンドチーム。名物監督のドミニク・メリアン監督は心労で、この場には姿を見せませんでした。オフォシャルが並び、チームスタッフは喪章をつけ、悲しみの中で、セレモニーが行われました。

 ポールポジションはSRCカワサキ、元GPライダーであるランディ・ドュ・ピュニエがレコードを更新、2番手にYARTが僅差でつけ、3番手にGMT94、SERTが6番手、TSRが7番手、トリックスターは13番手。ナショナルモトスは17番手。大久保はレースウィークに遅いマシンが急激な進路変更をしたことで転倒、ケガはありませんでしたが、1枚しかないツナギが傷ついてしまい、自ら修復、マジックでスポンサー名を書いていました。
「ル・マンだからって速いライダーばっかりじゃないってことがわかりました。コースは混んでいるし、慎重に走らないとダメですね」と学習します。

伝統のル・マン式スタート! ポールポジションはSRCカワサキ、2番手はヤマハ・オーストリア・レーシング・チーム、3番手GMT94ヤマハ、日本チームのTSR(ホンダ)が7番手、トリックスター(カワサキ)は13番手からのスタートとなった

伝統のル・マン式スタート! ポールポジションはSRCカワサキ、2番手はヤマハ・オーストリア・レーシング・チーム、3番手GMT94ヤマハ、日本チームのTSR(ホンダ)が7番手、トリックスター(カワサキ)は13番手からのスタートとなった。

 決勝朝はどんよりとした曇り空、気温も低く、厚手のジャケットが必要なくらい肌寒い気候となりました。予選通過の59台が整列、伝統のル・マン式スタートが切られ、ホールショットはYART、序盤、早くもセーフティカーが入り、リスタート、激しいトップ争いが繰り広げられます。トリックスターは、クリックシステムを投入しますが、そのセットアップが上手く進まず、レースウィークに従来型のマシンに変更、その影響もあり、予選順位が悪かったのですがニゴンは「序盤で5番手まで上げる」と誓っており、その言葉通りにポジションを挽回していました。そのニゴンが遅いマシンを避けきれずに転倒、なんとかピットに戻りスタッフに「すまない、避けられなかった」と何度も謝り顔をゆがませます。そのニゴンに出口が「問題ない大丈夫だ」と声をかけます。ニゴンは、これまでの経験から肋骨が折れていることに気が付きますが「僕のミスでチームに迷惑をかけるわけにはいかない。走らないなんて選択肢はない」と走り続けます。それも転倒前と変わらないタイムで、です。出口が変わってコース復帰しますが、47番手からの追い上げとなりました。

全長4.185kmのブガッティ・サーキットを24時間走る。スタートを切ったのは59台のマシン。どんよりと曇り、真冬を思わせる朝だった

全長4.185kmのブガッティ・サーキットを24時間走る。スタートを切ったのは59台のマシン。どんよりと曇り、真冬を思わせる朝だった。

 YARTは主導権を握りトップを走ります。パークス、フリッツとリードを広げ、野左根も首位でバトンを渡します。初挑戦のル・マンで、トップでライダー交代、緊張感が伝わります。
 野左根も「レースで緊張することはそんなにないけど、この時はさすがに緊張した」と言いますが、堂々の走りでトップをキープしバトンを繋いで行きます。2番手につけていたSRCカワサキも転倒から追い上げる展開。変わって2番手に浮上したのはGMT94、3番手にSERT。SERTもコースオフするなどアクシデントが続き後退。オイルが出て2度目のセーフティカーが入ります。夕暮れから夕闇の時間が訪れ、YARTはトップを走り続けます。

「さすがに緊張した」というヤマハのホープ・野左根航汰が素晴らしい走りを見せた。マイク・ディ・メリオ(GMT94)とのバトルは、観客を大いに沸かせた

「さすがに緊張した」というヤマハのホープ・野左根航汰が素晴らしい走りを見せた。マイク・ディ・メリオ(GMT94)とのバトルは、観客を大いに沸かせた。

 夕闇から漆黒の夜へと時間が流れて行きます。ダウンジャケットが必要なほど気温が落ち込み、寒さが身に沁みますが、バーベキューの煙が上がり、移動遊園地の明かりが灯り、コンサートの音楽が響く中で、エンジン音は止まることなく、戦いは続きます。
 それでも、転倒やトラブルで、慌ただしくなるピットでは懸命の修復作業が続きますが、ピットの灯りが消えガレージのシャッターが下ろされリタイヤするチームが出て来ます。ピットの中ではライダー交代の合間にメカニックが睡魔に負け寝てしまう姿も見えます。ライダーたちは走行を終えると軽い食事をとり水分を補給しマッサージを受けます。
 大久保は、マッサージの人から「ちょっとおかしい」と声をかけられ、心拍数が上昇し、瞳孔が開き気味なことが判明、休息を取ることになります。
「まったく気が付かなかったけど、体力を消耗していたんだと思う」と言いますが、回復し最後まで走り切りました。

ワールドスーパースポーツ(WSS)に参戦している大久保光が、初めてのル・マン24時間を走った。フランスの名門チーム「ナショナルモトス」のステファン・アダジュ監督から「大久保はWSSで人気の若手ライダー、ぜひ一緒に戦いたい」という嬉しい声がかかったのだ。

ワールドスーパースポーツ(WSS)に参戦している大久保光が、初めてのル・マン24時間を走った。フランスの名門チーム「ナショナルモトス」のステファン・アダジュ監督から「大久保はWSSで人気の若手ライダー、ぜひ一緒に戦いたい」という嬉しい声がかかったのだ。

サーキットの外ではコンサートが行われ、移動遊園地に明かりが灯る

サーキットの外ではコンサートが行われ、移動遊園地に明かりが灯る。

チームスタッフ、メカニック達も24時間を戦う。レースが続く中、さすがに睡魔も襲ってくる

チームスタッフ、メカニック達も24時間を戦う。レースが続く中、さすがに睡魔も襲ってくる。

漆黒の闇の中をマシンを駆る

漆黒の闇の中をマシンを駆る。

 東の空が明るくなり、しらじらと夜が明けます。日が昇り始め、そして、レースのハイライトとなるバトルが、精神的にも肉体的にもピークを過ぎた残り4時間で繰り広げられるのです。トップを走る野左根の背後に2番手を走行するGMT94のマイク・ディ・メリオが迫ります。そのディ・メリオは出口を跳ね飛ばします。ディ・メリオは野左根を捕らえますが、野左根も抜き返します。20時間も経過してスリリングなバトルを展開する野左根の度胸にすごいと思いながら、ここで転倒なんてことになったら、それはそれで立ち直れないだろうなと歓喜と心配な気持ちが交差します。
 もう、2位でも立派だしと心が泡立つのですが、野左根は「抜かれたら、抜き返すのは当然、そうやってレースしてきたから」と……。観客の目をくぎ付けにしたバトルですが、ディ・メリオが首位でライダー交代、僅差の2位で野左根もライダー交代します。

東の空が明るくなる。やがて夜が明ける。サーキットにマシンの咆哮が途絶えることはない

東の空が明るくなる。やがて夜が明ける。サーキットにマシンの咆哮が途絶えることはない。

 その後、YARTは首位を追いかけますが、思うようにペースが上がりません。後に判明するのですが、雨仕様のセットになるボタンが押されていて、それに気が付かず、最後のライダー交代で、気がつき、再びペースアップしますが、その差を取り戻すことはできませんでした。

ヤマハ・オーストリア・レーシング・チーム(YART)とGMT94ヤマハの、ヤマハ同士のバトルは最後まで続いた。24時間、860周走って、その差は僅か19秒819だった

ヤマハ・オーストリア・レーシング・チーム(YART)とGMT94ヤマハの、ヤマハ同士のバトルは最後まで続いた。24時間、860周走って、その差は僅か19秒819だった。

 860周という新記録でGMT94が優勝、2位YARTも同一周回でヤマハが1-2で、これは史上初、その差19秒819も新記録。3位に12周差で転倒やトラブルを乗り越えSRCカワサキが入り、その45秒差にSERT、5位にTSR。TSRもトラブルがありながらの上位入賞で力を示しました。ナショナルモトスは転倒やトラブルがあり、大きく後退しますが、追い上げて22位で目標の完走を果たしました。走り切れたのは37台、22台がリタイヤの過酷な戦いでした。

昨年のボルドール24時間では3位に入ったトリックスター(カワサキ)の出口は、ディ・メリオと接触し転倒した

昨年のボルドール24時間第80回ボルドール24時間耐久レースレポート参照・※PC版に移動します)では3位に入ったトリックスター(カワサキ)の出口は、ディ・メリオと接触し転倒した。

 優勝したチェカは「スプリントレースを24時間したようなもの」と語り、ディ・メリオは「野左根とのバトルは100%の力を出した」と接近戦を振り返りました。野左根は「24時間、予選のようなペースで走り攻めなければならなかった」と語りました。野左根は初挑戦で初表彰台に駆け上がる活躍を示したのです。
 でも「これまでで1番悔しい表彰台」だと顏を歪めていました。事前テストからYARTは優勝候補で、事実、レースのほとんどをトップで走り続けていました。自分の走行でトップを奪われたこと、勝てるレースを落としたこと。野左根は悔しさを抱えていました。自分の肩にのしかかったヤマハの看板の重さを自覚した戦いでもあったのだと思います。
「予選(3人の合計タイムの平均で決まる)でも僕がコンマ1速く走っていたらPPだった。決勝でも僕が抜かれなければ、流れは変わっていたかもしれない。後半の走行はきつかったし、体力不足も実感した。すべてを鍛え直したい」 
 野左根は悔しさを抱えることで飛躍して行くのだろうと思います。ヤマハが願った若手育成という目的は、勝った喜びよりも負けた悔しさで果たされたのではないかと思います。これからの野左根の成長が、本当、楽しみでなりません。

ピットで出番を待つ野左根。後のマービン・フリッツがニコニコ顔なのはどうしてだろう……

ピットで出番を待つ野左根。後のマービン・フリッツがニコニコ顔なのはどうしてだろう……。

耐久レースにおいてピット作業はとても重要だ。TSRも本番に備え練習を続けた

耐久レースにおいてピット作業はとても重要だ。TSRも本番に備え練習を続けた。

 トリックスターは10位まで追い上げてディ・メリオに突き飛ばされ、そこから追い上げ12位フィニッシュしました。転倒後、鶴田竜二監督は危険行為だと審議を申し出ます。同時期にGMT94のクリストフ・グィオ監督がトリックスターのピットを謝罪に訪れます。記者会見でディ・メリオも謝罪、結局レーシングアクシデントで処理されますが、これがペナルティとなれば順位が変わる可能性があったので、パドック裏では、物議を醸し出していました。
 鶴田監督は「順位が変わることを望んだのではなく、フェアな戦いをすることを願っての抗議」だと語り、謝罪を受け入れました。トリックスターとGMT94は、お互いにリスペクトしあうチーム同士。最後はGMT94の優勝を讃えました。

一時は10位まで追い上げたトリックスターだったが、出口がディ・メリオに突き飛ばされ転倒。そこから追い上げ12位は立派

一時は10位まで追い上げたトリックスターだったが、出口がディ・メリオに突き飛ばされ転倒。そこから追い上げ12位は立派。

心拍数が上昇し、瞳孔が開き気味となるほど体力を消耗していることも気づかず走り続けた大久保が得たモノは大きかっただろう

心拍数が上昇し、瞳孔が開き気味となるほど体力を消耗していることも気づかず走り続けた大久保が得たモノは大きかっただろう。

 レース後、ニゴンの肋骨は7本折れていたことが判明します。さすがに2度目の転倒があった時、モチベーションが下がるというか、あぁ~というムードがトリックスターを包んだのですが、骨折しているのに踏ん張っているニゴンの努力に応えたいと、トリックスターは再び、くじけそうになる気持ちをかき集めて諦めない戦いに立ち戻ったように思います。12位は悔しい結果だけど、胸をはってほしいと思いました。

 表彰台では鈴鹿からの盾がGMT94に渡され、また4位SERTも表彰台に登り、アンソニーへの追悼を再び示しました。激しい戦いは、EWCの新たな幕開けを象徴していたように思います。トラブルや転倒があっても挽回してトップ争いが出来る、アクシデントに負けずに諦めずに戦うEWCが、ミスの許されない戦いへと変わってしまったように思います。

歓喜のポデューム。優勝の美酒に酔ったのは、GMT94ヤマハだった

歓喜のポデューム。優勝の美酒に酔ったのは、GMT94ヤマハだった。そして亡くなったアンソニー・デラールさんの功績を称えチャレンジスピリッツを賞賛する「Anthony Delhalle EWC Spirit Trophy」を受け取るために、4位のスズキ・エンデュランス・レーシング・チーム(SEAT)も表彰台に上がった。

 それでも、支えているのは大久保が参戦したナショナルモトスのようなプライベートチーム、トップチームはピット作業の5分前くらいからピットが慌ただしくなるので、ライダーがピットに入ってくるのがわかるのですが、ナショナルモトスのスタッフは24時間、ピットに立っていて、24時間参戦の誇りに胸を高鳴らせ、懸命に取り組んでいました。
「想像以上にきつい戦いだった。夜が長くて……。でも朝の光を見たら、またエネルギーが沸いて来た。後、もう少しだって……。きついし辛いけど、こんなに長い時間、バイクに乗れるなんて最高だ」
 初挑戦を終えた大久保は、そう語りました。

 そう、24時間は、やっぱりバイク乗りにとって、いろいろな意味で最高の戦いなのです。それは、きっと、これまでもこれからも変わらない。この戦いは第3戦ドイツ、第4戦スロバキアと8時間耐久をして、最終戦・鈴鹿8時間耐久が7月30日に行われます。ここで、世界一が決まります。今から真夏の決戦を楽しみにしていて下さい。