2019年7月4日

~アジア選手権ロードレースに見た“近未来”日本のロードレース~ いつしか世界選手権の懸け橋に――

~アジア選手権ロードレースに見た“近未来”日本のロードレース~ いつしか世界選手権の懸け橋に――。

●写真・文:中村浩史

全日本の次のステップになりうる海外選手権へ

 6月29日(土)〜30日(日)、鈴鹿サーキットでアジア選手権ロードレース第4戦・日本大会が行なわれた。
 アジア選手権ロードレースとは、その名のとおりアジア各国を転戦するFIM公認の国際選手権で、実は1996年にスタートしている。あれ? そんなに前から始まってるんだっけ、といわれても仕方なく、日本でその名が知られ始めたのはおそらく2011年くらい。長く世界選手権スーパーバイク/スーパースポーツに参戦していた藤原克昭がこの選手権にスイッチ、SS600クラスのチャンピオンを獲得したあたりからで、ちょうどアジア圏内でのオートバイ熱、モータースポーツ熱がぐんぐん上がって来た時期とリンクする。
 FIM公認の国際選手権ということは、当然MFJ公認の全日本選手権ロードレースより格式は上。それでも、もちろんナショナル選手権とはいえ、日本のレベルはすこぶる高いから、そう捉えられないのは当然だろう。

 現在、アジア選手権では4つのカテゴリーのレースが行なわれている。UB150(アンダーボーン150)、AP250(アジアプロダクション250)、SS600(スーパースポーツ600)に、2019年シーズンからスタートしたASB1000(アジアスーパーバイク1000)だ。かつては、日本のTeamKAGAYAMAがオーガナイズしたスズキ製UB150と、後にGSX-R150のワンメイクレースとなるSAC(スズキ・アジアン・チャレンジ)や、ホンダCBR250RのワンメイクレースのCBR250Rドリームカップも行なわれていたが、今は上記の4カテゴリー。150cc/250cc/600cc/1000ccというバランスの取れた選手権だ。

 けれど、残念ながら日本でのアジア選手権への注目は、ちょっとずつ下がっているのが現状。やはり藤原が参戦した2011年からぐんぐん注目され始め、AP250もスタートして数シーズン、2017年とか18年がピークだったように思う。そして今シーズンからASB1000がスタートしたことで、また仕切り直しに入っている、そんな2019年シーズンなのだ。

 今年の日本人レギュラーライダーは、その新設クラスのASB1000に伊藤勇樹が、ヤマハレーシングチームASEANからエントリー。VICTORレーシングチームからは第2戦から津田一磨が代役参戦し、この鈴鹿大会も参戦している。
 SS600クラスにレギュラーライダーはいない。AP250には井吉亜衣稀がマニュアルテックKYTカワサキレーシングから、そしてユナイテッドオイルY-Teqリバティレーシングからは、中原美海が第3戦タイ大会から参戦を開始している。
 UB150には彌榮 郡(みえ・ぐん)がHI-REV SCKホンダRacingTeamから参戦。彌榮は鹿児島出身の12歳で、全日本ライダーの徳留真紀がサポートしている。九州ロードレース選手権やタイ選手権にも参戦し、九州選手権ではNSF250RでJ-GP3クラスに、タイ選手権ではプロダクション150ccで海外レース初優勝を挙げているライダーだ。

日本初開催のASB1000への気合いが空回り……

 ASB1000では伊藤勇樹が、開幕戦レース2と第2戦レース1&2で3位表彰台を獲得。ASBは世界耐久選手権にも参戦している伊藤のチームメイトのブロック・パークスや、世界GP参戦経験もあり、アジア選手権ではSS600クラスチャンピオンになったこともあるアズラン・シャア・カザルザマン(BMW)、そして今シーズンは全日本選手権にも参戦している、これまたアジア選手権SS600クラスチャンピオン経験者、ザクワン・ザイディ(ホンダ)が安定して速く、これがASB3強、という様相。伊藤はそこに挑むチャレンジャーという感じだ。

伊藤勇樹

左足首の負傷を押して2レースとも走り切った伊藤勇樹。ランキングトップはチームメイトのパークス、伊藤はランキング5位だ。

 そして日本大会では、地元開催に燃える伊藤が、なんと金曜に転倒。左足首をひどく負傷してしまう。
「気合が入りすぎたのか、まだセッティングも仕上がっていない状態でプッシュしすぎました。やっぱり、ASB初年度で、日本開催。いいところを見せたいし、チームの想いに応えたかった。早々と2分09秒台が出て、もっとタイムが伸ばせると思っていたんです」と伊藤。
 左足首の負傷は翌日さらにひどくなり、歩くのもままならず、松葉杖が必要なほど。土曜の公式予選では、痛みをこらえて3列目9番手ポジションを獲得した。
「ドライのレースだと、やっぱりケガに負担がかかる。だから、予報どおりに雨のレースになってくれないかな、と思っていました。土曜のレース1は予報が外れてドライのレース。もう、6位が精一杯でした。日曜も、朝起きたときには降っていなくてガッカリ……僕、レースの日に降ってなくてガッカリしたことなんて初めてです……」
 伊藤の願いが通じたのか、日曜のレース2開始前には待望の雨が。これで体力的な負担は減らせる、と思った伊藤は、3列目9番手からの逆転優勝も可能だと思っていた。

3位フィニッシュ

一時は中冨をかわした伊藤だが、この後痛みがぶり返して2位、その後にパークスにもかわされて3位フィニッシュ。表彰台に松葉杖登壇。

中冨

2013年の同じくアジア選手権SS600クラス以来の優勝を飾った中冨。4位のウィライローまでヤマハYZF-R1が上位を独占した。

 しかし決勝レースが始まると、序盤からペースを上げたのが、このレースにワイルドカード参戦している中冨伸一(ヒットマンRC甲子園YAMAHA)。土曜のドライレースでは「セッティングがまるで出せずに」(中冨)9位に終わっていたが、日曜朝のフリー走行で、いい状態まで仕上げられていたのだという。
「雨だったら、中冨さんが来るとは思ってました。レース序盤、3列目から僕もすぐに先頭の真後ろまで上がれたんですが、中冨さんも上がって来た。やっぱりな、っていう感じでした」(伊藤)
 序盤からトップを走るのはザクワン・ザイディ。しかし、雨でペースが上がらないのか、すぐにラタポン・ウィライロー(ヤマハ)がトップへ。その後方から迫ったのが、中冨と伊藤だった。
「日曜の朝のマシンの状態の良さでレインのぺースも良かった。アジア選手権のレギュラーのみんなは、久々のレインタイヤに苦労していていたみたいで、僕はそのぶん思い切っていきました。(伊藤)ユウキがついてきたのはさすがでしたね。あれー、ケガしてたんじゃないのー、って」(中冨)
 その伊藤は、出走前の痛み止め注射が効いていたレース序盤こそ追い上げられたものの、ちょうど中冨をパスしてトップに立ったあたりから痛みが激しくなり、ペースダウン。結局、中冨に再び先行され、後方から来たチームメイトのパークスにもかわされてしまった。
「精一杯やれました。ケガしたのは自分の責任だし、もったいない、悔しいレースでした。それでも全力で走るところを見せられたのだけは収穫です。残りは中国、マレーシア、タイで3戦6レース。初年度のチャンピオン目指して精いっぱい海外で戦ってきます」(伊藤)
 ワイルドカードの中冨に優勝こそさらわれてしまったが、松葉杖なしでは歩けないような状態で2レースを走り切った伊藤。本人は決して言わないが、あの痛がりようでは、ただの打撲で済んでいるわけがない。それでも伊藤の目は、シリーズ後半戦を見据えていたのだ。

井吉

アジア選手権AP250のカワサキトップチームから参戦の井吉亜衣稀。カワサキのアジア戦略=レースで勝つ→販売台数増の一翼を担っている。

 念願の日本開催で、思うような結果を残せなかったライダーがもうひとり。AP250クラスの井吉亜衣稀だ。

カワサキの育成プログラムで見出された無名のニューフェイス

 井吉は、ほぼ無名といっていい。九州選手権では2016年から250/国内600/国際600クラスと3年連続チャンピオンを獲得しているが、それはエリア選手権のこと。井吉は2019年からは全日本選手権のST600に参戦しようという計画で動いていたが、大きく変更を余儀なくされた。それも、いい方向へ、だ。
「実は井吉……いやアイキっていつも呼んでますが、あいつは僕の小さいころからのミニバイク仲間の息子で、小学生のころから知ってるコだったんです」とは、2011年にアジア選手権SS600クラスのチャンピオンとなった藤原克昭だ。
 藤原は今年、カワサキのアジアエリアのモータースポーツを統括する責任者という要職に就いている。勤務地はタイカワサキ。藤原のアジア進出と同時に、日吉もアジア選手権に昇格したのだ。
「アイキは、小学生の頃から僕の日本でのレースなんかに来てくれていて、カワサキのスタッフもみんな、九州でレースやってるアイキ君、って知ってくれていたんです。それで、アイキもポケバイの頃から、僕のゼッケン『37』をつけてレースしてくれていて、ま、これはアイツのオヤジの入れ知恵でしょうけど(笑)、それでずっと勝ち上がって九州選手権も獲ってきた。そこで、カワサキの育成プログラムに乗せたらどうだ、ってカワサキモータースポーツの担当者も言ってくれて、オーディションを勝ち抜いたんです」
 優秀な若手ライダーとはいえ、友人の息子さんということで、藤原が井吉を推薦することはしなかったが、それだけに回りが「なんでアイキをほっとくんだ」と引き上げてくれた形だったという。
「小さいころから、お父さんの友だちが藤原さんで、その頃は友だちみたいに『カッ君』って呼んでたんですが(笑)、その憧れの人と一緒にレースができるなんて、と思ってました。全日本のST600に参戦するという道もあったんですが、今はカワサキにお世話になる形で、アジアの250普及の一環もあって、AP250に出ることになりました」と井吉。

 その井吉が、海外デビューレースの開幕戦から光った。開幕戦マレーシア大会、フリー走行を終えての公式予選にマシントラブルで出走できずに、レース1を最後尾9列目25番グリッドスタートとなった井吉が、レース1でなんと19台抜きを見せて6位に入賞すると、レース2では21台抜きで4位入賞の離れ業! 一躍、注目のライダーとなったのである。
 さらに第2戦のレース1では、チームメイトのアンディ・ムハマド・ファドリに続いて2位に入ると、レース2では初優勝! なんとランキングトップに立ってしまうのだ。
「次のタイ大会ではレース1で転んでしまって、再スタートしてもノーポイントでした。レース2では6位には入れたんですが、それだけにこの日本大会には燃えてたんです」

ファドリ

スタートから井吉のチームメイト#108ファドリが飛び出し、そのまま独走優勝! 最後尾スタートの井吉は、この後に追突されて転倒。

井吉

まだ19歳のあどけない表情の井吉。かつてカッ君と呼んでいたお父さんの友だちに英才教育を叩き込まれている。次世代の日本代表。

 そして迎えたのが、この日本大会だったのだ。井吉にしてみれば、凱旋レース。これまで鈴鹿は、NSF100のグランドチャンピオン大会で2度、そして2017年の鈴鹿4耐で3位入賞して以来、4度目の走行。
 金曜のフリー走行から順調に走行していた井吉だったが、なんと公式予選で転倒! しかもまだタイム計測ができていないまま転倒してしまい、予選ノータイム! 規定により、開幕戦に続いて最後尾からスタートすることになってしまった。
「雨上がりのコースで、コースの濡れている個所を走ってしまって、アッという間に転んでしまいました。なにも頑張っていないのに、本当にチームのみんなに申し訳ない……。こういうの、いちばんやっちゃいけないことなのに」
 最後尾スタートのレース1では、またもアクシデントが井吉を襲う。最後尾の10列目30番手スタートから、1周目から猛烈にポジションアップ、1周目で10台以上をかわしてのオープニングラップで、なんと後方から追突されて転倒、リタイヤしてしまった。
「もう……なんて言っていいか。順調にポジションが上げられて、いいフィ-リングで走っていたんですが、リアにドンと衝撃があってそのまま転んでしまいました。それもこれも、予選で僕が転んで、あんな位置からスタートしたからです。ちょっと流れが悪いです。藤原さんには、予選でのミスはこっぴどく叱られましたが、レース1の当てられ転倒は気にしないで、切り替えて行け、と。そういう気持ちの作り方も、本当に勉強になります」

 明けて日曜のレース2はウェットレース。不安なコンディションで、見ているこちらとしてはドライで精いっぱい走らせてあげたい所だったが、井吉はこのレースで実に落ち着いた走りを見せる。序盤から転倒車の続出するレースで、井吉はすいすいとポジションを上げ、8周のレースでトップが見える位置まで追い上げてしまうのだ。
 8台が転倒で戦列を去ったレースで、井吉は6位まで追い上げてフィニッシュ。そこに、最後尾スタートや、雨のレースでの不安はこれっぽっちもなかったのだという。
「最後尾スタートや雨のこと、気になりませんでしたね。10列目なんて、走ればポールポジションから数秒で到達するので焦らなくていい、って言い聞かせていたし、雨もそんなに苦手じゃなかった。本当はもっと周回数があったら表彰台まで届いたのに」
 5位のライダーまで2秒、表彰台まで5秒──予選での不利さえなければひょっとして……と期待させるに充分な走りだった。マニュアルテックカワサキの井吉アイキ、覚えておきたい名前だ。

奥田

3列目8番手から、わずか3周でトップを走るブーンラットの背後まで追いついたのは奥田。残念ながらかわすまでには至らず。あと2周もあれば……。

 SS600クラスでは、レギュラー参戦の日本人ライダーのいない中、レース1では南本宗一郎(アケノスピードヤマハ)が優勝し、ここまで3戦6レース全勝中のピラポン・ブーンラットを打ち負かしてみせた。レース2では、その全勝男が意地を見せて優勝したが、今度は2位に奥田教介(チームMFカワサキ)、3位にはまたも南本が入って、日本勢のレベルの高さを見せつけてくれた。

全日本→アジア選手権を経由してWSBへ

 数少ない日本人レギュラーライダーと、ワイルドカード勢の活躍が見えたアジア選手権。日本で活躍しても世界への道は狭く、ガラパゴス化も激しいと言われる日本のロードレースに、ひとつ新しい階段があることを見せてくれたレースだった。2020年から始まる、ストッククラスの1000ccによるST1000は、まさにASB1000と近似レギュレーションで、その先にはヨーロッパのSTK1000、そしてワールドスーパーバイク(WSB)への道筋も見えるのだ。
 まずは伊藤勇樹や井吉アイキが、どういうルートで、どこまで駆け上がるか──に注目したい。そんな新しい宝石を見つけたようなアジア選手権だった。(レポート:中村浩史)

レース2

開始直後に豪雨となり、仕切り直しで5周の超スプリントレースとなったSS600のレース2。#26が全勝男ブーンラット。#22がレース1を勝った南本。

アジアSS600

日本に来るまで無敗だったアジアSS600最強のブーンラット(中央)をギリギリまで追い詰めた日本人ライダーふたり。左が2位の奥田、右が3位の南本。