2019年6月24日
『越えるべき壁。』 野左根航汰
■取材・文:佐藤洋美 ■写真:赤松 孝
野左根航汰(23歳・ヤマハ)がもがいている。今シーズンのJSB1000で開幕から6戦すべて3位という結果だけを見れば、そんなにもがき苦しむことはないような気がする。だが、野左根にとって「今年はファクトリー3年目、結果を求められるシーズンだ」と臨んだシーズンなのだ。ベテラン2人の背中を見てフィニッシュする23歳は、彼の前に立ちはだかる壁を越えなければならない。
全日本ロードレース選手権は、宮城県・スポーツランドSUGOでシリーズ第3戦が開催された(5月25日〜26日)。最高峰クラスであるJSB1000のトップライダーたちは、この戦いが終われば鈴鹿8時間耐久に向けての準備に追われることになる。
開幕戦ツインリンクもてぎ、第2戦鈴鹿2&4、そして今回のSUGOラウンドとJSB1000クラスは2レース制で行われ、開幕戦は、ヤマハファクトリーの中須賀克行がホンダワークスの高橋巧との一騎打ちを制し2勝。ところが第2戦では、高橋が2レースとも独走、そして第3戦SUGOでダブルウィンと、4連勝した高橋の台頭が、全日本の戦いを大きく変えている。開幕から6戦、すべて3位となっているのがヤマハファクトリー3年目となる野左根航汰(23歳)だ。
野左根は、絶大なる人気を誇ったロードレース世界選手権(WGP)ライダーである故・阿部典史(ノリック)が2006年に結成したチームノリックジュニアの一期生。10歳でチームノリック入りし、秘蔵っ子としてノリックの父・光雄氏に大切に育てられた。WGPスポット参戦を経験するなど鍛えられ、2013年全日本J-GP2クラスでチームノリック初のチャンピオンに輝いた。2014年には海外参戦の準備も進んでいたが、バイクと出会わせてくれ支えてくれた父(当時42歳)の急逝もあり、野左根は国内にとどまることになり、JSB1000への挑戦を開始。2015年にはヤマハの育成チームであるYAMALUBE RACING TEAMに抜擢される急成長を見せた。
2016年には初の鈴鹿8時間耐久に、ヤマハの世界耐久選手権(EWC)チームの「YART Yamaha Official EWC Team(YART)」から参戦。初挑戦となるピレリタイヤでの奮闘が評価され、2017年には同チームからEWCに参戦した。
ヤマハ陣営は「いきなりMotoGPでは、育つものも育たない、海外サーキットを経験するのには、最高の場だ」と野左根の成長を願ったのだ。この年、野左根は全日本ロードとのダブルエントリーという多忙なシーズンを過ごす。
初参戦のル・マン24時間耐久ではトップ争いのバトルを見せ2位表彰台へと駆け上がり、ドイツ8時間でも2位、スロバキア8時間では4位。最終戦となった鈴鹿8耐にも参戦。チームメイトのブロック・パークス、マービン・フリッツと共に戦い、野左根はチェッカーライダーを務め5位でチェッカーを受け、年間総合ランキング3位へとチームを導くのだった。EWC総合ランキングの表彰台では脱水症状が出て倒れるまでの力走だった。
この年のMotoGP、日本ラウンド(ツインリンクもてぎ)にも代役参戦。不安定な路面コンディションでのライディングながらヤマハ勢上位タイムを記録、バレンティーノ・ロッシから「速いね」と褒められた。また、報道陣に囲まれる中で「父やノリックさんの後押しがあって、MotoGP参戦の夢が叶ったのかな」と語った。この年、全日本JSB1000でも2勝を挙げ、日本のトップライダーとして認知されるまでになった。
野左根は、「世界で活躍するライダーになってほしい」という多くの人の願いを背負い戦っている。その願いを叶えるためには絶対王者の中須賀を越えなければならない。中須賀の速さは世界レベルであり、JSB1000で8度も王者に輝いているスペシャリストでもある。
彼を越えるのは、難しく、とてもハードルが高い。そんなことは、当人が一番知っている。だから、野左根は2018年、EWC参戦を断り「中須賀さんを抜くためには全日本の戦いに集中しなければならない」と全日本に専念したのだ。
だが、進化する中須賀の速さに食らいつくのが精いっぱいで、前を走ることが出来なかった。そして、鈴鹿8耐では自分のシートがなかった。ヤマハファクトリーは、ワールドスーパーバイクのアレックス・ローズとマイケル・ファン・デル・マーク、中須賀の布陣。トップ10トライアル前の走行で中須賀が転倒しダメージを受けた。野左根の心は、ざわついた。ケガの状況次第では、控えの野左根に出番が回って来るかも知れない。
「出たいという気持ちは、もちろん、ありましたが、最終的にアレックスとマイケルのふたりで決勝を戦うとなった時に、少しホッとする自分がいたんです」
中須賀を欠いても、ふたりは力走を見せヤマハ鈴鹿8耐4連覇の偉業を成し遂げた。でも、この出来事が野左根の心に深く刻まれることになる。声がかからないことに安堵した自分が許せなく、「あってはならないことだけど、もし、同じ状況があったら、走りたい、走らせてほしいと言える自分になりたい」と誓うのだった。
また、「よそ者のように雑用をするためにサーキットにいることが辛かった」ことも心に染みることになる。耐久はチームプレーなので、その立場にいない者は、大きな疎外感を感じる。一員でいられない辛さを野左根は思い知ることになったのだ。
「最近、レース前に緊張するようになった。俺って、レース好きじゃなくなったのかなって思う」
2019年シーズンが始まったとき、野左根がつぶやいた。
走ることが楽しく、レースが出来る幸せを感じていた野左根が「今年はファクトリー3年目、結果を求められるシーズンだと思う」と語り、重圧を感じることで、プロ意識が強く芽生えたのかも知れない。
今季、中須賀の強さは、更に進化。ホンダワークス復活2年目となり高橋の速さも際立っている。だが、野左根の速さも進歩、自己ベストを更新しレコードを記録する走りを示している。
第3戦SUGO、打倒ホンダを目論み、ヤマハ陣営は、マシンセッティングを変えた。このセットに苦戦する中須賀、そのセットがマッチングした野左根の戦いが繰り広げられたのだ。レース1、逃げる高橋を追い、2番手争いを野左根と中須賀が繰り広げる。最終的には中須賀に先行を許すものの、野左根の気迫ある走りが印象に残ることになる。レース2も、高橋がオープニングラップから一気にペースを上げ、野左根、中須賀が追う展開。野左根は、中須賀に交わされた後もシケインの進入で仕掛け止まれきれずに、その差が開いて3位となってしまうが、果敢に中須賀に挑み仕掛け、これまでのレース内容とは一味違う3位だった。
SUGO戦の前、ヤマハファクトリーはテック21カラーでの鈴鹿8耐参戦を発表。5連覇を目指すラインナップは昨年同様で、そこに野左根の名はなかった。
「自分もここにいるんだって知ってほしかった。どうしてもSUGOでは、違う自分を見せたかった。勝つことが出来たら、8耐参戦のチャンスがつかめるかも知れない。自分の出来る最大限のことをしようと思った」
野左根はそう語った。
いつも謙虚で、控えめな印象の野左根が、自分の殻を破ろうともがき「8耐に出たかった」と本音を漏らしたのだ。関係者やファンも、何故、野左根が8耐を走ることが出来ないのかと疑問に思っている。多くのメディアが、野左根の参戦は? とヤマハの首脳陣に迫ったが、ヤマハファクトリーのチームは1チームしかないのだ。そこに選ばれるライダーにならない限り、野左根の8耐参戦はない。
「越えなければならない先輩・中須賀さんがいて、同じ環境、マシンと言い訳出来ないところにいる。バイクのせいにできない最高の環境にいる。ライダーの技量、自分のスキルを上げるしかない」
野左根の挑戦は、過酷なものだが、頂点に立つライダーはひとりだけ。まず、同じマシンを駆るライダーに勝つこと、それはレース界の鉄則、そこから本当の戦いが始まるのだ。越えなければならないライダーが、最強の中須賀であることを、野左根は「最高の環境だ」と言った。尻込みせず、戦いを挑み続ける姿に胸を熱くするファンが大勢いる。
野左根が焦がれる鈴鹿8耐の戦いは、もうすでに始まっている。あってはならないことだが、ヤマハファクトリーチームのライダーに何かあった時、今年の野左根なら「僕に任せて下さい」と立ち上がるのだろうと思う。
追記:2017年のボルドール24時間耐久で、野左根はマシントラブルで転倒。だがすぐにマシンに駆け寄り、マシンを起こし、ピットへと運び、そこで倒れ、ドクターヘリで病院に運ばれたことがあった。転倒から、病院で気が付くまでの記憶がなく、ピットに戻ったのはライダーの本能のようなもので、病院で気がついた時も点滴を引き抜いて、サーキットに戻ろうとしたという。24時間だから、レースは続いていると思ったからだ(看護士に止められ、ドクターストップで、走行は叶わなかった、チームはトラブルでリタイヤとなった)。
この出来事で、皆から愛される若手ライダー、将来を約束されたエリートライダーというだけでなく、生粋のライダーとしての真摯な姿勢という魅力が加わったように思い、心配だったこともあるが、印象深く、覚えている。
(レポート:佐藤洋美)
●2019 JSB1000 Race Calendar
第4戦 6/22(土)~6/23(日) 茨城・筑波 ※JSB1000の開催はありません。
第5戦 8/17(土)~8/18(日) 栃木・もてぎ
第6戦 8/31(土)~9/1 (日) 岡山・岡山国際
第7戦 10/5(土)~10/6(日) 大分・オートポリス
第8戦 11/2(土)~11/3(日) 三重・鈴鹿