2019年6月19日
青春の2Q(2ストローク・Quarter)カタログ その3 カワサキ空冷編-1
1878年に創立(当時は川崎築地造船所)とカワサキ(川崎重工業)の歴史は明治時代に遡るが、現在の会社名が表すように船舶、航空機、鉄道車両などの重工業製品がメインであり、小型の民生品であるバイク(エンジン単体)の生産を始めたのは敗戦後の1949年から。自社製品としてではなく、現在は消滅してしまった二輪メーカーにエンジンの供給をしていた。1953年に初めてカワサキマークを付けた川崎号(空冷2ストローク単気筒58ccのスクーター)を岐阜製作所で200台生産した。翌年グループ会社の川崎明発工業(明石発動機の略。現在のカワサキモータースジャパンの前身)が完成車の製造販売を開始するにあたり、現在の明石工場においてメイハツブランドのバイク生産を本格的に開始した。明発は1960年にバイクの製造権をカワサキ(当時は川崎航空機工業)に譲渡して、販売専門会社となったことでいよいよカワサキブランドのバイクが登場する。
最初の製品は、1960年の東京モーターショーで発表された125cc単気筒のカワサキ125ニューエース(B7)と、モペッドタイプのカワサキペット(M5)であった。4ストロークの大型車はメグロとの提携により生産したが、2ストロークの小型モデルは自社で開発。1962年に誕生したB8(125cc単気筒ピストンバルブ)は、優れた耐久性と扱いやすいエンジン特性で人気となった。とはいえ秘めたポテンシャルは高く、このB8がベースとなり、カワサキにレース初優勝をもたらしたモトクロッサーB8Mや、ツーリングモデルB8Tなどのバリエーションが生まれた。
1964年にはボアを5mm拡大したカワサキ2ストローク初の軽二輪車となる150 B8S(148cc)が誕生、さらにボアを62mmに拡大して排気量を169ccにアップし、ラバーのないタンクを装着したストリートモデルのF1(1965年)、輸出仕様のトレールモデルF1TR(1965年)など製作された。らにボアを62mmに拡大して排気量を169ccにアップしたラバーのないタンクを装着したストリートモデルのF1(1965年)、輸出仕様のトレールモデルF1TR(1965年)など製作された。
Kawasaki 125 B8
1964年7月
Kawasaki 150 B8S
カワサキ2ストロークモデルの基礎を築いた125cc単気筒エンジンのB8(写真上)。そのエンジンのボアを5mm拡大して148cc化し、ダブルシートを装着したツーリングモデルが軽二輪のB8S(写真下)。車体はB8と共通だが、最高速度はB8の100km/hに対し110km/hで、セルも標準装備していた。
1965年の東京モーターショーで発表されたのは、ロータリーディスクバルブを採用した新エンジンのB1T(125cc単気筒)。Tの名が示すようにツーリングモデルでダブルシートを装着していた。翌年には分離給油方式のスーパールーブを追加したB1L、B1TLが追加された。
このB1の車体に排気量を169ccにアップしたエンジンを搭載したモデルがB11。B1と同じようにB11L(国内仕様は175スタンダード)、B11TL(国内仕様は175ツーリング)がラインアップされた。125クラスの車体に17馬力エンジンを搭載したB11は、一見実用車然としたデザインながら16から18インチホイールにアップしたB11TLは、最高速度130km/hという快速モデルであった。
海外向けにはツーリングモデルのF2TL(1966年)、ブロックタイヤのトレールモデルF2TRL(1965年)などのバリエーションが主に北米に輸出された。1968年にはアップマフラー、セルを装備したスクランブラータイプのF3(輸出車 北米仕様にはbushwhackerの名称が付けられた。やぶを切り開くという意味だが、南北戦争時代の南部ゲリラ兵という意味もあるようだ。当時のカワサキ輸出車は、今から思えば結構刺激的な名称が付けられていた)。スクランブラーはこの後、本格的なトレールモデルへと発展的解消を遂げていく。
Kawasaki 175 B11TL
ロータリーディスクバルブ+スーパールーブの新エンジンをB1の車体に搭載したのがB11シリーズ。スタンダードタイプがB11Lで、TLはダブルシート、前後18インチホイールにサイズアップ、フロントフォークにゴムブーツ、リアショックはスプリング剥き出し、チェーンケースなしなどのスポーツ仕様。国内では175ツーリングとして発売された。
Kawasaki 175 F2TRL
B11Lの輸出仕様がF2シリーズ。写真はアップマフラー、ブロックタイヤ、アップフェンダー、丈夫なリアキャリアなどを装着したトレールモデルのF2TRL。ロード版のF2やダブルシートのツーリング仕様のF2TLなども存在した。
さらにこの年、新たにロータリーディスクバルブの2気筒247ccエンジンも開発された。新エンジンを搭載した250 A1は北米に向けSAMURAIのペットネームで輸出され、快速車として人気を得た。アップマフラーのスクランブラータイプのA1SSや、チューンナップされた市販レーサーA1R、さらなるパワーアップを求める声に応え、338cc版のA7といったバリエーションモデルも次々に誕生した。1969年、タイヤや外装を変更したA1スペシャルへとモデルチェンジをおこない、1970年代初頭まで販売され、カワサキ2スト250スポーツの礎を築いた。
国産二輪車の高速高性能化が進み輸出も本格化したこの時代、日本製の工業製品は「安かろう悪かろう」から「安いし、そこそこ速いし、壊れない」というように、メイド・イン・ジャパンイメージが変わりつつあった。
Kawasaki 250 A1
1965年の日本GPに向けて製作されたワークスレーサーのノウハウを投入し、新たに設計されたロータリーディスクバルブの2気筒エンジンは量産車としては世界初。ミッションはカワサキ初の5速を採用するなどカワサキ渾身の一作。最高速度は165km/h。SAMURAIのネームが付けられた輸出仕様が、カワサキの名を世界に知らしめた。
Kawasaki 250 A1SS
250 A1をベースに、左2本出しのアップマフラー、ブリッジ付のハンドル、エンジンガード、後部が跳ね上がったバックレスト付きのシートなどを装着したスクランブラー。車名のSSはストリートスクランブラーを示す。輸出名はSAMURAI SS。
Kawasaki A1R
A1をベースにエンジンをチューンナップし、最高出力を44馬力まで引き上げた市販ロードレーサー。フロントブレーキの大径化や40kg近い軽量化も行われ、最高速度は200km/hオーバー。基本的に輸出専用だった。
Kawasaki 250 A1スペシャル
Kawasaki 250 A1SS スペシャル
タンクラバーを廃止したニュータンク、タックロール付きシートなどでモデルチェンジし、スペシャルの名が付いた。A1の特徴の一つであった一体式のメーターは、一般的なセパレートタイプに変更。A1SSも同様に変更を受けた。最高速度は165km/h。
Kawasaki 250 A1スペシャル
外装を一新。国内はこれが最終型となった。車体色はパールキャンディレッド。A1SSも同様の変更を受けた。主要諸元は変更なし。
Kawasaki 250 A1S
国内モデルは1970年が最終型となったが、海外向けは翌1971年にグラフィックを変更の受けて輸出された。
[青春の2Q その2 SUZUKI空冷編-1|その3 Kawasaki空冷編-1 |その4 YAMAHA空冷編-2]