2018年12月19日
その33「人生はこれから?」
東本昌平さんの「雨はこれから」が好きだ。
ストーリーもさる事ながら、主人公の松ちゃんの独り言がもう見事に僕のココロに刺さってくる。
松ちゃんはまるで僕の気持ちの代弁者だ。
(もちろん僕は松ちゃんみたいにカッコよくないので、僕が言っても様にならないけれど)
例えば、
10代の頃、『自分のやりたい事を見つけなさい』と言われたものだが、未だに何をやりたいのかわからないでいる。
その都度、目の前の事をかたづけるのに追われて気が付けばもう30年以上も働いている。
だからと言って本当に自分のやりたい事とは別の話だ。
自分がやってみたい事は
やってみないとわからない
そのうちどっかに出るだろう
いやいやどんつきということもある……
そのときはそのときだ
私は懸命に生きてきた
やっと生きていると言っていい
いや誰だってそうだ
ごめんなさい。いっぱい引用してしまった。
まだまだもっと引用したいのだが、一冊丸ごと書き写してしまいそうなのでこれ位にしておかなければ。
ふん、こうしてみると我ながらいい歳こいてまだジタバタしたがっているのが良く分かる。
そして未だに本当にやりたい事もみつかってはいないと改めて実感する。
オレって一体何者になりたかったのかなあ。
20代前半の頃、「いつかはパリダカ」とか「まずはバハ1000に挑戦!」とか言ってオフロードにハマっていたけれど、その当時ですらこれでは生活できないと思っていたし、結局いつしかオフ車からも離れてしまった。
バイクが好きである事はずっと続いているけれど、今やほんのささやかな趣味であって生活全体を支えてる訳ではない。
この雑文のタイトルの通り、ふつーのお父さんのバイク生活はとてもささやかで、バイクは生活全般の隅っこに追いやられているのがふつーでもある。
しかしながら最近気が付いたことがある。
実は現在主力機のK1100RSくんが長~い修理に入っていて、もう1台のSR500くんはもう2年近く車検を取っておらず、もう1か月以上も乗れるバイクが無い状況にあるのだが、こうなってみて、ふつーにバイクのある生活が、いかに僕に活力とヨロコビを与えてくれていたのかがとてもよく分かるようになったのである。
何も考えずにただただ闇雲(やみくも)に走り続ける事の何とシアワセな事よ。
友人とツーリングやキャンプに出かけたりすることの楽しさよ。
オイルやブレーキパッドの交換など、消耗品の交換程度のメンテでも、まるで自分が整備士になったかのような達成感よ。
草エンデューロレースに参加するワクワク感よ。
そんなバイクにまつわる楽しさをつらつらと考えていると、もっともっとバイクに関わるいろいろな事をやってみたくなる。
いっそ今からバイク屋開こうか?
いやいや今から整備資格取るのは大変だぞ。
ライダーズカフェでもオープンしようか?いやいや家族4人が食っていける飲食業は大変だぞ。
MotoGPの取材記者になろうか?
いやいやこの世界で第一人者に成り上がるのは大変だぞ。
そう、何事もみんな大変なのである。
必要なのは未来へのビジョンなのだが、現在を変えようなどと大きな事を考えるとこれまでの前提が全て引っくり返ってしまう。
ずいぶんと前に、とあるヒトに「あなたはバイクにさえ乗り続けていられればそれでシアワセな人生なんだよね」と言われたことがあって、「なるほどそうかもしれない」とヘンに納得した事があった。
誰と徒党を組むことも無く、一人で見知らぬ場所を大した当てもなくただ走り続ける。
流行のインスタ映えも関係なく、ただただ自己満足のみの一人走行。
一日好きなだけ走って、行く先々で土地の物でも食べられ、良い温泉にでも入れれば、それはもう最良の一日を授かったと思えてしまう。
他に一体何を望むのか?
達成感も履歴も報酬も得られることなど無い完全に自己満足だけの世界だけれど、僕にとっては他に代えがたい本当に楽しい行為だ。
そうか、ひょっとしたら既に僕はもう、望むべき環境を手に入れているのかも知れないな。
例え最新の戦闘力のあるバイクには手が届かなくても、更に欲しいオフ車やV-max等の増車はなかなかに困難だとしても。
背伸びをせず、自分の置かれた環境をもう一度見廻してみて立ち位置を確認する。
隣の芝生と比較するよりも自分の庭に花を咲かそう。
タカヤスチハル
「もう30年以上バイクに乗ってます」と威張れるくらいず~っと乗り続けているのにちっともうまくならないへたれライダー。ふつーのお父さんは逆境にも負けず、ささやかなバイク生活を営んでいます、が……
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