2018年8月3日
市販製品特別走行に登場した60台を一挙紹介! ホンダコレクションホール20周年記念イベント開催その1
2018年7月16日(月曜日・海の日)に、栃木県にあるツインリンクもてぎの南コースで「ホンダコレクションホール開館20周年記念 市販製品特別走行」が開催された。もてぎの敷地内にあるホンダコレクションホールには、数多くのレーシングマシンや2輪&4輪の市販車、さらには汎用機器などがコレクションされている。今回は、その開館20周年を記念して、ホンダ創業期から2010年代までの70年間の歩みを代表する所蔵車両60台を、実際に動いている姿で一般に公開した。
好天の下、ツインリンクもてぎの南コースに用意された特設コースで、丸一日かけてデモンストレーション走行が行われた。1台当たりわずか3分ほどの走行となるが、実際にエンジンがかかり、どんなニオイで、そしてどんな音を発して走るのか、それを実際に見ることができる貴重な機会だ。基本的には、年代順に走行セッションが進められた(2輪と4輪を交互に走行させるので、4輪の製造に乗り出すのは創業から16年後となるので、多少時代がズレながらの進行となった)。そこで、ここでは、その年代順に走行したすべての車両を紹介していこうと思う。その第一弾は、ホンダの名が初めて冠せられたホンダA型から1950年代の2輪車、そして60年代に発売された4輪車だ。
■文:青山義明
■撮影:富樫秀明・青山義明
■取材協力:ホンダコレクションホール https://www.honda.co.jp/collection-hall/
旧日本陸軍払い下げの発電機用エンジンを改造した自転車用補助エンジンを製造していた本田宗一郎は、在庫していた500台ほどのエンジンが底をついたため、自身でエンジンの設計をして、製造を始めることとなったのがこのホンダA型。初めてホンダの名を付けた製品である。ホンダA型自体は、エンジン部分のみで、自転車は他社製である。1馬力を発生するA型は、50cc空冷2サイクル単気筒エンジンで、ゴムベルトを通じて自転車の後輪に伝えられた、まさに原動機付自転車そのもの。その排気音から「バタバタ」と呼ばれていたという。
自転車用補助エンジン成功の後、開発に乗り出したのが本格的なオートバイ。2ストロークエンジンを搭載したドリームD型(1949年)に続いて世に出したのが、ホンダ初の4ストローク146ccエンジンを搭載したこのドリームE型。当時は難関と言われていた「ノンストップ箱根越え」に完成後のテスト走行で挑戦。当時は休み休み上がっていくところを、全開で見事に箱根を駆け上がることに成功した。ホンダの知名度を上げ、飛躍のきっかけとなった1台である。
ホンダA型の後継モデル(ほかのモデルへ順番につけられたアルファベットにより、後継型でありながらF型、つまり6番目の製品という名前が付けられた)。駆動ロスを嫌って、このモデルではチェーンとスプロケットを使用。また、白いタンクに赤いエンジンというモダンなデザインが受けて、ヒット商品となった。そして、A型まではコモにくるんで納品されていたが、このF型では当時としては珍しい段ボール箱で工場から全国の取り扱い店に発送されるようになったことも画期的だった。
昨年世界累計生産台数1億台を達成し、今年生誕60周年を迎えたスーパーカブ。その初代モデルがこのスーパーカブC100。使う人の利便性を考えに考え抜いた逸品で、クラッチ操作を不要とし、右手だけで運転操作が出来る自動遠心クラッチの採用、スカートをはいた状態でも楽に乗り降りができるステップスルーのデザイン等、今も変わることなく引き継がれている。性能面でも4.5psを発揮するエンジンは、最高時速70kmをマークした。
当時アマチュア・レーサーにとって最大の大会だった全日本クラブマンレースで好成績を残すためにレース用ベース車として開発・受注生産されたベンリィCB92スーパースポーツ。発売3か月後に開催となった第3回浅間火山レースで併催されたアマチュア・レーサーのための「クラブマンレース」の125ccクラスで、このCB92を駆る北野元選手が優勝。この優勝によって、ワークスチームが参戦する浅間火山レースへの招待出場権を獲得した北野選手はCB92でこのレースでも勝利し、市場で絶大な人気を博すこととなった。
それまでの実用一辺倒のモデルから、高性能スポーツバイクへと人気の高まりもあって、そんな市場のニーズに応えて販売されたスポーツカブ。スーパーカブC100に搭載していたエンジンを、新開発のプレス鋼板フレームに搭載し、キャブレターの大型化やバルブタイミングの変更などによって出力は4.5→5.0psへとアップ、 さらに自動遠心式クラッチではなく湿式単板クラッチを介したマニュアル3速ミッション(後に4速化)を搭載し、快適にスポーツ走行を楽しめるようにした。
1961年に「実績の無い企業には自動車の製造は認めない」という特振法案(特定産業振興臨時措置法案)が通産省から出され、法案成立までに生産実績をつくるため急ピッチで4輪車の開発が進められ、世に出たのがこのT360。ホンダにとって最初の四輪車である。小型スポーツカーSシリーズと同時進行で開発されていたため、Sシリーズと基本設計が同じ4連キャブレター付き水冷直列4気筒DOHCエンジンを搭載。最高出力30ps/8000rpm、最高速度100km/h以上を実現しており、“スポーツトラック”というニックネームがつけられたという。
1962年の全日本自動車ショーで、軽トラックの「T360」と「スポーツ360」「スポーツ500」を発表し、翌年に発売したのがこのS500。高性能なDOHC水冷4気筒エンジンを搭載し、最高出力44馬力を発揮。駆動輪への伝達はチェーンドライブを採用し、トランク容量を確保。ラーメン1杯50円で、大卒初任給は1万5700円という時代だったが、その販売価格は45万9000円であった。また、当時の通産省は、国産自動車の赤い塗装は緊急車両しか認めてなかったところを交渉し、この「スカーレット」という赤色のボディカラーは、乗用車として日本で初めて採用されたものである。
S600と同じ水冷直列4気筒DOHCエンジンを791ccに拡大し、最高出力70psまで引き上げたモデル。最高時速160km、100マイルカーのキャッチフレーズで販売された。S500、S600と続けて開発をしてきたスポーツシリーズの集大成モデルで、Hマークをモチーフにしたフロントグリルに、大型のエアリーナーを避けるためボンネット上に設けられたふくらみ、そして対米輸出を視野に入れた大型テールランプが外観上の特徴。一般公道以外にもモータースポーツ入門車として国内レースで大活躍している。
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