2018年7月12日
MBHCC D2 バ☆ソ幻立喰・ソ
第95回「モセの虎と龍」
東京都北区と言えば、清野とおる先生のご活躍でディープタウン赤羽が脚光を浴びております。ということで北区は呑み助パラダイスの下町というイメージが強く、立喰・ソとも相性が良さそうですが、大手チェーン以外の昔ながらの立喰・ソとなると意外や少数派なのです。私の知る限りではありますが、現在も頑張っているのは、チェーン店のようだけど他では見かけない赤羽駅前の百万石。鉄道の町の顔、尾久駅前の尾久そば。いつも「かしまや」か「かやしま」かわからなくなって、のれんを見て「かしやま」と再認識するという、お店にとっては無礼千万状態であり、心の中で「いつもすんません」と深く頭を垂れながら、熱々のそばをいただく田端のかしやま。そして実は店名すらよくわかっていない王子の駅そばに、謎のチェーン店笠置そば北赤羽店改め、元長 北赤羽店くらいでしょうか。一昔前はもうちょっとあったのですが、それでも多くはありません。
少数精鋭を地で行く、個性的ですてきな立喰・ソばかりです。中でも東京都区内駅そば七不思議のふたつ(あとの五つは例によって未設定)が王子駅にある駅そば。一つ目はJR東日本管内なのにNRE化していない奇跡的な現象。もうひとつが、食べ○グでは「立食いそば処 王子店」、Re○tyでは「立ち食いそば処 きそば」、諸先輩方のブログでも「王子そば店」「そば処」「立食いそば処」と店名が見事にバラバラなことです。
店頭の表記を店名とするのが一般的です(だから「味自慢問題」が発生したりします。第90回参照)。下の写真をご覧いただければ、店名バラバラ事件も納得です。
店頭表記以外で店名を確認するには、店内に掲げられている営業許可証の確認も定番です。2011年7月の確認時には「JRFホテルズ」とありました。しかしさすがにこれを店名とするのは違和感があるので、店頭表記を店名とするのが一般的なのです。
JRFということはJR貨物系列かと調べてみたら、なんとJR貨物系列の不動産部門みたいでした。当時のWEBサイトは閉鎖されているため、現在は解りません。しかし、この情報化時代に諸先輩方もあまり深く追求していないというのは、実はとんでもないアンタッチャブル領域なのかもしれません。深く追求して「知りすぎてしまったな」と、カンパニー(CIA)のエージェントに、茹でてない茹でそばと煮てない煮汁と割っていない割り箸をあらゆる口につっこまれ、お仕置きされても困ります。当コラムのあってないルール、現役店はイニシャル表記を全く無視し、CIAにおびえるという火遊びはこれくらいにして本題に入ります。
話を北区に戻して東十条駅。東十条といえば、鉄には「下十条なのにモセ?」でおなじみの下十条電車区がかつて隣接していました、特に観光地でもないし、ねこもいないし、ホッピー通りもない。一見さんがふらふらやってくるような町ではありません。
そんな東十条駅北口の海側(大宮に向かって右側)に「そば清」、山側(同左側)には「そば谷」という、潔く凜とした店名の、そして店名以上にオーラーびんびんのとてもすばらしい立喰・ソがありました。過去形ということは、そうです、残念ながらすでに両店とも幻立喰・ソになってしまいました。
前記のように東十条は観光地ではありません。駅前のそば清も、やや離れたそば谷も、ほぼ常連さんという地元密着店。そば谷は店構え、大将とも、いかにも(江戸っ子+ガンコ+職人=怖い)という雰囲気でしたから、一見さんには敷居20m級。ですが、気むずかしそうで本当に気むずかしいのか、気むずかしいふりなのか、それともカッコいいと思っているのかよくわからないけど、いつも不機嫌な某ラーメン屋さんとは異なります。「写真いいですか」と恐る恐る訪ねると、はにかんだような笑顔で「いいよ〜」と許可してくださいました。常連さんとのんびり世間話をしていました。一度くらい話の輪に入りたかったのですが、そこまでの度胸はなく、聞くとはなしに聞こえてくる世間話に「はんはん、なるほど」と心の中で相づちを打ちながら、パンチのある真っ黒なおつゆの正統派関東風そばをすすり、身も心も癒やされるのでした。
いかにも何度も通ったように書いていますが、実は3回ほどしか訪問していません。4回目の訪問ではすでにシャッターが降り、その後二度と上がることはありませんでした。先ほどストリートビューで確認したら、跡地にはテナント募集中の看板が出ていました。中はどうなっているのか、借りるフリして見に行きたい衝動をぐっと抑え、サマージャンボ1等前後賞が当たったら丸ごと買って確認しようと、何かに誓うのでした。
そんなそば谷が山側の虎ならば、海側の龍がそば清でした。あっ、虎とか龍とかまったく意味はありません。ただの勢いですからお気になさらぬよう。
改めて確認したら、そば谷の閉店は2014年2月28日。もうずいぶん昔のように思いますが、まだ5年も経っていないんですね。虎を失い、孤軍奮闘していた龍、そば清はつい先日の2018年6月9日、半世紀の歴史に幕を下ろしました。まさかそば清までなくなるとは思いませんでした。そば清の牛丼ロスで筆が進みません(言い訳)。なので、若い頃愛車Z400FXでそば清に通ったAB君の訪問記でシメさせていただきます。
『閉店4日前の、そば清へ行ってきました。
お昼とあってか満員で、少し待って入店、カレーを頼んでから、「あっ、ここは牛丼だったんだ」と後悔。ま、しかし、これも最後の一興だとドロドロしたカレーを口に運びながら、はて自身がここに来たのはいつ頃からだったかと考えたのです。学生時代、赤羽の先輩に教えてもらったことを思い出しました。1983年か84年ということになります。
当時の東十条には、マルホンの一発台が多数揃って有名なキング、つぶれそうな50円を売り物にするゲームの店が数店舗あり、その赤羽の先輩の家へ単車でやってきては腹が減ったらそば清の並びに単車を停めて、よく牛丼を食べたのです。いまほど、チェーン店の牛丼が普及しておらず、牛丼にも個人店の「らしさ」を見いだせた時代で、そば清の牛丼は環七ぞい角にあった牛八と並んでとても魅力的だった記憶があります。もしかしたら、時代、時期を間違えている可能性もあるのですが、環七から細い道を入ってきていつもの路地に単車を停めて、パチる、ゲームをする、腹が減ったらスタンドでなにか喰う。まさに、地方から出てきたうだつの上がらない遊びをする大学生そのもの、だったのですね、私は…………。
とまあ、太い麺をすすり、カレーライスをかきこみながら、三十数年前の日々を思い出した次第です。
それにしても、飯田橋に暮らしていた頃の、飯田橋そば、陣太鼓、それらはとっくになくなって、いま思えば、自身の「学生時代」の立ち食いそばの店なぞ、あとどれぐらい残っているか? オリンピックが終わったらみんな終わっていたら嫌だなと思いながら帰ってきました。
王子の乗り換えで、思わず、きそば、もちらつきましたが出来心を制止。今日の朝練は、信越のキザミダブルだったので、やはり自制心は大切かと』
●幻立喰NEWS2018
松屋にソ!
牛丼チェーンの龍虎と言えば、吉野家と松屋です。どっちが好きか、大いに好みの分かれるところです。ちなみに私は牛丼太郎派でしたが……牛丼チェーンと立喰・ソといえば、青い吉野家ですが、今や絶滅危惧種です。龍がダメなら虎がある、ということではないのですが、なんと松屋がそば、うどんを扱いを始めました。今のところ外環道とつながり、2018年4月24日新装開店した京葉道路の京葉市川PA店です。3階建ての2階部分にある結構な広い松屋で、タッチ式の券売機で食券を購入し、番号が呼ばれたら取りに行くスタイル。そば、うどんは今のところ京葉市川PA店限定のようです。今後広がるのでしょうか? ちなみに京葉市川PAは、第24回でお伝えさせていただきました旧鬼高PAの生まれ変わりです(上りは幻PAになってしまいましたが、復活するとの噂も?)。24時間営業でうれしいのですが、値段はやや高め。味はそれぞれお好みがあるでしょうから、どうぞ、ご自身の舌でご確認を。ちなみに湾岸線にも市川PAがありますからお間違えなきよう(たしかこちらには立喰・ソあります)。
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