「溜めに溜めこんだエネルギーを、ついに炸裂する姿の一瞬。直線に飛び出していく憤怒のパワー。この1点のみ集中して想い描いたら、こういうカタチになったというべきでしょうか」
そんな一条 厚さんの言葉を受けて、梅本武志さんが応える。
「存在の大きさから、踏襲は確かにプレッシャーでした。でもVMAXはVMAXであるべきだと考えました。悩み、何度も描き直したりしましたが、結局は、アイデンティティーの一貫性、不変のオリジナリティー要素、そこを探る旅だった気がします」
24年の歳月を経て、ついぞ二代目の襲名なったVMAX。
ヤマハのまさにデザイナーブランドともいうべき超特別仕様を担うのが、このふたりだ。
初代を一条さん、二代目を梅本さんと今欧州駐在の清水さん。異彩な工業デザイナーたちがキラ星のごとくまたたくGKダイナミックスの先輩後輩である。
「初代の頃(1984 年)は、欧米は勢いがありましたから、ちょうど時代の気運にマッチして、弾け飛んでいけた。いま、残念ながらこんな時代になっていますが(笑)、だからこそ、ボクらとしては元気が必要と思う。バイクは、逆風に立ち向かううえで感動こそが不可欠なものですから」
立川市に育った一条さんの傍らには、米軍機、米兵たちの乗るアメリカ車等のアメリカ文化があった。
自身を根っからの航空少年だったと言う氏は、初代の造形に、これらを投影した。最新鋭ジェット機のエアインテーク形状などが、VMAXに活かされたという。
そしてアメリカでの初お披露目は、退役し博物館となっている空母を貸し切って行われた。
「初代が目指した市場はアメリカでした。新型はアメリカだけを向いてはいませんが、空母のカタパルトから発進される加速力とGの研究は、当初からVMAXのイメージとリンクさせていたのです」
飛び立つ戦闘機とV4大型エンジンのパワー。その発進光景は心にくいほど合致した。強烈なインパクトを発した。
「今、金融危機とか言われていますが、めげてなんていられない。VMAXと生きることで元気を出す。精神的な投資というか、静止状態から瞬発力を得て躍動する様へ。ライダーとしての生き方、いま求められるのが歯ごたえのあるバイクだと思います」
二代目がむいているのは、世界中のVMAXが開拓したパワーフリーク達。人種、国境、文化を超えて一直線にフル加速とふたりは語気を強める。
イメージの構築に多彩なスポーツや芸術品を脳裏に刷り込んだ。たとえば東大寺の仁王像の力の凝縮。
では、24年の経過のなかで、若干のディティールのみ変更できた巨人には、なにが必要だったのか。探る旅のなかで発見されたこととは?
「アイデンティティーを損なうことなく、現代のエッセンスを盛り込む。200馬力、スタイリング、パッケージ。それらが滲み出てくる力感。私が留意したのは、吸気から排気までの、風の流れを更に強調することだった気がします」
二代目の開発は、じつはかなり前から、始まっていたという。かなり長いスパンだが、VMAXという存在を新しくするうえでの、熟考の証左ではないか。
「普通のモデルなら、3台、いや4台ぐらい創れたかもしれませんね。こんな長い開発期間は、ボクも記憶にないぐらいです」
と笑う一条さんだが、梅本さんは、それはまた必要であった助走距離と指摘する。
結果として、吸気と排気の風の流れ。ここを中心とした内燃機関部がよりクローズアップされると共に、全身から「凝縮された力感」を表現した二代目。梅本さんは、そこに「らしさ」の手応えを得ているという。
「インテークから4本マフラーまでを貫くオリジナリティーエッセンスには独特なアンバランス感があります。しかし、このアンバランスなバランスの動感こそが、VMAXでないでしょうか」
均質感、統一感の打破。とんがった部分こそが、VMAXのもっとも支持される要素であると、一条さんも我が意を得たりの表情。
「日本のプロダクトというのは、サービス精神が旺盛すぎるのでしょうね。あれもこれも市場のいろんなお好みを取り混ぜていくうちに、趣味性を薄めていってしまう。なにかにひたむきに特化させたほうが奥の深いバイクになる。初代の開発から、こんな心の軸にブレがなかった。ブレているとゼロヨンが遅くなりますから(笑)」
梅本さんも、この専門特化性に対して、市場へのリサーチから距離を置いた、想定を意識しないほうが造形の自由自在が利くと言う。空想や夢想の絵図を誘発しやすいということか。
「どんな人が乗るのか? ずばりVMAXに乗る人です(笑)。初代と今回では、確かに取り巻く環境は大きく変わってきていると思います。でも、乗り手の趣向や意識においては、変わらない。新しい時代に響きあえる環境対策もある。VMAXのデザインには、バイクの持つ力と美の普遍性を首尾一貫して思ってきましたね」
おふたりは、ともにオーナーとしてもVMAXと暮らしてきたが、梅本さんには、その加速の強烈無比ぶりを痛感した忘れ得ぬエピソードがある。
入社まもない頃、社員旅行の幹事をおおせつかった。
皆なから集めた旅費大枚をウエストバッグに入れて走行中、ふと気がついたらなかった。真っ白になった。しかし、バッグのなかに旅館のパンフなどが入っていて、運よく連絡が来た。
「本当に、良い方に拾っていただき、九死に一生を得ました。あの時、戻らなかったらとても二代目をデザインできませんでした(笑)。とにかく、やはりVMAXの加速はスゴイな、と。止め具が緩むほどの加速Gを受けとめると同時に、このバイクは贅肉を落とすために財布ひとつ入れるスペースすらない。これがVMAXの普遍性の一つです(笑)」
VMAXを駆る読者も多くいらっしゃるが、マッチョマン、バトルスーツという色めがねでない見方、既存の常識に囚われない心の窓も芽生えつつある。変わるもの、変わらないもの、変わらなきゃと想うもの。微妙なスタンスのなかへ、世界最強最速級のV4が、新しく放たれた。
「強いもの、速いものへの人間の普遍の憧れの具現化が我々がVMAXにこめたものです。それは世界に対する日本人のバイク創りへの美意識、そしてオリジンへのプライドです。そんなメッセージを発信できたのでないでしょうか」
(一条氏)「時にはアクセルを一気に開けてみて、元気だしていきましょう(笑)」
(梅本氏)すぐ近所の目白通りからは、いろんなエグゾーストノートが聴こえてきていた。