ロードレース世界選手権250ccクラス最後の年となった2009年、加藤大治郎以来となる日本人世界チャンピオンを獲得した青山博一(ひろし)。あれからすでに2年の時が経過したが、あらゆる苦境を跳ね徐けた彼の奮闘はつい最近のことかのごとく、多くの人の脳裏に焼きついているはずだ。
一時は戦いの場を失う寸前まで追い込まれながら、世界一の座に昇りつめるまでの彼の活躍を追ったのが「最後の王者 MotoGPライダー・青山博一の軌跡」である。ノンフィクションとして綴られるこの作品を読むと、改めて青山博一が直面した苦難、そして達成した偉業の大きさを実感する。
「最後の王者」は“ノンフィクション作家の登竜門”とされている小学館ノンフィクション大賞の第17回で優秀賞を受賞した。著者は当WEBのコラム「MotoGPはいらんかね」で、世界GPの模様を我々にわかりやすく、楽しく、興味深くレポートしてくれることでお馴染みの西村章さん。今年も世界GP全戦を追う多忙の西村さんに、カタールとスペインのレースの合間にお話を伺うことができた。
ライダーにも事情を話したらすぐ時間を融通してくれました。
口先だけじゃなくて、ちゃんと思ってくれてるんだなと実感しました。
―「MotoGPはいらんかね?」では最高峰クラス・ライダー全員のコメントをありがとうございました。
「チームスタッフや関係者に、日本での大震災についてライダー全員のハナシを集めたいんだけどと言ったら、みんな即、動いてくれたし、ライダーにも事情を話したらOKってすぐ時間を融通してくれたんで、そういう意味では凄く有難かったで すね。みんな、そういうところは口先だけじゃなくて、ちゃんと思ってくれてるんだなというのは実感しました。
日本ではロードレースがマイナーな競技だというのはあるかもしれないけど、バレンティーノ(・ロッシ)であったりダニ(・ペドロサ)であったり、ケーシー(・ストーナー)であったり、せっかくコメントをくれているのに、レースに興味のない人まではどうしても届かないのは残念だなぁと思いますね。自分にもっと力があれば、例えば新聞ですとかメディアに彼らのコメントを出すことが出来たのでしょうけど……」
MotoGPを戦う17人のライダー全員の勇気づけられるコメントは当WEBではもちろん、各方面で反響を呼んだ。しかし、例えばF1ドライバー全員にコメントをもらうことと比較すると、日本ではレースの知名度から話題性で及ばないのは否めないだろう。同じ位に価値のあることをしながら、西村さんが歯がゆい思いをしているのがヒシヒシと伝わってきた。
そんな西村さんは国際情報誌「Bart」などの雑誌編集者を経て、1995年にフリーライターに転身。週刊プレイボーイや日本版WIREDなどに携わる。高校生の頃から乗り続けていたというバイクはあくまで趣味。バイク専門誌出身の人ではない。しかし元々レースが好きだったこともあり、Bartや週プレではモータースポーツのページに関わり、日本GPや鈴鹿8耐、全日本選手権を取材。本人は「わからないなりに素人のレース見学をし、感想文を書くような仕事をしていました(笑)。で、今に至る感じです」と語る。バイク雑誌上がりじゃないから、レースの現場で仕事をしていると、未だに“外様”意識がある、とも。
結局彼らがどういう目に遭ったとか、どういう選択をしていったかというのは
元を辿れば同じような背景、事情というのがあるのです。
―『最後の王者』について。青山選手のチャンピオンをきっかけに、1冊にまとめてみたいという思いはあったのですか?
「それは特にないです。でも最初のきっかけとなったのはシーズン残り3戦くらいの時、青山選手がチャンピオンを獲れるかどうかわからないけど、ドキュメントのようなものをやりたいというお話をいただいたことでした。その原稿を書きました。でも自分ではやり足りない感がありました」
「彼がチャンピオン獲った後、周囲を見てみると、『チャンピオン獲ったオメデトウ、でも(日本で)二輪の世界はマイナーだからあんまり相手にしてくれないよね』と、10年前15年前と同じことしか言っていない。じゃあ青山選手がチャンピオンを獲った背景には何があったのか? ということまで捉えないと、彼がチャンピオンを獲ったことの本当の意味とか価値とか時代性とかわからないだろうと思い、そこに照準を当てているものというのが、僕が少ない見聞きした中では見当たらなかった」
「せっかく自分がそういう現場に居合わせたのなら、カタチになるものにしたいなぁと思って、書いていったらソコソコの文量になってしまった、というのが『最後の王者』のそもそもの背景ですかね」
- かつてはたくさんの日本人ジャーナリストがWGPとともに世界を回っていたのだが、バイクブームも終わり、景気も冷え込んでいる現在では全戦をフルに回っている日本人ジャーナリストはわずか2人ほどだとか。昨シーズンの場合、ヨーロッパを中心に、アメリカ、オーストラリア、アジア、そして日本と13ヶ国で開催される全18戦全戦を自腹で巡るだけでも並大抵の苦労ではないのだが、実は西村さんは関節リウマチという持病がある。リウマチという名前からは想像できないが、骨や関節が徐々に蝕まれやがて寝たきりになってしまう原因不明の恐ろしい難病で、完治する方法も見つかっていない。キーボードを打ったり、ハンドルを握ったり、歩くだけでも激痛が走るが、そんな様子など全く見せず現地でしかできない生の取材活動をし、独自の視線の記事を発信し続けている。「あと何年くらい回れるのか……いつも今年が最後かとも思っています」
―青山選手のみならず、高橋裕紀、小山知良ら選手のことについても触れています
「結局彼らがどういう目に遭ったとか、どういう選択をしていったかというのは、元を辿れば同じような背景、事情というのがある。結局皆、世界同時不況に振り回された。その色々な現象として出てきたのが青山選手の弟である青山周平選手であったり、高橋選手の場合であったり、小山選手の場合でした。だから青山選手だけを取り上げるのでなく、彼らは偶然にも子どもの頃から友達で、一緒に切磋琢磨しながらやってきて、世界を走るようになったのもほぼ同じ時期で、それが同じように世界同時不況という時代に翻弄された物語として通じるものがあり、チャンピオンを獲った青山選手を軸に、彼らについてもまとめておかなければいけないと思いました」
- 2010年シーズンからMoto2クラスに参戦する高橋裕紀。2010年のカタルニアGPで優勝を飾った。
- 現在はオートレースに転身し研修中の青山周平。上下関係の厳しい新天地で新たなるチャンプロードを模索している。●撮影/楠堂亜希
- 昨年までWGP125に出場していたコヤマックスこと小山知良。今シーズンはスペイン選手権を走る。
「もうひとつ、彼ら4人に共通するのが、有名ではなかったけど2006年にレース中に亡くなった加藤直樹という全日本を戦っていた選手。彼らはずっと加藤選手のステッカーを貼って世界を走っていたんですが、僕も個人的に加藤選手のことをカタチに残したいなぁというのがあった。というのが、全体をまとめていった中での大雑把な背景です」
[ 次のページへ]