若桜鉄道の隼駅を舞台に、全国のブサ使いが集まり開催される「隼駅まつり」。
今年で3回目となるが未曾有の東日本大震災と、土日高速道路上限1000円終了の影響が重なってか、昨年に比べ参加人数は減少傾向。
それでも北は函館、南は鹿児島、東はテキサス? から300台を越えるハヤブサが集合した。
ちなみにまつりが開催された8月7日、ここ鳥取は37度と、この日の日本一の猛暑を記録した。まつりの熱気が影響したのかどうかは気象庁もご存じない!?
隼駅まつりなのに、会場は駅ではない。その訳は?
今年で3回目を迎える「隼駅まつり」(その前にミスター・バイクが主催した初回もあるが、隼駅を守る会が主催する公式な隼駅まつりは3回目)。被災地から遠く離れた鳥取県八頭町であったが、未曾有の大災害でもあり隼駅まつりの中止も考慮された。しかし、立ち止まることよりも何か出来ることをという思いと「ぜひライダーの集まる機会を作って欲しい」「復興支援の一助になれば」というブサ使いたちの声にも後押しされ開催が決まった。
今回の隼駅まつりは前2回と開催場所が変わった。第1回はその名のとおり隼駅で、第2回は駅からほど近い隼小学校がメイン会場であったが、今年の会場は隼駅から約2.8km離れた竹林公園に移されたのである。
この公園は気配りの人、竹下総理大臣の目玉政策ふるさと創生事業(ムダ使いの典型のように言われているが、道の駅の原形が作られたり、このように現在も有効に使われている例も少なくない)で作られた公園。ふるさと創生というと、金ぴかの竹林イメージを持つ人も少なくないだろうが、ごくごく普通の竹林で竹を割ってもかぐや姫は出てこない(と思う)。
「竹林公園じゃ、隼駅まつりじゃないんじゃね〜?」
正論ごもっとも。たしかに隼駅まつりではなく竹林まつりだが、本来の竹林まつり(今年は中止。そのかわりにスズキ車オーナー有志主催、隼駅を守る会が後援で震災後の4月29日に「隼駅より被災地へ」という復興イベントを開催し、義援金や支援物資を被災地に送った)は毎年4月に開催されている。このお祭りもブサ使いが集まる「春の隼駅まつり」的なお祭りであり、竹林公園とブサ使いの関係はまんざらでもない。
会場を変更した最大の理由は昨年の教訓から。予想を大きく越えた600台以上のバイクと参加者で充分と思われていた隼小学校の校庭はほぼパンク状態となった。にぎわいや活気はあったが、炎天下の照り返しが強い校庭はほぼバイクで埋め尽くされ、ライダー同士や地元の方々とがまったり交流どころか,休憩する日陰も充分あるとは言い難かった。数少ない屋台や自販機の飲み物は売り切れ続出で、トイレ不足も深刻な問題だった。
新会場の竹林公園はその名の通り、竹林からの涼風すら感じる芝生の広々とした会場に大きめのテントを2つ設置。その外周を囲むように地元商工会の軽トラ朝市が余裕のスペースで配置された。
バイク用はもちろん、今までは対応出来なかった四輪車用の駐車スペースやトイレの数も充分確保された。
昨年よりも快適にまつりを楽しんでもらおうと、名より実をとる英断の結果なのだ。もちろん「こんなの隼駅まつりじゃない!」という声は聞こえなかった。
隼駅に新名所が誕生
新会場から隼駅に視点を移す。例年ならば記念撮影の順番待ちと、まつりの参加者が交錯し、わさわさとしているまつりの主役、隼駅前も今日は数十人が記念撮影をしているのみ。
まつりののぼりは出ているものの、あまりに閑散とした駅前にとまどうライダーも見受けられたが、新会場を案内されて安心の納得顔(ヘルメットで見えないがたぶんそのはず)で竹林公園へと向かった。
今日は閑散としているが、昨晩は前夜祭という訳ではないが、新たに設置されライダーハウスとして使用する12系客車「ムーンライトはやぶさ」(設置の模様はMBニュース情報「眼」で)のお披露目祝賀会が行なわれた。地元の人を中心に鳥取県知事も駆けつけ、さらに数十人のブサ使いも参加し大いに盛り上がったそうだ。
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