スーパーカブといえば、まず思い浮かべるのが働くカブ。扱いやすくタフで好燃費という、絵に描いたような働き者であることは、万国の万人が認めるところ。
その労働車をより便利により使いやすくするカスタマイジングもまた、万国万人が当たり前に行なっていた。銀行員は鉄の箱をリアキャリアに固定し、そば屋さん、ラーメン屋さんはおなじみの出前機を付け、畳屋さんはパイプ製のサイドカーを、竿竹屋さんはリアカーをけん引し、牛乳屋さんはハンドルにバッグを取り付けるためレッグシールドの上部をカットしていたし、新聞屋さんは前カゴに入れた新聞によるヘッドライトの反射を防ぐため前カゴ前部にヘッドライトを増設した(これがプレスカブの起源)。郵便屋さんに至っては特化したスペシャルマシンのMDシリーズを共同開発するに至った。
こうした機能面のカスタマイジングとは異なり、スタイルや遊びを重視したドレスアップとなると、スーパーカブの場合はほとんどノータッチ。仕事第一、遊びは二の次という昭和モーレツ時代のなごりはあったかもしれないが、ある種タブー視されている面も否めなかった。もっとも、今ほどカスタマイジングが当たり前ではなかったし、わざわざスーパーカブに手を出さなくとも素材は他に山ほどあったと言い換えてもいいかもしれない。
もちろんスーパーカブを素材に「改造」道を邁進する人も存在したのだが、少なくとも1980年代までスーパーカブのドレスアップや改造は、受け狙い、キワモノ扱いされていたというのが正解だろう。
一大バイクブームが翳りを見せ始めた1990年代初頭になると、脱スペック至上主義、なんでもありのボーダーレス時代へと突入。スーパーカブのカスタマイジングも新たなジャンルとして、ホワイトハウスなど老舗ビルダーによって手掛けられるようになり、労働車から脱皮したオシャレ路線のスーパーカブが出現し始めた。
そして1993年4月20日、ホンダの子会社であるホンダアクセスからスーパーカブ用の後付け「純正パーツ」が登場する。
フロントマスコット、フロントエンブレム、オリジナルシート、レッグシールド、カブラサイドカバー、ミニキャリア、カブラマークなどのハードと、専用デザインのカブラヘルメットの全12アイテムが発売された。
当時「純正パーツ」といえば、前カゴや大きな荷台、ハンドルカバーなど機能性が最重視されデザインやカラーは二の次というような実用性は高くとも面白味のないものというイメージが強かった。しかもカスタマイジングとは最も離れたポジションのスーパーカブ用ということで、「ここまでやるか!」という驚きを伴っての登場であった。
この「ワークス」のカスタマイズパーツ(当時ホンダアクセスでは「新カテゴリー用品」と呼んでいた)は「カブラ」と命名された。
さすがはメーカー純正パーツだけのことはあり、無理矢理な感じも、後付け感もないシャープな出来映えと、野菜の「かぶ(かぶらとも言う)」から命名されたシャレ気もありながら、どことなくフランス語の香りもあるネーミングもベストマッチし、スーパーカブとはほぼ無縁だった都会の若者層や女性層を惹き付けると共に、スーパーカブカスタマイジング新時代の推進役ともなった。スーパーカブに新しい一面を加え、時代を動かしたパーツとも言えようか。
当初12アイテムだったカブラキットは、翌年に17アイテム、そして1990年代後半から2000年代初頭にかけ、カブラスポーツ用(1993年の東京モーターショーに出品されたカブラ・Sとほぼ同様のスタイルになるパーツ9アイテム。モンツアレッド、プラズマイエロー、ニムパスグレーメタリックが4アイテム、プラネットグリーン、アドベンチャーブルーメタリック、ブラックがフルキットの9アイテムで限定発売された)のレッグカバーやシングルシートカウル、通称ハンターカブラ用のアップマフラーなどを加えて、さらにリトルカブ用のリトルカブラキットも発売され全盛を迎えたが、スーパーカブカスタマイジングが定番化によってサードパーティ製パーツも豊富になり、次第に役割を終えていった。
現在では絶版になったパーツがほとんどだが、2011年現在、カブラブランド2アイテム、リトルカブラブランドで3アイテムが発売されていることはあまり知られていない。