- 柳原三佳
(2011.9.1更新)
ミスター・バイク1987年8月号<男のジャーナル>掲載
■オイルに汚れた大きな手は私の黄色いハンカチ■
1987年、柳原三佳(当時25歳)のときのエッセイです~~
彼は、とある町の小さなバイク屋のお兄さんだった。いつも奥の方でしゃがみこんで、黙々とバイクの修理をしていた。
背が高くって、がっちりしていて、バイクに乗るのは上手だけど、ちょっと無愛想で、着ているものは、真っ黒に汚れた作業着のつなぎ。そばによると、いつもオイルの臭いがした。
「ねえ、お兄さん、どうして軍手をはめないんですか?」
まだ、彼の名前すら知らない頃、そんな質問をしたことがある。
爪だけじゃない、指紋の奥までオイルが染み込んでいるのではないかと思うほど真っ黒に汚れた大きな手。その手に、数えきれない切り傷があるのを見つけて気の毒な気がしたのだ。
軍手をすれば、暖かいし、こんなに汚れることはないのに・・・・。
でも、彼は作業を続けながら、こう答えた。
「軍手なんかしてたら、いい仕事、でけへんからね」
私がそのバイク屋に出入りするようになったのは、本当に偶然のことだった。
1月の中旬、凍てつくような寒さの中で、当時の愛車CB250RSZ-Rが、突然止まってしまったのだ。
家まであと数百メートルというところだったが、上り坂がきついため断念し、一番近いバイク屋さんにSOSの電話をした。その時、バイクを取りにきてくれたのが、彼だったのだ。
いつしか、私の手帳の中に“お兄さんとおしゃべり”とか、“お兄さんに缶コーヒーをごちそうになる”なんていう他愛のないメモ書きが目立つようになってきた。お兄さんの名前が、“ヤナギハラさん”であるということを知ったのは、3月も終わりに近づいた頃だった。
そして5月。私たちは、京都へ映画を見に行く約束をした。二人きりで出かけるのは、この日が最初。つまり、初めてのデートだ。
女の子なら誰しもそうするようにその前日はそわそわして、私も鏡台の前で、あれでもないこれでもないと、悩み続けていた。
“明日はどんな服を着ていこう? 靴は何をはこうかしら?普段はGパンばっかりだから、スカートも似合うんだってこと見せたいな……”
でも、おしゃれしようと思えば思うほど、得体の知れない不安が、胸の中をよぎるのだった。
“明日、もしお兄さんがあの真っ黒い手のまま駅のホームに現れたらどうしよう、オイルの染みがいっぱいついたGパンをはいてきたら……。いや、別にそれは構わないけど、でもその瞬間に、一緒に電車に乗ることが嫌になってしまったらどうしよう……”
約束の時間より10分早く駅に行くと、彼はもう次の電車の特急券を買って、私の来るのを待っていた。
グレーとイエローのストライプが入ったサマーセーターに、洗い立てのブルージーンズ。背の高い彼は、とてもかっこよく私の目に写った。
そして……、大きな手にはオイル汚れのひとつもついていなかった。
その日の夕方、鴨川べりを散歩しているとき、彼は手のひらを裏返したり表に向けたりしながら、朗らかに、そしてちょっと照れくさそうにこう言った。
「今朝は早起きして、必死で手を洗ってん。嫌われたらあかんと思って。石鹸ではなかなか落ちへんから、たわし使ってごしごしやって、なんとかきれいになるまで1時間くらいかかったかなあ。ほら、もう指紋も消えてしもたわ」
その笑顔は、まるで子供のようだった。
「たわしなんて、痛かったでしょ……」
私は笑ってそう答えながら、胸がいっぱいになった。
そして昨日の夜心の片隅に小さな不安を抱いていた自分が、少し恥ずかしくなった。
そう、そんなことはどうでもいいことなんだ。これからもずっと、軍手なんか使わずに、素手で男らしい仕事をどんどん続けてほしい・・・。
心からそう思っていたのである。
あの冬の日、RSZがあの場所で故障しなければ、私は彼と出会うこともなく、いまだに独身だっただろう。いや、全く違う人と、どこかで別の結婚生活を送っていたかも知れない。
彼と結婚して、今年の10月で早や4年目を迎える。
東京へ出て来て、バイク誌の編集に携わる今も、夜中までエンジンをバラし、記事を書いている彼。狭い部屋の中には、とうとうバイクを一台丸ごと持ち込んでしまった。
手には、相変わらずオイルが黒々と染み込んでいる。
そして私は、今日も玄関先で、「爪の中、真っ黒じゃないの~、ちゃんとたわしで洗って行って頂戴!」と声を張り上げているのである。
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