Hondaコレクションホール収蔵車両走行確認テスト「闘うDNA8」

新世代、MotoGPの常勝マシン 2002


RC211V


RC211V

RC211V

RC211V

 2サイクル500ccから4サイクル990ccへ、2000年に決定した新レギュレーションによりMotoGPの主役が大きく変わった。当時参戦していたホンダ、ヤマハはもちろん、後に参戦するスズキ、カワサキ、ドゥカティなど各メーカーは各社各様のスタイルでニューマシンを開発した。
 そんな暗中模索のMotoGP元年、ヤマハは実績のあるYZR500を延長するスタイルで開発下のに対し、ホンダはRC45の理論を参考にながら、新規に開発を行なった。

 LPLを務めた吉村平次郎氏はRC211Vの開発にあたり「レーシングマシンとはかくあるべきか、ネジ一本に至るまですべてを疑って洗い直す」という妥協を許さない姿勢でのぞみ、その厳しさから「鬼平」とまで呼ばれたが「どうして5気筒にしたのかって? それは勝利をご祈祷するからさ」という冗談もぽんぽん出る、硬軟併せ持ついかにもホンダの技術屋であった。そんな氏が追及したのは、車体に及ぼす影響を出来る限り少なくできる球体に近いエンジン。その結果誕生したのが、類を見ない前3、後2気筒75.5度のVバンクを持つコンパクトな5気筒990ccエンジンであった。リアには、スイングアーム側にショックユニットを持ったユニットプロリンク式のサスペンションが採用され、後に市販スポーツモデルにフィードバックされた。プロトタイプは2001年の鈴鹿8耐で、スペンサー、ドゥーハンのライディングでお披露目された。

 デビュー戦は2002年の第1戦鈴鹿。バレンティーノ・ロッシがポールポジションを獲得し見事優勝、しかも鈴鹿のレコードを更新するといおまけまで付けた。第2戦南アフリカでは、日本人ライダーとして宇川がMotoGP初優勝を挙げ、続く第3戦から第9戦まではロッシの独擅場で7連勝。ライバルヤマハが苦戦する中、安定した高い戦闘力を見せた。後半戦からはサテライトチームにもNSR500に替わりRC211Vが投入され、第10戦からは加藤大治郎が、第13線からはアレックス・バロスもRC211Vライダーに加わった。

 
 その第10戦はマシントラブルにとりロッシがリタイアし、マックス・ビアッジのYZF-M1が初優勝を飾ったが、第11、12戦では再びロッシがリベンジし、続く第13戦はバロス、第15戦ロッシ、最終戦バロスとRC211Vは全16戦中14勝を挙げ、ライダー、コンストラクター、チームの三冠でデビューイヤーを飾った。

 サイレンサーがなくなった2003年モデルは、さらなる高出力化やカウル形状などの改良を受け16戦中15勝と見事な圧勝で早くも熟成期を迎えた。2004年モデルはボア×ストロークが変更された同爆エンジンで、トラクションコントロールシステムHITCS(ホンダ・インテリジェント・スロットル・コントロール・システム)の採用や、ユニットプロリンクの方式などが変更された。ヤマハに移籍したロッシにライダーズチャンピオンの座は奪われたが、4年連続でコンストラクターズチャンピオンを獲得している。ちなみにあくまで噂話ではあるが「ロッシはRC211Vがあまりにも強く、マシンに勝たせてもらったというイメージを払拭するためヤマハに行った」といわれたほどであった。


RC211V2003
2003年 #46バレンティーノ・ロッシ

RC211V2004
2004年 #15 セテ・ジベルノー

RC211V2005
2005年 #33 マルコ・メランドリー

RC211V2006
2006年 #69 ニッキー・ヘイデン

 ロッシの加入と、マシン開発が進みヤマハ勢が勢いを増した2005年シーズン、反比例するかのようにRC211Vは大苦戦し、わずかに4勝しかできなかったが、2005年シーズン中盤から開発されたフルモデルチェンジともいえるニュージェネレーションと呼ばれる2006年モデルは、800ccへの新レギュレーション変更に伴う990cc最終シーズンで全8勝を挙げ、ニッキー・ヘイデンがチャンピオンを奪回し、RC211V有終の美を飾った。


RC211Vプロト

RC211V企画展
ホンダコレクションホールでは2013年10月28日まで、開館15周年記念リクエスト展示「MotoGPへの挑戦 新時代のレーサRC211V」として、2001年のプロトタイプ(写真左)から、2006年の優勝車、エンジン、開発映像などを特別展示中。詳細はホンダコレクションホールの公式ページで。
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