いい大人が気動車(一般的には電車といったほうが解りやすいのですが、登場するのが気動車=ディーゼルカーなもので。電車は電気、気動車は油で動きます。あっ、最近はハイブリッド気動車もあるから……動力源が内燃機関の車両が気動車です)の絵がばっちりプリントされているTシャツで喜々と歩いていたら……引きます。貴方が友人知人親兄弟恋人以上連帯保証未満等々な関係の人といっしょにその姿を目撃したら「うわ〜っ、やだっ〜見て見て、あのオヤジ。前も後ろもキハ58顔がプリントされてる。両運のキハ53-200番台のつもりかしら」と小声で言うはずです。 | ||
すでに廃車となって盛岡駅でドナドナを待つキハ58系列。この顔この色は日本全国どこにでもいましたから覚えていらっしゃる方もいるんじゃないかと。(2008年2月盛岡駅) | どぎつい黄色の修学旅行色。東北方面から東京へやってくる修学旅行生を運びました。これを見て思わず涙ぐむお父さん、お母さんいらっしゃいませんか。(2008年7月陸羽東線のどこかの駅) | |
ここまで読んでニヤッとしていただけた方いらっしゃいますか? といいますか、おつきあいいただけた奇特な方は、Kドヤさんの山さんと専務さんくらいなものじゃないかと危惧しております。あっ、その節はそっちのお話で盛り上がって大変失礼いたしました(業務連絡)。 何が言いたいかと申しますと、驚いちゃったのがユニクロのトレインJapanese Train T。TシャツではなくTで止めるあたりがさすがユニクロ。こうするだけで渋谷だ原宿だのかおりがします(しねーよ! 死ねっという声が聞こえてきます)。 一部マニア以外は無反応のふるーい蒸気機関車柄や、広く一般の方にも人気がある新幹線500系や寝台特急カシオペアのヘッドマーク柄はともかく、新幹線はなんでメジャーな0系ではなく引退寸前の200系なんでしょう? やはりT海さんが使用料をふっかけたんでしょうか? 0系あんなに嫌っていたくせに……謎が深まるチョイスです。他には黒地にシビれる旧国鉄JNRマーク(Japan national railwaysの頭文字をデザイン化した)と、青地に白線そしてオロハネ24 551の文字柄Tシャツに通勤形電車12種プリントの全7種類がラインナップ。 えーっと、JNRマークは優れたデザインですから違和感無く受け入れていただけると思いますが、最後のオロハネはどうですかね? 喜々と着ているのはズッポリ鉄か、おしゃれ上手なRI○ACOさま的(ワラ1じゃなくて笑)最上級ファッションリーダー諸兄諸姉(自称も含む)くらいでしょう。真木よう子さんがさらりと来ていたら「なんかステキ!」と絶賛間違いなしです。でも真木よう子さんは何を着ても、いや逆に何も着ないですっぽんぽんならさらに大絶賛ですから、この場合は適応規格外です。 これは危ない。前記の話ではないですが、ちょっとでも鉄臭(制動子のこすれたニオイじゃなくて)と竹花臭が漂ういかにもたこにも男子は鬼に金棒、糠に釘です。世間様から「死ね!」または最低でも「去ね!」クラスの強烈な殺気を感じることでしょう。そんな物議を醸すこのオロハネ24 551T、鉄以外にはまったく意味不明な4文字のカタカナに数字の羅列。どんな呪文なのか興味あるでしょ? でもここまでやるのならばオロハネじゃなくて、青地はオシ16 2004、緑字のオシ25 901、赤地にオハフ50 180、茶地にスハシ44 1(いや茶色はやっぱりナハ29001かな)のおもしろ変態食堂車シリーズでカラーバリエーションをビシッと決めてほしかったですね。ツメが甘いんだから、もう。しかしあっという間に売り切れだそうです。 はい、七顛八倒している山さんの姿は思い浮かんでも「いったい何の話をしてるんだこのバカは」という罵倒さえもう聞こえません。だって、読み飛ばしているどころか、呆れて読んでないはずですから。 |
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JR北海道のスハシ44です。だから何? といわないでください。食堂車っぽくないけど、ほら、車内にはダルマストーブがありますよ。売店もありますよ。(撮影は2007年4月函館駅だったかな?)ちなみにナハ29001の29はにく=肉から付けたそうです。だってナハ29001はコンロ付きのバーベキューカーですから(波田陽区調で)。 | ||
では話をオロハネ24 551に戻します。カタカナと数字の羅列にはもちろん意味があります。解説を始めるとどんどん話が逸走し、雨の日のテ○プターのフロントブレーキ並に(ちょっとだけバイクネタ。オーナーさんごめんなさい)停止位置逸走しそうなので、オロハネとはA寝台とB寝台の合造車と簡単に説明して終わります。興味のある方はぐぐぐっとググッってウィキ先生にお尋ねください。すると、ああ、明日の今頃は〜♪ 腰に手を添えてしゅしゅっぽぐるぐる回して「コは小型のこ、ホはボギーのほ、ナは並形のな、オは大型のお、スはスチールよ、マはマックスのま、カは濶大でしょ、さあ歌いましょ〜♪」とスキップしている姿が瞼にうかんでは消え幻の、ころもほすてふあまのかぐやま。と、ひとしきりよたって気が済んだところで今月も本題。 ではありますが、今月はまだカタカナの羅列が続きます。られつ? そうそう、今思い浮かびましたが「られつ」と「きららうえつ」は似て異なるものです。どうでもいいですね(しつこい男は嫌われますが、どうせ鉄だから嫌われてます)。 本題のカタカナ羅列はサハシ(発音は人名によくある「さはし↘」ではなく、語尾を上げて「さはし↗」で)です。昭和30年代中盤〜50年代初頭の主要な急行電車にはサハシという半分が普通座席=ハ(イロハのハ、つまり昔の三等車)で、半分が立ち喰いスタンド式食堂車(ビュフェ車といいます)=シ(食堂のシ)という違う設備がひとつ車両に同居する先に出てきた合造車という車両がが連結されていたのです(では残りのサは? サだけにさぁなんでしょう。ググッてみましょう)。 カタカナの後に続く数字は153、165、169または455、451ですが、もうどうでもいいですね。この中で「そば うどん」(「うどん そば」だったっけ?)の鮮やかなのれんをカウンターに掲げ、ソに縁深いのが主に東北地区や北陸、九州地区で活躍した451、455でした。関係者の証言によると不詳私も「名古屋駅から急行兼六に乗って福井に行く途中、食堂車みたいなところに行った」らしいのですが、ソよりお菓子、急行よりパノラマカーに夢中なかわいいかわいい未就学児童坊や時代のこと、残念ながら小佐野さん並に「記憶にございません」状態でもったいな〜い。 初期のサハシには立ち喰い寿司屋コーナーがありましたが、寿司職人の確保が困難となり、誰でも簡単に作れて、誰もが大好きなソにウの登場となったのです。ところが昭和40年代の半ば、まだまだ昇り調子の「日本列島改造論」「狭い日本そんなに急いでどこへ行く」という時代、急行よりも特急、特急よりも新幹線と嗜好は移り、急行列車のサハシはどんどん減少。末期まで営業していたのは急行電車のアルプス号(新宿-松本 中央東線経由)と信州号(上野-長野 信越線経由)、妙高号(上野-直江津 信越線経由)だけになっていました。 |
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サハシ165です。手前が客室で高い窓があるのが食堂部分。モノクロ(1980年8月松本駅)はカウンター側で、カラー(1978年上野駅)が調理室側です。モノクロがアルプス号で、営業休止後もくっついたまんまでした。カラーは妙高号だと思います。写真なんか撮ってないで乗って喰っておけばよかった。 | ||
信州号に連結されていたサハシ169-9の車内ルポが鉄道ジャーナル誌1976年10月号に掲載されています。記事によるとソだけではなく、かつ丼、天丼、牛丼、ビーフシチュー、ハンバーグ、カレー、ハムサンド、スパゲティーなどちょっとした食堂級の品揃え。ちなみに天ぷらそば、山菜そばはどちらも250円。「なんだ安いじゃねーか」と思いますが、かつ丼が400円ですから今の感覚では天ぷらそばは500〜600円くらいの換算。立喰・ソとしては高め、市中のそば屋さんにしたら安めの設定です。このルポ、動く立喰・ソ末期の姿(といってもこの当時すでにのれんはかかげていませんが)を知るたいへん貴重な文献でありますから、鉄はもちろん、幻立喰・ソを極めたい貴方は古本屋さんで探してみてください。 もう36年も前なんですね。当時中ボーだった私はこの記事の最後のまとめ『<信州>で長野へ行って、篠ノ井線で松本にゆき、<アルプス>で帰ってくるというコースはどうだろう。「山菜そば」と「かつ丼」と「ビーフシチュー」と「焼豚サラダ」を食べて「コーヒー」でしめくくっても、なんと1,670円ですむのだ』という記述に脳天チョップを受け「今年の冬休みは、なにがなんでも信州ワイド周遊券でサハシざんまいっ!」と激しい興奮とめまいに襲われました。がぁ、なんということでしょう。こともあろうか冬休みを目前にビュフェ車は営業を休止してしまったのです。私の行動力の鈍さが車内立喰・ソ、立喰・カ、立喰・ビ、立喰・焼ブ、立喰・コを口にする最後のチャンスをみすみす逃し、幻立喰・ソ・カ・ビ・焼ブ・コになってしまったのです。まさに「いつまでもあると思うと気がつきゃ、あららの幻立喰・ソ」だったのです。この強烈な印象が、私を幻立喰・ソ道へと導いたのです(前は、違うことを言っていたような気がしますが、気にしない気にしない)。 |
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急行アルプス号に連結されていたサハシ165-54車内です。狭いカウンターだけの立喰・ソという雰囲気むんむん。改めて見ると窓側のカウンターはかなり狭いような。写真右の右側カウンターの奧あたりにかつては「そば」「うどん」「生蕎麦」などのれんがかけられていたようです。この写真を撮った1980年頃、ビュフェすでに営業休止になっていましたが連結されたまま走っていました。今思えば、ここで持ち込みの駅ソを食べれば気分だけでも味わえたのに……諸々後の祭です。 | ||
車中で気軽に簡易に食事をというスタンスで海外ではマック(関西ではマクド↘)の売店が食堂車代わりというのが欧州で流行ったのですが、今はどうなんでしょう? 若者大好きのマック売店車は日本でもウケそうですが、車内がポテト臭で覆い尽くされると「禁ポテト車の設定を!」と新聞との投書欄に載りかねません。やはり日本はソです。人件費が最大のネックですが、何号か前にお伝えしたソ&ウの自販機設置でいいじゃありませんか。
流れゆく景色を見ながらソをすする。「ああ、日本人に生まれてよかった」きっと貴方もそう思うに違いありません。 最後にちょっといい話(なのか?)を。サハシグループの長男坊サハシ153が誕生した1961年当時、冷房は一部の特急にしか付いていませんでしたが、サハシ153は食堂部分のみ冷房付きで製造されました。食堂利用客へのサービスというタテマエでしたが、実は当時の列車のトイレはほとんどが垂れ流し。窓際にカウンターがあるサハシ153に冷房を付けないと夏は窓全開でそこから飛び散った糞尿がカレーライスに……これは衛生上まずいけど、トイレをタンク付きにするほどの余裕もないからというのがホンネだとか。ということは、昔の窓全開の汽車の旅で食べた駅弁にもタップリとスパイスが……今晩はカレーだよ。わはははは。と今回は鉄道の写真ばかりでソの写真が一枚もないことをごまかして、おしまい。 |
■立喰・ソNEWS ●セブンイレブンならぬ、6-13のあのソが閉店しちゃったのか? |
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レインボーブリッジのたもと近くに小さな立喰・ソがあります。朝6から昼13時までの朝型なので昼過ぎにしか前を通らない人は、幻立喰・ソと思うことでしょう。ところが9月末頃から朝もシャッターが閉まったままです。天ぷらそばとあげ玉そばの2種に、肉丼、納豆丼、カレー、ごはん、玉子、おしんこというシンプルメニュー構成の港湾労働者向けというスタイルで、一見さんにはちょっとためらいますが、丁寧な言葉遣いの優しそうなおとうさんとおかあさんで経営されていました。どうしちゃったんでしょうか。心配です。 |
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シャッターが降りたままのお店と名物の肉丼とおしんこ。一応現役店のソは掲載出来ないというルールだけど丼はいいんじゃない? 復活を願ってますから。 |
バ☆ソ
日本全国立ち喰いそば全店制覇を目論む立ち喰いそば人。現在500店以上を制覇したものの、データ化されていないのでたいして役に立たない。そば好きから、立ち喰いそば屋経営を目論むも、先立つものも腕も知識も人望もなく断念。で、立ち喰いそば屋を経営ではなく、立ち喰いそば屋そのものになろうとしたが「妖怪・立ち喰いそば屋人間」になってしまうので泣く泣く断念。世間的には3本くらいネジがたりない人と評価されている。一番の心配事はそばアレルギーになったらどうしよう……。
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